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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/superflat (4)

  • 美術と臨床をめぐる対話 - SUPER FLAT 2

    >しかし、あたりまえですが「良い」「悪い」の判断が最も必要なのは現場の作家です。正確にはその権限(権力)は美術批評家なり美術館学芸員なり画廊なりが握っていて、無力で盲目な作家がむやみに作った作品を一方的にジャッジするんですね。(...)そして、その判断の為には先行する、あるいは同時代の作品の分析が欠かせないし、それらの作品が作られ評価された文脈の検討も必要になる。(「美術と臨床をめぐる対話」から永瀬恭一の4月3日のメールより抜粋) 画家は、自分の作品の何が「悪い」のかは分かっても、何が「良い」のかなんて分からないはずだ。自分の絵の「良さ」に自覚的な画家など、そんなのはイラストレーターであって芸術家ではない。そういう意味で芸術家が「盲目」であるのは、それこそあたりまえの話だ。芸術として絵を描くために、「先行する、あるいは同時代の作品の分析」とか「それらの作品が作られ評価された文脈の検討」など

    美術と臨床をめぐる対話 - SUPER FLAT 2
    j0hn
    j0hn 2009/05/02
    「画家は、自分の作品の何が「悪い」のかは分かっても、何が「良い」のかなんて分からないはずだ。自分の絵の「良さ」に自覚的な画家など、そんなのはイラストレーターであって芸術家ではない」
  • ふんぞりかえっているのは誰か - SUPER FLAT 2

    村上隆が日の有名批評家を挑発している。「フランスで勝負できもしねえくせして、日でふんぞりかえっているんじゃねえよ」と。しかし、それが「勝負」であるかどうかはともかく、たとえば『「歴史の終わり」を越えて』(中公文庫)を読んでも分かるとおり、浅田彰はフランスの思想家たちとガチに対話し、しかも「御説拝聴ではなくて、しっかり議論して、むしろ押している(福田和也の解説より)」のである。そして、それでいてつねに「私のことなどどうでもいい」とすこぶる謙虚で、およそ「ふんぞりかえっている」ようには見えない。むしろ「ふんぞりかえっている」のは村上隆の方であり、誰がどう見たって「いかがわしい」のも村上隆の方である。おそらく村上隆が「世界で勝っても日では負けた」(人談)のは、日人の批評技術が、ある部分で世界的に勝っているからである。実際、日の批評家がフランスの批評家と「勝負」しても負けるとは思えない

    ふんぞりかえっているのは誰か - SUPER FLAT 2
  • 批評家は何を生み出しているのでしょうか - SUPER FLAT 2

    非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

    批評家は何を生み出しているのでしょうか - SUPER FLAT 2
  • みたままベレーで天才画家 - SUPER FLAT 2

    ドラえもんと違ってのび太はぜんぜん絵のことを解っていないようですな。憎めない奴ではあるが、いくらなんでも横着が過ぎる。最後にジャイアンから拳骨をらっているが当然だ。絵を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。犬の絵描きは笑える。

    みたままベレーで天才画家 - SUPER FLAT 2
    j0hn
    j0hn 2008/01/11
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