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美学と物語に関するja_bra_af_cuのブックマーク (8)

  • ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(1) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    まえおき ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます。出版社の告知ページも出たので宣伝していきます。 filmart.co.jp たまたまタイミングが合って、ユリイカ2022年9月号 特集=Jホラーの現在にも書いています。 www.seidosha.co.jp このふたつの仕事が重なったため、すっかりホラーづいており、毎日何がしかのホラー映画、ホラー小説を摂取している夏です。 翻訳出版に合わせて『ホラーの哲学』の宣伝をしていきたいと思います。 紹介 まずは目次。章タイトルなどはまだ仮です。 目次(仮) 序 書が置かれた文脈 ホラージャンル摘要 ホラーの哲学とは? 第一章 ホラーの質 ホラーの定義 まえおき 感情の構造について アートホラーを定義する アートホラーの定義に対するさらなる反論と反例 幻想の生物学とホラーイメージの構造 要約と結論 第二章 形而上学とホラー あるいはフィク

    ノエル・キャロル『ホラーの哲学』の翻訳が出ます(1) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/08/13
    "キャロルの意見によれば、ホラーをかきたてるものというのは、カテゴリー的にどこに位置づけて良いのかよくわからない「不浄なもの」「狭間に位置するもの」です" 『汚穢と禁忌』的な
  • 『シン・エヴァ』、優しい「ネタバレ配慮」がネットに溢れる「独特の理由」【ネタバレなし】(森 功次) @gendai_biz

    【注意】記事は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の内容にはまったく触れていません。普通の意味での「ネタバレ」を避けたい人でも、安心してお読みいただけるはずです。とはいえ、余計な情報を入れずに『シン・エヴァ』をまずは真摯に味わいたい方は、この種の記事すらも避けたほうがいいかもしれません。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が、延期を重ねに重ねてようやく公開された。多くの熱狂的ファンに支えられ、文化史にその名が刻まれることの確実なシリーズの最終作である。案の定、すぐに多くの考察・批評ブログが上がってきており、これからもしばらくは多数の熱い(もしくは冷めた)記事・批評文が書かれ続けるだろう。 今回のエヴァ現象には、ひとつの興味ぶかい雰囲気がある。考察ブログや批評、そしてSNSにおいて、多くの人が驚くほどネタバレに配慮しているのだ(もちろん例外はあるが)。その雰囲気は、『エヴァンゲリオ

    『シン・エヴァ』、優しい「ネタバレ配慮」がネットに溢れる「独特の理由」【ネタバレなし】(森 功次) @gendai_biz
  • マンガにおける「分離された虚構世界」と「視覚的修辞」 - logical cypher scape2

    まえがき 分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2 の続き、というか、最後に触れたイノサンの例についてもう少し膨らませて書く。 マンガは、絵を使って、とあるフィクション世界を描く形式である。 なので、絵の内容は、その世界の出来事をあらわしている、と考えられるわけだが、実際には、絵の内容がそのままその世界の出来事として成り立っているわけではなさそうなケースもよく見られる。 そういうケースを説明するのに、いくつか概念を作ってみよう、みたいな話をするつもり。 以下、『イノサンRouge』を例に出していくが、あくまで例として使っているだけであり、『イノサンRouge』論にはなっていないのであしからず。 (こういう概念を作るのであれば、何某か作品の解釈に有用なものにしたい、という思いがあるのだが、今回その点についてはうまくできてないというか、作品の解釈には使え

    マンガにおける「分離された虚構世界」と「視覚的修辞」 - logical cypher scape2
  • 分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2

    『フィクションは重なり合う』のAmazonページに、実はレビューが書かれているのを最近知って、ちょっとそれに対する応答をしつつ、ちょっと気になっていることをメモしておきたい。 2.2.分離された虚構世界の > 例えば、TVアニメ『四月は君の嘘』の22話(最終回)「春風」における演奏会演奏会のシーンを取り上げてみよう。主人公の有馬公生が演奏会でピアノを演奏しているのだが、シーンの途中から公生とピアノがステージ ではなく、水面上に置かれている映像へと変わる。ホールの様子は消えて、水平線の広がる水面上で公生が演奏している映像である。 この映像について、著者はこれをフィクションの世界の中で起きていることだと主張しています。 『フィクションは重なり合う』カスタマーレビュー「大事なところを「明らかだ」で済まされてしまった」 この点について、2つの応答の仕方がある。 『四月は君の嘘』の映像において、「水

    分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2
  • ワークショップ「ネタバレの美学」2018年11月23日

    森功次/MORI Norihide @conchucame にわかにまたネタバレ論が再燃しつつありますが、私は「あらゆるネタバレは倫理的にも美的にも悪」という強固派です。 ネタバレ容認派の欺瞞めいた論法は見苦しいし、徳美学的な観点からみて悪徳、とすら思ってる 森功次/MORI Norihide @conchucame ネタバレ論で昨晩は盛り上がったが、 やはりネタバレ擁護派は 1.作品の正しい評価を知ろうとして生き急いでる 2.作品のポイントを味わおうという態度に欠ける 3.初見時の感動を軽視しすぎ といった結論でしかない 「時間は有限なので攻略見ながらゲームしますわ」的な態度に見える 許せん

    ワークショップ「ネタバレの美学」2018年11月23日
  • Derek Matravers『フィクションと物語』のウォルトン論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Fiction and Narrative 今年の7月に出た。最近読んでいるが、二章のウォルトン論はいい感じなのでまとめておく。 ウォルトンは、フィクションについて、メイクビリーブ理論と呼ばれる理論を立てている。これは、子どものごっこ遊び[make-believe]をモデルに、フィクションを捉えるものだ。ただ、ウォルトンの言っていることはどこにポイントがあるのかよくわからなかったりするので、著者のまとめは啓発的だった。 まず、ごっこ遊びの場合、現実の事柄と、ごっこ(フィクション世界)の中の事柄に対応がある。例えば、泥と箱をパイとオーブンに見たてて遊ぶ場合、現実の真理は右のようなフィクション世界の真理に変換される。 現実世界の真理 フィクション世界の真理 泥のかたまりがある パイがある 箱がある オーブンがある さらに、ウォルトンによれば、こういう風に現実の真理からフィクション世界の真理に

    Derek Matravers『フィクションと物語』のウォルトン論 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/12/14
    "伝記や歴史を含め、物語はすべて、目の前で起こったものであるかのような想像を指図する""フィクションとノンフィクションの区別ではなく、想像を用いる表象というより根本的なカテゴリーに注目した方がいい"
  • Paisley Livingston「物語(ナラティブ)」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Routledge Companion to Aestheticsの「物語」の章 The Routledge Companion to Aesthetics (Routledge Philosophy Companions) 物語を位置づける 物語とは何か? 選択肢の評価 語り手と語り 物語と美的価値 サーヴェイなので、読んで物語がわかった気はしないが、以下のふたつの関心があるようだ(両者はもちろん関係するけど)。 独特の説明・理解の様式としての「物語」 フィクション・芸術作品の構成要素としての「物語」 物語の種々の定義を分類したものが載っていた。最近は物語の必要十分条件を与えるだけではなく、「物語度」みたいなものを考え、物語度が高いものを物語と呼ぶというアプローチもあるらしい(下の方に載せてあるCurrieのはそういうアプローチだ)。 内容に関する条件を与える説 物語は少なくと

    Paisley Livingston「物語(ナラティブ)」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/05/28
    "「物語度」みたいなものを考え、物語度が高いものを物語と呼ぶというアプローチもあるらしい" こういう非本質主義的なアイディア興味ある
  • 作品の楽しみ方 「引き出し型」/「アジャスト(調整)型」

    泉信行 @izumino 引き出し型は、いわゆる教養主義者で、「自分は古いタイプの時代遅れな消費者」と自覚してることが多い。つまり、ある作品には「読み方」というのがあって、その作品が楽しめない理由を「その読み方の引き出しを自分が身に付けていないから」に求める。そして「引き出しを広げる勉強」を良しと考える 泉信行 @izumino このタイプに偏る人の場合、ありうる問題としては、「読み方さえ修得すればどんな作品も楽しめるはず」という、ある種の傲慢さや、「引き出しが増えれば増えるほど、より多くの作品を楽しめるはず」という、盲信に基づいた言動を取ることなどがある。読み方のストックが主体で、作品は客体だとも言える

    作品の楽しみ方 「引き出し型」/「アジャスト(調整)型」
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