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2018年12月25日のブックマーク (4件)

  • 2018年の新書 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    12月25 2018年の新書 カテゴリ:その他 去年、「2017年の新書」というエントリーを書いてから、51冊の新書の感想をあげました(実はもう1冊、二松啓紀『絵はがきの大日帝国』(平凡社新書)を読んでいるのですが、いつものルーチンと違う形で読んだので感想が書けてない。でも、面白いなので、できれば年末年始に紹介したいと思います)。 今年も新書は豊作だったと思います。去年は中公の「一強」と書きましたが、今年は岩波新書が80周年ということで年間を通して強力なラインナップを並べてきましたし、ちくまも夏くらいまで非常に良かったと思います。また、講談社現代新書も歴史系に復活の兆しがあり、面白いタイトルが出たと思います。その分、上記以外のレーベルに関しては読みきれなかった感もあります。 では、とりあえず上位の5冊と+5冊ほどを紹介したいと思います。 清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書) 『喧嘩

  • 酒井泰斗「なぜ『社会学はどこから来てどこへ行くのか』はどこにも辿り着かないのか」(2018.12.23) - socio-logic

    このことこそ、「普通である」ということなのだ。 それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。 (岸 政彦『断片的なものの社会学』p. nn) 0-1. この文書について この文書は、 岸 政彦・北田暁大・筒井淳也・稲葉振一郎著『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣、2018年。以下『どこどこ』と略す) の最終章(第8章)を取り上げ、下記5つのトピックについて検討を行い、書がおこなっているエスノメソドロジー・会話分析(以下EMCAと略)の戯画化に対する反論を行うものである。 各章を月一のペースで公開することを予定しており、少なくとも2まで(なるべく3まで)は書き進めたいと考えているが、4と5については数か月後の状況をみて、執筆するかどうかを決める。 開き直りと割り切り:筒井・前田『社会学入門』への評価について (公開済) 調査協力者に対する作法 〈

    酒井泰斗「なぜ『社会学はどこから来てどこへ行くのか』はどこにも辿り着かないのか」(2018.12.23) - socio-logic
  • nix in desertis:不安・死・性愛の画家

    都美のムンク展に行ってきた。前にムンク展があったのは2007年のことであるから,約11年ぶりの東京でのムンク展ということになる。もっとも,図録には「回顧展というべき規模のムンク展は,日では20年ぶり」というようなことが書いてあったので,11年前のものはカウントされていないらしい。確かに《叫び》が来ておらず,画業の全てを俯瞰するというよりも《生命のフリーズ》の装飾性についての展示になっており,正直よくわからなかったのが当時の感想である。まあ,よくわからなかったのはキュレーション半分,当時はまだあまり詳しくなかった自分の知識の足りなさ半分というところだろう。 そこへ行くと今回の展覧会は完璧で,約100点ながら,ムンクの画業をちゃんと追うことができる構成になっていた。代表作も《叫び》は当然のこととして,《不安》《マドンナ》《吸血鬼》と勢揃い。来ていなかったのは《思春期》くらいではないか。ムンク

  • 当たり判定が狭い広告の判定を検証してみた - Qiita

    はじめまして。 Qiitaへの記事の投稿は初めてなのですが、 今日はAdvent Calendar15日目の記事として投稿させていただきます。 絶対押してんじゃん さて、ネットサーフィンをいていると時折遭遇するのが✗の小さすぎる広告。あの当たり判定の小さすぎるButtonにとって私は日々苦しめられています。あの広告によって、世界中で一体どれだけの時間が奪われているのでしょうか。 また、あのボタンの当たり判定は当にあのButtonの大きさのとおりなのでしょうか。かなり怪しいと思います。今回は実際に検証してみました。 擬似的な広告で検証してみる。 広告のButtonの当たり判定が小さすぎると感じるのは気の所為で、実は自分の指のAIM力不足だった。ということも十分考えられたので Xcodeで擬似的な広告を消すだけのiOSアプリを作成しました。わざわざ説明しなくてもいいかなとは思います。 imp

    当たり判定が狭い広告の判定を検証してみた - Qiita