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ブックマーク / at-akada.hatenablog.com (32)

  • Peter Lamarqe「物語に期待しすぎないこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/LAMONE Lamarque, Peter (2004). On not expecting too much from narrative. Mind and Language 19 (4):393–408. 目次 1. 物語の定義 2. 構造的特徴 3. 指示と真理 4. 物語の実践 5. 物語の価値 6. 物語的同一性と人生の物語 7. 結論 ラマルクによれば、物語(ストーリーテリング)の定義は ストーリーは見つけられるのではなく、語られる 複数の出来事を語る 出来事の間に非論理的関係(主に因果関係)が成り立つ 出来事の間に時間的な順序がある こうしたミニマルな物語の定義を前提に、物語の概念に多くを読み込む人たちを批判している。 例えば、歴史が物語であるということから、歴史もフィクションであるという人たちがいる(やりだまにあがって

    Peter Lamarqe「物語に期待しすぎないこと」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/10/09
    「物語」概念の過度な適用の戒め・批判
  • [fiction] フィクション論の古典なり基礎文献的なもの - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    フィクション論の古典なり基礎文献的なものがあれば教えてくださいという質問がask.fmに来てたので答えます。 以前からフィクションの哲学はいろんなテーマが錯綜していてややこしいと思っていたのでこの機会にちょっと整理してみる。 まず日語で読めるとして以下の二冊がある。読めばそれなりに先行研究のことはわかるが、ちょっと二冊ともそれぞれに癖が強いので、フィクションの哲学の入門書としては勧めづらい。 清塚邦彦『フィクションの哲学』 三浦俊彦『虚構世界の存在論』 また、フィクションの哲学はサブジャンルが細かく分かれ、それぞれ関連はするが、独立した問題だったりするのでまずは興味があるところに絞って読むとよいだろう。 以下ざっとサブジャンルを整理して紹介する。 フィクションの定義・特徴づけ フィクションとは何か?を扱う。 なお、清塚『フィクションの哲学』はこのテーマを扱っているので、まずはこれを読む

    [fiction] フィクション論の古典なり基礎文献的なもの - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 「美学におけるエリート主義の問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Aesthetics For Birds: "The Problem of Elitism in Aesthetics" by Bence Nanay Bence Nanayがブログに書いていた記事。 (どうでもいいけど、英語圏のブログってゲストに記事を書いてもらうのをよくやってるけど、これあんまり日で見ないね) 前半は美学がハイブローな作品ばかり取り上げるせいで敷居が高くなってるという話。それはまあいいんだけど、後半がおもしろくて、そのせいで重要な哲学的問題が無視されているのではないかという指摘。 shipping(カップリング)の話を例にあげて、カップリング考察とか、今はこういうのが制作にも読解にも影響を与えてるんだという話をしている。さらっと紹介しているだけだが、実際これは制作者の意図とか読者の深読みがどこまで許されるかというのを考えるとおもしろい話(になりえる)と思う。 前にも書

    「美学におけるエリート主義の問題」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Ismay Barwell「物語を理解することと物語的な理解」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/BARUNA Barwell, Ismay (2009). Understanding Narratives and Narrative Understanding. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):49-59. 7/11 http://as.wiley.com/WileyCDA/WileyTitle/productCd-140519457X.html 1. はじめ 2. 途中 3. 結末 (意味のない節タイトルつけやがって……) 物語の定義に、出来事の因果関係を表象することだけではなく、評価を与えることも含めようと提案している。 Barwellによれば、物語は複数の出来事を理解可能な全体として表象するもので、理解可能にすることの中には、因果関係による説明だけでなく評価も含まれ

    Ismay Barwell「物語を理解することと物語的な理解」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/07/14
    "物語は複数の出来事を理解可能な全体として表象するもので、理解可能にすることの中には、因果関係による説明だけでなく評価も含まれる"
  • Amie Thomasson『フィクションと形而上学』のキャラクター同一性の基準 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    五章のキャラクターの同一性基準の話をまとめておく。 ここではキャラクターの同一性に加え、めずらしく間テキスト的なキャラクターの同一性が議論されている。パロディや二次創作におけるキャラクターの同一性も問題になっている。 Amie Thomasson, Fiction and Metaphysics 五章「フィクショナルキャラクターの同一性基準」 マイノング的同一性基準の困難 ひとつの文学作品の中での同一性基準 文学作品間の同一性基準 Thomassonがライバル視するのは、マイノング主義の理論だ。そこでは、キャラクターは作中でキャラクターに帰属される性質の集まりと見なされ、二つのキャラクターが同一であるのは、二つのキャラクターが同じ性質だけを持つときである。 この考えでは、例えばシャーロック・ホームズというキャラクターは「ベーカー街に住んでいる」「探偵である」などの性質の集まりと見なされる。

    Amie Thomasson『フィクションと形而上学』のキャラクター同一性の基準 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 哲学とポップカルチャーの解釈 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    以下の『哲学とポップカルチャーの解釈』の紹介と軽くポップカルチャーと哲学の話。 Philosophy And the Interpretation of Pop Culture このとは別なんだけど、英語で「ポップカルチャーと哲学」というシリーズが出ている。 http://www.opencourtbooks.com/categories/pcp.htm シリーズタイトルを見てると、「ゼルダの伝説と哲学」「(日)マンガと哲学」「レディオヘッドと哲学」「iPodと哲学」「スポンジボブと哲学」とかもう何でもありな感じでおもしろい。結構売れてるらしく、『哲学とポップカルチャーの解釈』の中でも、懐疑論についての授業をしていたら、「それ『マトリックスと哲学』というで読んだ」という反応があると紹介されていた。 このシリーズは、ポップカルチャーをだしにして哲学を紹介しよう、いわばポップカルチャー

    哲学とポップカルチャーの解釈 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ストーリーの同一性について。これ結構おもしろい問題かもしれない。 http://philpapers.org/rec/SMUQIA Smuts, Aaron (2009). Story Identity and Story Type. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):5-14. 1. 序 2. 基的なジレンマ 3. 誤ったフィクショナルな指示 4. 高次レベルタイプの質的属性 5. ストーリーの同一性かストーリーのタイプか 6. 結論 チャトマンなどがいうストーリー/言説の区別はよく受け入れられている。例えば、小説のテキストとそれが表現するストーリーは別だ。私たちは同じストーリーを語る別のテキスト(これ、言説とかテキストとかって、映像でもいいし絵とかでもいいんだけど、いい言葉がないので言説とかテキストと呼ぶ)があることを認め

    Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。

    哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/06/01
    "初学者にはなんでこのX〔何らかの原理Xみたいな前提〕を認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない" 見に覚えが
  • Paisley Livingston「物語(ナラティブ)」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Routledge Companion to Aestheticsの「物語」の章 The Routledge Companion to Aesthetics (Routledge Philosophy Companions) 物語を位置づける 物語とは何か? 選択肢の評価 語り手と語り 物語と美的価値 サーヴェイなので、読んで物語がわかった気はしないが、以下のふたつの関心があるようだ(両者はもちろん関係するけど)。 独特の説明・理解の様式としての「物語」 フィクション・芸術作品の構成要素としての「物語」 物語の種々の定義を分類したものが載っていた。最近は物語の必要十分条件を与えるだけではなく、「物語度」みたいなものを考え、物語度が高いものを物語と呼ぶというアプローチもあるらしい(下の方に載せてあるCurrieのはそういうアプローチだ)。 内容に関する条件を与える説 物語は少なくと

    Paisley Livingston「物語(ナラティブ)」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/05/28
    "「物語度」みたいなものを考え、物語度が高いものを物語と呼ぶというアプローチもあるらしい" こういう非本質主義的なアイディア興味ある
  • Amie Thomasson「フィクショナルキャラクターを語ること」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/THOSOF http://www.amiethomasson.org/papers%2520to%2520link/Speaking%2520of%2520Fictional%2520Characters.doc フィクショナルキャラクターについての抽象的人工物説を擁護する論文。個人的には、抽象的人工物説が一番賛成できる。 1. ふり説 2. 指示説 2.1 虚構的言説と内的言説 2.2 非存在主張 2.3 存在論上の懸念 フィクショナルキャラクターを巡る語りには表面上矛盾がある。例えば、私たちはシャーロック・ホームズは探偵であることと、フィクショナルキャラクターであるから犯罪を解決できないことを両方受け入れている。フィクショナルキャラクターの理論は、この表面上の矛盾を解決しなければならない。 Thomassonは、虚構を巡る語りを以下

    Amie Thomasson「フィクショナルキャラクターを語ること」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/04/23
    社会学でいう集合表象/社会的事実に似てるな
  • 藤川直也『名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学 前半は新しい名前の指示の理論、後半は名前の意味論と語用論で、どちらもよく知らない分野だったので大変勉強になった。 一部で有名なように、クリプキは名前を用いた指示について因果説(ただし書はこれを歴史的・社会的説明と呼ぶ)と呼ばれる立場をとった。起源において、命名者が名前を与える。名前は使用され伝えられることで人から人へ受け渡され、広がっていく。名前の受け渡しの因果連鎖によって私は一度も会ったことのない多くの人の名前を知っているし、それらの名前によって、見知らぬ人を指示することができる(そうでなければ、私はクリプキについて語ることはできないだろう)。 この説によれば、名前の使用は、この名前の受け渡しのネットワークによって対象を選び出し、指示することになる。 書はこの立場を真剣に受け止めつつも、批判し、エヴァンズ、ペリーなどに影響を受けた別の説明を与

    藤川直也『名前に何の意味があるのか: 固有名の哲学』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/04/19
    "本書は、名前について、名前に結びつけて絶えず情報が生産され流れ続けるようなネットワークを考える。指示が変更されるケースはネットワークを流れる情報の変化によって説明される"
  • Timothy Williamson『哲学の哲学』5章 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Philosophy of Philosophy (The Blackwell / Brown Lectures in Philosophy) 5章「形而上学的様相の知識」 Williamsonの『哲学の哲学』の主要な主張のひとつは、哲学の主題や方法は、他の諸分野と質的に異なるわけではないというものである。これは一方では哲学の特権的方法があるという主張へのカウンターでもあるし、哲学の方法に対する全面的な懐疑への批判でもある。Williamsonによれば、安楽椅子哲学は特別なものではないし、そこまで悪いものでもないということになる。 この章でも「形而上学的様相」という、いかにも典型的に哲学的な対象が、日常的な認識能力に基づいていることが議論される。 以下わりと簡単にまとめているが、実際は様相論理の細かいテクニカルな話が多くて大変だった。 感想: わりと納得したが、ここででてくるのは

    Timothy Williamson『哲学の哲学』5章 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ