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ブックマーク / obakeweb.hatenablog.com (16)

  • Make me feel goodなもの - obakeweb

    いい気分だ 分かってんだぜ ──── I Got You (I Feel Good) - James Brown 先日の応用哲学会で、美的価値論に関わる発表をしてきた。 趣旨としてはこの文脈でモンロー・ビアズリーを読み直す、というものだったが、コメントの多くはその前提、既存の反快楽主義に対する私の懸念に対する懸念として集まった。アフターフォローのいくつかは日記に書いたのだが、こちらでも考えをまとめておこう。*1 美的に良いものはなにゆえ良いのか 問題はこうだ。美的に価値のあるものは、行為や信念形成に理由を与えるが、なにゆえそうなのか。美的に良いものはなにゆえ良いのか。 デフォルトの説明はこうだ。「快楽を与えるからさ。美しいものを見たり聞いたりするのは気持ちがいいからね」。これに対し、達成や自由や自律性に訴える反快楽主義が出てきている。美しいものに駆り立てられる人は、必ずしも快楽に駆り立てら

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  • グルーヴとはなにか - obakeweb

    「グルーヴ[groove]」という音楽用語がある。ファンクやソウルを聞く人ならお馴染み、EWFの「Let's Groove」やFunkadelicの「One Nation Under A Groove」で歌われているアレや、JBの『In the Jungle Groove』やMaceo Parkerの『Life on Planet Groove』に掲げられているアレのことだ。 ヒップホップでサンプリングするためにdigられる、あまり知られていないファンクやソウルのレコードなんかはレア・グルーヴ[Rare groove]とも呼ばれる。スウィング[swing]と並んで、ジャズ発の用語らしいが、ブラックミュージックに限らず、ロックやパンクの楽曲・演奏に対しても使われる用語だ。 グルーヴとはなにか。無難な前提として、グルーヴとは音楽作品(楽曲、演奏、録音)の持つ特定の性質である。問題は、グルーヴィ

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2022/04/23
    マイクロタイミングにおけるニュアンスがダンサブルさに影響しないなら,踊るための音楽において特にそれが重視されてきたのはどういうわけかしら。
  • ノエル・キャロル『芸術哲学』:目次とリーディングリスト - obakeweb

    Carroll, Noel (1999). Philosophy of Art: A Contemporary Introduction. Routledge. 最近読んだ、ノエル・キャロル[Noël Carroll]による分析美学の教科書『Philosophy of Art: A Contemporary Introduction』(1999)が、入門としてかなりよさげだったので、紹介記事を書いておこう。 ロバート・ステッカー[Robert Stecker]の『Aesthetics and the Philosophy of Art: An Introduction』(『分析美学入門』)が2010年(初版は2005年)なので、書は一昔前の教科書になる。ステッカーが幅広いトピックを扱っているのに対し、キャロルが扱うのは基的に「芸術の定義」だけだ。環境美学、フィクション論、芸術の存在論、

    ノエル・キャロル『芸術哲学』:目次とリーディングリスト - obakeweb
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2021/10/25
    "概念分析という手法(必要十分条件とはなにか)、直観をデータとすることの是非などを説明しており、手取り足取りで進む"
  • Liminal Spaceのなにが不気味なのか - obakeweb

    リミナル・スペース[Liminal Space(s)]は2019年ごろに4chanからTwitterやReddit経由で広まった、インターネット・ミームである。Fandomの「Aesthetics Wiki」によれば、 Liminal Spaceの美学は、広くてなにもない、薄気味悪く不穏な雰囲気[eerie and unsettling vibe]のある部屋、廊下、ホールなどから成る。 Liminal Space | Aesthetics Wiki | Fandom ミームとして拡散された経緯はknow your memesなどを読んでもらえばよい。 Twitterでは「@SpaceLiminalBot」なるアカウントが精力的(?)にリミナルな画像を拡散しており、2021年10月現在約42万人のフォロワーがいる。 9月にはtogetterのまとめが注目されていたので、日における知名度も徐

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2021/10/09
    『汚穢とタブー』とかで二つのカテゴリの境界にあるものは危険や汚れと結び付けられるっていうのの美学版ね。"ある種の逸脱に関する認知と、それを規定範囲内に収めようとする心的抵抗の連続的失敗〔……〕"
  • レジュメ|ノエル・キャロル「メディウム・スペシフィシティ」(2019) - obakeweb

    Carroll, Noël (2019). Medium Specificity. In Noël Carroll, Laura T. Di Summa & Shawn Loht (eds.), The Palgrave Handbook of the Philosophy of Film and Motion Pictures. Springer. 29-47. ノエル・キャロルの有名な仕事を挙げるなら、そのひとつはメディウム・スペシフィシティ[Medium specificity]の批判だろう。「絵画とは/写真とは/映画とは/etc. こういう性質をそれ独自の質とするものであり、これを活かした作品こそが当のメディアの作品としてよいものだ」といった主張は芸術史上なんどもなされてきた。キャロルはこれらを攻撃する。 わりと最近書かれた論文でも、新旧のメディスペ論者が叩かれ、メディスペなし

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  • 発表「駄作を愛でる/傑作を呪う」|応用哲学会年次大会あとがき - obakeweb

    2021年5月22日㈯の応用哲学会年次大会で発表してきました。発表スライドは以下です。 「駄作を愛でる/傑作を呪う」という題目で、分析美学の「批評の哲学」にカテゴライズされるだろう内容になっています。"だろう"というのは、実際にカテゴライズされるかどうかは私の一存では決まらない、という主張を発表内でしているためです。 アブスト付きのフライヤーは以下。 簡単に各パートの結論だけ紹介すると、 批評的理由づけの基準としては、カテゴリー相対的な弱い一般的基準が有望である。 逆張りにはいろいろある。とりわけ注目するべきは、色眼鏡な逆張りによるカテゴリー選択。 作品にとっての「正しいカテゴリー」は、価値最大化を目指す制度の産物である。 制度に逆らうだけの逆張りは不適切だが、真剣な逆張りには制度を改善するという意義もある。 といったことを論じました。 当初は「逆張りという批評的行為の内実を明らかにする」

    発表「駄作を愛でる/傑作を呪う」|応用哲学会年次大会あとがき - obakeweb
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2021/05/22
    "作品にとっての正しいカテゴリーは〔……〕意図の先(均衡したルールとしての制度)で決まる""美学・芸術哲学の諸問題を扱うのに、社会科学(ゲーム理論など)の道具立てが使えることを示したかった"
  • レジュメ|モーリス・マンデルバウム「家族的類似と芸術に関する一般化」(1965) - obakeweb

    Mandelbaum, Maurice. (1965). Family Resemblances and Generalization concerning the Arts. American Philosophical Quarterly, 2(3), 219-228. 「芸術の定義」に関する古典的な論文のひとつ。以下、論文に先立つあらすじ。 伝統的に、芸術は模倣/表象(プラトン)、感情の伝達(トルストイ)、表出(クローチェ)、重要な形式(ベル)といった点から定義されてきたが、いずれも狭すぎる=一部の芸術を芸術としてカバーできないか、広すぎる=一部の非芸術を芸術だとみなしてしまう、ということで一長一短であった。 1950年代のなかごろは言語哲学、とりわけ後期ウィトゲンシュタインの影響を受けた哲学者たちが、美学や芸術理論における反質主義をごり押しする。「芸術の定義」というトピックにおい

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  • レジュメ|「ビアズリーの美学」|スタンフォード哲学百科事典 - obakeweb

    記事は、「スタンフォード哲学百科事典 Stanford Encyclopedia of Philosophy」収録「ビアズリーの美学[Beardsley's Aesthetics]」の意訳&抄訳である。 モンロー・ビアズリー(1915-1985)は20世紀英語圏を代表する美学者のひとりであり、分析美学においてはフランク・シブリー[Frank Sibley]と並ぶ巨人とみなされている。2005年のJAAC 63(2)号では「美学におけるビアズリーの遺産」としてシンポジウム特集が組まれているが、名だたる寄稿者たちが次のように紹介している。 もしビアズリーの『美学』が出版されていなければ、美学がなんであるのか私が理解することは決してなかっただろうと思う。出版に先立ち、私はすでに二年間も美学教員をしていたにもかかわらず、である。/ビアズリーのの出版は、20世紀の分析美学において、最重要な出来事

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  • 「芸術作品は物的対象である」|リチャード・ウォルハイム『芸術とその対象』書評 - obakeweb

    リチャード・ウォルハイム『芸術とその対象』(松尾大訳、慶應義塾大学出版会)をご恵贈いただきました。ありがとうございます。 リチャード・ウォルハイム(Richard Wollheim)はイギリスの美学者・哲学者。絵画をはじめとする視覚芸術について傑出した書き物をしているほか、美術史的には1965年の論文で「ミニマル・アート」の名付け親となった批評家としても有名。*1 Wollheim, Richard (1980). Art and its Objects: With Six Supplementary Essays. Cambridge University Press. 『芸術とその対象』は主著のひとつであり、1968年に初版が出たあと、1980年には六の補足論文を追加した2ndエディションが出版されている。このたび出版されたのは、後者の全訳です。 正直、ウォルハイムの英語は僕には難し

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  • 食の美学入門:作ること、食べること、感じること - obakeweb

    我々は、ときに美しく盛り付けられたフランス料理を見て「芸術的だ」と言う。 また、華麗な手さばきでピザ生地を広げたり、魚をさばくシェフの姿に、創意に満ちた芸術家の姿を重ね合わせる。 すぐれた料理の味や香りがもたらす感動や快楽は、映画音楽のそれにも劣らない。 さて、はアートと言えるのか。の美学は可能だろうか。 今回は二部構成となっている。 前半には、アーロン・メスキンによる短い論考「品の芸術」(2013)のレジュメを載せた。品(料理)はアートとなりうるのか、なるとすれば、いかなる意味でアートと言えるのか、という問題をざっと概観したい。 後半は、これを踏まえ、の美学が検討すべき問題群を整理する。を取り巻くさまざまなトピックを紹介し、これらの美的な可能性を探っていきたい。 あらかじめ目的と意義を明らかにしておこう。なぜ、の美学を問わなければならないのか。 第一に、文化とは人間存在

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  • Philosophy Compass「美学&芸術哲学」セクション:論文リスト - obakeweb

    哲学系のサーベイ論文に定評のある学術誌「Philosophy Compass」から、「美学&芸術哲学(Aesthetics & Philosophy of Art)」セクション収録の論文をまとめています。随時更新。 分析美学関連の勉強や調べ物にお役立てください。 (日語で読める解説記事があるものには、リンクを添えています)*1 Volume 1 - 2006 Volume 2 - 2007 Volume 3 - 2008 Volume 4 - 2009 Volume 5 - 2010 Volume 6 - 2011 Volume 7 - 2012 Volume 8 - 2013 Volume 9 - 2014 Volume 10 - 2015 Volume 11 - 2016 Volume 12 - 2017 Volume 13 - 2018 Volume 14 - 2019(Issue

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  • Jiri Benovsky "Photographic Representation and Depiction of Temporal Extension"(2012) - obakeweb

    「画像表象とリアリズム」第4回。 前回、番外編で扱ったものに続き、イジー・ベノヴスキー(Jiri Benovsky)の論文です。 論文(Benovsky 2012)はPhilPaperの「Photography」カテゴリで、ウォルトン「透明な画像」(1984)に次ぐダウンロード数を記録している。なぜかは不明……。 静止したイメージである写真に、運動、時間、変化を表象することはできるのか。時空論をも巻き込んで、「写真による時間の表象」を説明しようとする、野心的な一です。 話をゴリゴリに単純化していくところや、やや突飛すぎる論述はそれ自体として批判されるべきだが、近年の分析系写真論においては、それなりに面白いプレイヤーだと思っている。 ちなみに、掲載されている写真は全てベノヴスキーによるものだそうです。 いくぜ! (*節の名前は僕が随時つけたものです) 1.描写⇔表象 1.1写真は時間を表

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/02/04
    ここでもアテンションの話が
  • 「即興の哲学」:Aili Bresnahan "Improvisation in the Arts"(2015) - obakeweb

    「分析美学におまかせ!」シリーズ(いま考えた)、今回は「即興(improvisation)」です。 ノープランで、とっさに何かをやる技法。とりわけ音楽において用いられることの多い「即興」だが、古典的な音楽哲学ではいまいち扱いにくい、というのが今回のポイント。 そんな「即興」をなんとか記述/説明しようという論者たちによって、「即興の哲学」とも呼ぶべきフィールドが形成されている。 今回読んできたのは、アイリ・ブレスナハンによる「芸術における即興」(2015)。 著者はデイトン大学で助教授をされている女性美学者。こちらは、イケてるサーヴェイ論文が豊富なことで有名なPhilosophy Compassに掲載された論文。 英米美学における「即興」研究といえば、ほとんどがジャズ研究だが、ブレスナハンはこれを様々な個別芸術(とりわけ著者の専門?であるダンス)に広げようとしている。 構成としては、第1節、

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/01/29
    “ジャズ〜即興を芸術とみなすのであれば、いわゆる「芸術作品」概念とは異なる説明が必要とされる” そこで美的行為論なのでは/当意即妙って即興の美的質あるよねと思っている
  • 音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソンvsドッド - obakeweb

    ヘッダー画像は5分で作った。 さて、日の話題は音楽作品の存在論。「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」「音楽作品の身分って、なんぞや」みたいな疑問に答えていく分野。 芸術作品の存在論をやっている人たちは、だいたい音楽作品を主題に扱っている印象。やはり、その特異な立ち位置に惹かれるのだろうか……。 日の目次〜! 音楽作品の特徴/我々の直観 音楽作品の存在論的カテゴリー 「タイプ説」―メリット/デメリット ジェラルド・レヴィンソン「指し示されたタイプ(Indicated Type)」説 ジュリアン・ドッド「曖昧なタイプ (Vague Type)」説 音楽作品の特徴/我々の直感「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」 まずは我々の実践/直観に沿った、音楽作品の特徴を挙げてみる。このような記述的な作業から、音楽の哲学は始まるのだ。 反復可能性:同一の作品が、演奏や音源の再生を通し

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  • Playlist:「ファンク・ギターの50年」1965-2018 - obakeweb

    James Brown「Papa's Got a Brand New Bag」(1965) Jimmy Nolen James Brown「Cold Sweat」(1967) Jimmy Nolan James Brown「I Got the Feelin’」(1968) Catfish Collins James Brown「Ain't It Funky Now」(1970) Catfish Collins James Brown「Super Bad」(1970) Catfish Collins James Brown「Sex Machine」(1970) Catfish Collins Sly & The Family Stone「Sing A Simple Song」(1968) Freddie Stone Sly & The Family Stone「I Want to Take

    Playlist:「ファンク・ギターの50年」1965-2018 - obakeweb
  • ファンク・ギターの50年:人物、歴史、スタイル - obakeweb

    ファンク・ギターとはなにか。 僕は学部生のころ、ブラック・ミュージックを専門に演奏するサークルに所属していた。 ファンク・ギタリストとして4年間活動し、改めて思うことがある。 「ファンク・ギターってなんだ?」 折しも分析哲学という「言葉遣いや概念の定義を扱う学問」に携わっている身として、この問題を一身に引き受けようと思った次第。 それから数日、メインで研究している作者性だとかサブで研究しているVaporwaveを放り投げ、驚天動地の熱意でもって書きあげたのが稿である。*1 私見を言わせてもらえば、ファンク・ギターとはベースやドラムやホーンよりもずっとずっとずっと過小評価されているジャンルである。キーボードよりは幾分マシだ。 過小評価でなければ、こう言ってもよいが、だいぶ誤解されているジャンルでもある。あとで後述することになるが、カッティングひとつ取っても、その奏法の質はだいぶ勘違いされ

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/09/15
    "TYPE-E「ディスコ・ギター」" については認識が薄かったので参考になった
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