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Jazzと批評論に関するja_bra_af_cuのブックマーク (8)

  • 「平岡正明論」の再設定――大谷能生×後藤護×吉田雅史 鼎談

    大谷能生による『平岡正明論』が、ele-king booksより5月30日に刊行された。大谷能生にとっては『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』以来の、5年ぶりの単著になる。同書は、ジャズのみならず政治思想、第三世界革命、歌謡曲、極真空手、河内音頭、浪曲などを対象に縦横無尽の思考をハイペースで書き残し続けてきた「戦後最大スケール」の批評家・平岡正明の生涯と著作を丹念に辿っている。2009年に逝去した平岡正明だが、その再評価の機運は高まりつつある。昨年11月に刊行された『ヱクリヲ7』「音楽批評のオルタナティヴ」では、平岡をジャズからHIPHOPへの再接続を企図した後藤護「レアグルーヴ、平岡正明」が掲載され、同特集に参加した吉田雅史もまた当初は平岡正明論を準備していた。 残した著作は120冊を超える、大思想家でもあった平岡正明の可能性はどこにあるのか。大谷能生・後藤護・吉田雅史の3名による

    「平岡正明論」の再設定――大谷能生×後藤護×吉田雅史 鼎談
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/06/22
    大谷: "何と何が似ているというアナロジーは、そもそもそれを考えているセット=前提を忘れることになりがちなんだよね。そのセットをちゃんとした上で語ろう、というすごい教育的な立場で書いている。"
  • 「00年代以前のクラブジャズ」と「00年以降の現代ジャズ」の違い|柳樂光隆

    ※記事が面白かったら投げ銭もしくはサポートをお願いします。 あなたのドネーションがこのnoteの次の記事を作る予算になります。 ■クラブジャズは?現代ジャズとは?すごくざっくり説明すると、 ◎クラブジャズ…「踊らせること」「クラブでDJによってプレイされること」を目的として作られた《ダンスミュージック》 ◎現代ジャズ…「ヒップホップやテクノに影響を受けているけど、踊らせることや、クラブでプレイされることを目的に作られてはいない《ジャズ》 だと僕は考えています。 つまり、クラブジャズは基的にクラブでDJが使えるかどうかな音楽なわけです。逆に現代ジャズは、踊れる曲もある(かもしれない)けど、必ずしもDJ的に使いやすい曲わけではないという違いは重要だと思います。 だから、クラブジャズに関してはDJが使えるかどうかみたいなすごくシンプルな部分が重要だし、そういったルールに基づいて曲が作られていま

    「00年代以前のクラブジャズ」と「00年以降の現代ジャズ」の違い|柳樂光隆
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/05/04
    エレクトロニックな音楽の影響を受けたジャズというのが特徴なら e-jazz と呼んでもよさそう・・・と思ったら既に言われてたみたい:https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュージャズ
  • 中山康樹は何と闘い続けてきたのか?〜中山康樹・最期の著書『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』 - カフェ・モンマルトル

    中山康樹は何と闘い続けてきたのか?〜中山康樹・最期の著書『ウィントン・マルサリスは当にジャズを殺したのか?』 いつものように一気に読ませる筆力のある中山氏の文章は、序章を読むだけでも、このまま最後まで読み進んでしまいたいと思わせるに十分の魅力があります。 しかし、「中山さんの“新刊”もこれで最後か」と思うと、じっくりと時間をかけて味わいながら読もうと考え直し、読書スピードを意識的に落として、結果、読み終わるまでに2日の時間を要しました。 知識面のみならず、十数年にわたり様々な中山さんの著作から滲み出てくる「中山イズム(後述)」が個人的には濃厚に伝わってきました。 (もちろん、テーマは「ウイントン・マルサリス」なので、表現は控えめだけど。) そういった意味では、いろいろと考えさせられることの多いでした。 世代によって異なる受け止め方 まず、書の受け止め方は、読者の「ジャズ観」、というよ

    中山康樹は何と闘い続けてきたのか?〜中山康樹・最期の著書『ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?』 - カフェ・モンマルトル
  • 出発点としての『ジャズの明日へ』(村井康司)、そして中間地点としての・・・ | オラシオ主催万国音楽博覧会

    オラシオ主催万国音楽博覧会 自称「日でただ一人のポーランドジャズ専門ライター」オラシオのブログです。「百文は一聴にしかず」をモットーに、世界有数の豪雪都市青森市から世界最先端の情報をお届けしています。出張CDコンサートのご依頼はaladyhasnoname@ヤフーまでお願いします。 ジャズの明日へ コンテンポラリー・ジャズの歴史 まず最初に恥ずかしい告白をしておく。私は書を、発売当時に新刊で読んだ記憶がある。が、完全に「ディスクガイド」として読んでいたので、このが書かれた意図を全く理解もせず「何だかありがちなものばかり選んでるな~」と感じ、文も一応全部は目を通したが、全然集中していなかった。とどのつまりが、当時の私は「音楽」についてその程度の役割しか期待していなかったのだろう。今なら解る。書はそこに鋭く斬り込んだものなのだと。 このは、正確に言うと、ジャズというものがどういう

    出発点としての『ジャズの明日へ』(村井康司)、そして中間地点としての・・・ | オラシオ主催万国音楽博覧会
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/07/03
    村井~菊地・大谷~大和田俊之のメタ言説的な議論は確かに今日的だし重要だと思う/「言質」という言い方は「言説」とは違うのだろうか
  • 「音楽そのもの」と「言質」の話 - ビリー・コブハムを題材として | オラシオ主催万国音楽博覧会

    オラシオ主催万国音楽博覧会 自称「日でただ一人のポーランドジャズ専門ライター」オラシオのブログです。「百文は一聴にしかず」をモットーに、世界有数の豪雪都市青森市から世界最先端の情報をお届けしています。出張CDコンサートのご依頼はaladyhasnoname@ヤフーまでお願いします。 私は、あるミュージシャンや音楽のジャンルが実質的にどのように変遷して行ったかということより、「どう語られてきたか・捉えられてきたか」ということの方により興味があります。 つまり、どういう音楽(家)であったのかではなくどういう音楽(家)だと言われていたのか。 この辺、時代によって毀誉褒貶の差が激しいミュージシャンに注目すると面白いですよね。 私の好きなアーティストで言うとその代表格はBilly Cobham ビリー・コブハムだと思います。 彼の音楽や演奏を評する際に物凄くたくさん使われるのが「パワフル」とか「千

    「音楽そのもの」と「言質」の話 - ビリー・コブハムを題材として | オラシオ主催万国音楽博覧会
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2013/06/25
    こういうのはフーコー以来「言説」史といわれてると思うのだけど「言質」といってるのはエノンセに力点があるのかな/このコブハム像も90年代くらいからのドラムに関するディスクールに随分影響受けてる感じはする
  • ジャズ喫茶とクラブジャズについて

    きっかけ そもそもは四谷のジャズ喫茶で行われた<いーぐる連続講演 「ジャズ・ヒップホップ・マイルス 追加講習>に端を発します。 中山 康樹 『ジャズ・ヒップホップ・マイルス』 (NTT出版ライブラリーレゾナント) このを受けてヒップホップ、レア・グルーヴ世代のジャズ評論家/ライター柳樂光隆さんが"ジャズ喫茶"との橋渡しをすべく補完的な講演を行いました。 い~ぐるの講演まとめ JAZZとAUDIOが出会うと。。。 EVERYTHING IS EVERYTHING [[オラシオ主催万国音楽博覧会 :http://ameblo.jp/joszynoriszyrao/entry-11518999961.html]] com-post |『ジャズ・ヒップホップ・マイルス 追加講習』と音楽のポストモダン現象 上記のCom-Post記事に対する私の呟きから始まりました。 うぃずやま @wish_mou

    ジャズ喫茶とクラブジャズについて
  • 極私的美学 音楽レヴューを書くということ Part2 | オラシオ主催万国音楽博覧会

    オラシオ主催万国音楽博覧会 自称「日でただ一人のポーランドジャズ専門ライター」オラシオのブログです。「百文は一聴にしかず」をモットーに、世界有数の豪雪都市青森市から世界最先端の情報をお届けしています。出張CDコンサートのご依頼はaladyhasnoname@ヤフーまでお願いします。 ツイッターやイヴェントで今「音楽評論」論が大いに盛り上がっているのを横目に、こちらはこちらで適当なことを書かせていただきます。 ツイッターでは書くよ、書くよと言いつつ(そう書いている時は何だか思考の言語化が盛り上がっているのですが、その後ぐちゃぐちゃになる、というパターンなのです)ちっとも続きを書かない、裏テーマは自称「書く書く詐欺」なシリーズです(笑)。 お待ち下さっていた方がいらっしゃいましたら、期待はずれなペースで当に申し訳ありません。 以下題です 音楽ライターが書くものにはおおまかに分けて評論・ラ

    極私的美学 音楽レヴューを書くということ Part2 | オラシオ主催万国音楽博覧会
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/07/24
    現状分析としてはそのとおりだろうと思う。理念的(本来あるべき/目指す方向的)にはどうなんだろうなー。
  • エリック・ドルフィーの「凄さ」について(~音楽の批評/研究)

    オラシオ@初の単著「図書館ウォーカー 旅のついでに図書館へ」増刷しました @poljazzwriter 中学一年で父親にドルフィーを爆音で聴かされ音楽に開眼した変態の言うことなんかあてにならないでしょうがw、しかしドルフィーのあの圧倒的なアドリブを聴いてなお、やはり彼の音楽の主題はコンポジションやフォーム作りだったのではないかと思っています。 2012-06-04 00:35:43 オラシオ@初の単著「図書館ウォーカー 旅のついでに図書館へ」増刷しました @poljazzwriter @kazz16 私の妄想では、ポーランドのコメダとドルフィーはお互い生きていればいずれ接触していた可能性が大変に高いのですよ。二人の共演が聴きたかったですね~。ドルフィーのあのアドリブの壊れぶりは、多分彼の微妙にスペースがあいたコンポジションと密接な関係があると思っています 2012-06-04 00:42:

    エリック・ドルフィーの「凄さ」について(~音楽の批評/研究)
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/06/13
    現実問題として読み物としての批評と演奏家的研究と音楽学的研究とが別々になってるのは確かなんだろうけど、(理念的に)目指すところが別々であるべきなのかどうか。
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