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内田樹に関するjiangmin-altのブックマーク (40)

  • 特別顧問就任 - 内田樹の研究室

    先週の金曜に、大阪市役所で大阪市特別顧問の委嘱式というのがあった。 平松邦夫市長から、「委嘱状」というものをいただく。 そのあと市長といっしょに記者会見。 特別顧問就任の「抱負」をどうぞと市長からいわれる。 考えてみれば、そのようなことを言わなければならないに決まっているのであるが、促されるまで、何も考えていなかった。 市長からの依頼は、「ときどき会って、美味しいものでもべながら、あれこれ話きかせてください」というきわめてアバウトかつフレンドリーなものであったので、改めて「抱負を」と言われて困ってしまった。 市長からはとくに教育方面についての助言をいただきたいとお願いされていたのであるが、ご存じの通り、私の年来の主張は「政治教育に介入してはならない」というものである。 政治とマーケットとメディアは教育に口を出さない方がいい。 というのは、私の年来の主張である。 教育のことは現場に任せて

  • 思考停止と疾病利得 - 内田樹の研究室

    政治向きのことをブログに書くと、しばらく接続が困難になるということが続いている。 べつにサイバー攻撃とかそういうカラフルな事態ではなく、一時的にアクセスが増えて、「渋滞」しちゃうのである。 それだけ多くの人が政治についてのマスメディアの報道に対してつよい不信感をもっており、ミドルメディアに流布している現状分析や提言に注目していることの徴候だろうと私は思う。 今回の普天間基地問題をめぐる一連の報道によって、私は日のマスメディアとそこを職場とする知識人たちはその信頼性を深く損なったと思っている。 新聞もテレビも、論説委員も評論家も、「複雑な問題を単純化する」「日の制度的危機を個人の無能という属人的原因で説明する」という常同的な作業にほぼ例外なしに励んでいた。 ほとんどのメディア知識人が「同じこと」を言っているのだから、「他の人と同じことを言っていても悪目立ちはしないだろう」という思考停止が

  • 高橋源一郎さん渋谷陽一さんと乃木坂でイタリアンを食べつつ小沢一郎について語る - 内田樹の研究室

    早起きして、何通か手紙を書き、メールに返信し、締切をすぎた原稿を必死で書き(こればっか)、朝ごはんをかき込んで、銀行へ。 土地の登記をするのである。 そう、私はついに道場用地を買ってしまったのである。 JRの駅の北側、85坪。 「私が買った」というより、「内田家のみなさま」のご支援により「たなぼた」的に手に入ったという方が正しいのであるが、それも私が常日頃から「道場が欲しいなあ」と神経症的につぶやいていたのを、母や兄が憐れに思って、「そこまで言うなら、望みをかなえてやろう」ということになったのである。 お母さん、お兄さん、ありがとう。 道場の体の方は私の責任で建てなければならないのであるが、土地購入に貯金のほとんどをはたいてしまったので、これからまたこつこつ貯めないといけない。 でも、多田塾甲南合気会の会員たちは餌を、待つひな鳥のように口を開いて「どーじょーどーじょー」とさえずっているの

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    jiangmin-alt 2010/03/05
    "私はついに道場用地を買ってしまったのである。 JRの駅の北側、85坪"
  • 講演したり聴いたり - 内田樹の研究室

    まだ風邪が癒えない。 鼻水がじゅるじゅる垂れて、ときどき咳き込むが、それ以外はまあ標準的である。 バジリコから『邪悪なものの鎮め方』の初校ゲラが出る。 タイトルはむかしの企画の流用だが、中身は「コンピレーション」。 ただし今回は「霊」や「呪い」やその解除についての逸話が「狂言廻し」のような役割を果たして、テクストを繋いでいる。 自分でいうのもなんだけれど、たいへんに面白い。 ゲラを読み始めたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。 これはやはり編集の妙というべきであろう。 読んでみてわかったのは、私が「同じ話」ばかりしているということである。 自分では気づかないのだが、たしかにブログには同じ話ばかり書いているようである。 注文原稿の場合は、同じ話の使い回しは原則的にはできない。 二重投稿というのは、プライオリティが重んじられる世界では禁忌だからである。 でも、ブログは別にそういう「しば

    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2009/10/31
    "読んでみてわかったのは、私が「同じ話」ばかりしているということである。 自分では気づかないのだが、たしかにブログには同じ話ばかり書いているようである"
  • 「2割」で戦えば、8割の「負けしろ」が使える:日経ビジネスオンライン

    連載の単行タイトル、「人生2割がちょうどいい」。その心は、「できることの幅は、勝率ではなく、負けられる幅で決まるから。弱者というのは、この負けしろが少ないという人。基的に負けられない人です」--。『ア・ピース・オブ・警句』で大人気の小田嶋隆と、内田樹先生の暴走販売促進対談、スタート! 内田 僕は長いファンなんですよ。「シティロード(1972年から93年まで発行されていた、東京の情報誌)」に連載していた『我が心はICにあらず』からですから、最初期から、ということですよね。まだ単行が出る前ですから。 小田嶋 もろ初期ですよね。 内田 70年代。めったな人は読んでないですからね。 ―― ちょっと言葉を変えれば、変わり者ということでもありますよね。なぜ、とうかがってよろしいですか。 内田 「シティロード」の欄外か何かの、ものすごく小さいコラムだったんですけど、文章の際立ち具合がすごかったで

    「2割」で戦えば、8割の「負けしろ」が使える:日経ビジネスオンライン
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2009/06/21
    アル中の話。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    先日、テレビの取材が来た。なんか恋愛について意見を聞きたいというので、ビデオを持ってのV取材で、昼ごろ自宅に、初老のディレクターとカメラマンと二人で来た。 台所にカメラを据えて、私がタバコを吸いながら話していると、ディレクター氏、「それじゃあ、一服してから」と言う。「何言ってんですか、私が喫煙してない映像なんか撮らせるわけないでしょう」とまでは言わなかったが、「ダメですよ、私は吸いながらでないと話せないんですから」と言った。ディレクター氏、「いやあ最近はタバコはうるさくて」と言う。カメラマンも「僕も吸うんですが、肩身が狭くて」と言う。そんなこと私には関係ないのだ。私が渡した名刺は、最近作ったもので、「禁煙ファシズムと戦う会代表」と書いてある。 それでそのまま撮影が始まったのだが、ディレクター氏、私が、非喫煙映像を拒否した時点から挙動不審で、「今の話を、こうまとめて下さいませんか」と二、三度

    ■ - jun-jun1965の日記
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2009/06/15
    "内田ジュ先生が再婚されたらしい。新婦友人・大江麻里子という英文学者は1968年生だから、40くらいの人かな。能楽をやるお方らしい。鶴田欣也先生は、末期がんと分かってから三度目の結婚をした"
  • 福翁の「はげしい」勉強法 (内田樹の研究室)

    文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基」と明記し、教える英単語数も4割増とする。 高校の改訂案では英語で教える標準的な単語数が1300語から1800語に増加。同様に増える中学とあわせて3千語となる。中高で2400語だった前回改訂の前をさらに上回り、「中国韓国教育基準並みになる」という。 改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。(12月22日朝日新聞) 水村美苗さんの『日語が亡びるとき』を読んで、「英語の言語的一元支配」が「現地語文化」をどのように滅ぼすことになるのかについて暗い予測をしているときに、こういう記事を読まされると、ほんとうに気が滅入る。 すでに現在の日の高校生の英語学力は壊滅的なレベルにある。 それは「文法、訳読中心の授業のせいで、オー

  • こんな日本はいつまで続く? - 書評 - こんな日本でよかったね : 404 Blog Not Found

    2008年07月25日21:00 カテゴリ書評/画評/品評Culture こんな日はいつまで続く? - 書評 - こんな日でよかったね バジリコ社安藤様より献御礼。 こんな日でよかったね 内田樹 よく考えると、著者のを献いただくのははじめてかも知れない。 今までの「内田樹blog」の中では、最もよくまとまった、いやよくまとめた一冊である。よくまとめてあるだけあって、blogそのものを読むよりも圧倒的に速く内田樹の思想を理解できる--その耐えられない軽さをも含めて。 書「こんな日でよかったね」は、"Yet Another 内田"である。養老孟司と同様、どのも同工異曲であるのが内田の特徴であるのだが、それだけに、そのの差は著者というより編集者の差であり、そして今まで読んだ中では最もよく編集された一冊であると感じた。 目次 - basilico - こんな日でよかった

    こんな日本はいつまで続く? - 書評 - こんな日本でよかったね : 404 Blog Not Found
  • そろそろワンパターンに気付くべき - hasenkaの漂流記

    誰か教えて - 内田樹の研究室 これに対する批判が少し盛り上がっているが。彼の言動はいつも同じパターンを踏んでいる。要するに彼は今回の上映禁止は酷いよと主張したいだけなのである。でそこに何の材料を持って来るかは後は連想ゲームの世界である。そういえば前にも似たような事がと頭に浮かび、日教組のホテル集会が中止になった事、ホテルと言えば感動的話があったよな、そうそうルワンダ、ホテルルワンダ。そんな事が0.1秒くらいに思いつき、じゃあこれとそれをああしてこうすればどうだ立派な批判文のできあがりとそうなったに違いない。社会批判製造機としてはこんなの朝飯前なのだ。パッと思いついた事を文にしてみました。こんな0.1秒で思いついた文章を批判しても時間の無駄。要は今回の上映禁止は余りにもだらしないという想いだけを受け取ってあげればいいのであって後は付け足しでどうでもいい事なのである。要は今回の事件に対しての

    そろそろワンパターンに気付くべき - hasenkaの漂流記
  • インサイダー取引についての誤解 - 池田信夫 blog

    私のRSSリーダーには、日のブログは5つしか入っていないので、それ以外は読まないのだが、その1つであるdankogai氏からのTBで、また内田樹氏の変な記事を読まされたので、簡単に事実誤認を訂正しておく。 まず今回のNHK事件が「モラルハザード」だというのは誤りである。これはウィキペディアに書かれている通り、「プリンシパル・エージェント関係において、エージェントの行動について、プリンシパルが知りえない情報があることから、エージェントの行動に歪みが生じ、効率的な資源配分が妨げられる現象」をさす。つまり契約の一方の当事者が、隠れて相手の利益に反する行動をとることであり、市場にプリンシパルはいないので、今回の事件はモラルハザードではない。 したがって以下の記事はすべてナンセンスなのだが、他にも間違いが多い。「インサイダーはアウトサイダーとの情報差を利用して金儲けをしてはいけないという常識

  • モラルリストラの必要性 : 404 Blog Not Found

    2008年01月19日19:45 カテゴリCodeTaxpayer モラルリストラの必要性 120%同意。 モラルハザードの構造 (内田樹の研究室) モラルハザードというのは「マルチ商法」に似ている。 自分はつねに「騙す側の人間」であり、決して「騙される側の人間」にはならないという前提に立てば、マルチ商法は合理的である。 騙される側の人間が無限に存在するという前提に立てばこの推論は正しい。 であるが故に、追補の必要性を強く感じたのでentry。 まず、アンダーアチーバー(underachiever)とオーバーアチーバー(overachiever)の定義について。あるいは「弱者」と「強者」の定義について。私が内田樹に違和感を感じるのは、これらが一個人に対して全体的、あるいは積分的に使われているように見受けられることである。 しかし、「弱者」と「強者」は、実のところは極めて局所的かつ微分的な概

    モラルリストラの必要性 : 404 Blog Not Found
  • 変革が好きなわけじゃない、それしか選択肢がないのだ : 404 Blog Not Found

    2008年01月09日19:30 カテゴリCulture 変革が好きなわけじゃない、それしか選択肢がないのだ それが、今時の若者達のラフコンセンサスだ。 変革が好きな人たち (内田樹の研究室) 社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。 120%同意である。 それでは、どんな時に「一気」、いや「一揆」となるのか? 「ぼちぼち」をさぼり続けて来た結果、にっちもさっちも行かなくなった時である。 それでは日がさぼってきた「ぼちぼち」は一体なんだったのか? 「若者はコモディティである」という考えからの脱却である。 それがうまく回らなくなることは、すでに1970年代には明らかになっていた。にも関わらず、この国はコモディティとしての若者の供給が潤沢であるという前提のもとに進んで来た。公共事業しかり、年金しかり。 それでも、まだ団塊ジュニアの数が少なくなく、彼らの生産性が高く、そし

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    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2008/01/09
    "「ぼちぼち」社会をよくしたかったら、「ぼちぼち」逝ってくれないと"
  • 一つ謎が解けた - hasenkaの漂流記

    いつも話題になるブログに内田樹の研究室というのがある。いつもこの人は独特の視点というか、どうでもいい所を微に入り細に入り突いて溜飲を下げさせるのが得意だなと思ったのだが今日秘密が分かった。それは下記のエントリで柳北という人の一文を引いているがどうやらその影響であるらしい。 九条と柳北 - 内田樹の研究室 「仙史此の編を草するの際、一客偸かに之を読み額を蹙め眉を攅めて曰く、子の書は世教に益なくして徒に人を罵詈す。無用の文を作つて以て世の怒りに触る。何の故に狂愚此の若きの事を為す也。子其れ悔有らん乎。仙史笑つて曰く、吾は固より無用の人なり。何の暇か能く有用の事を為さん。」 よく分からない所もあるけれど要するに、「仙史という人がこの文を書いたとき、一人の客人がこの書を読んで眉をひそめて言った、この書は世に教える所なくて人の悪口ばかり書いてある。役立たずの文を作って世の怒りを買う。何のためにこんな

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  • いちいち叩いていたら身が持たないが - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    マスコミ界でやたらに威勢がいいらしい人がブログでこんなことを http://blog.tatsuru.com/2007/09/21_1501.php 『文藝春秋special』に書いたものらしい。 >ある年代から上にとって、「やりがいのある仕事」というのは、「どこかで誰かの役に立っている仕事」のことを意味している。おのれ労苦の「受益者」がどこかにおり、その笑顔や感謝を想像することが労働のモチベーションを担保する。それが「やりがい」という語の意味だったはずである。 だが、この定義は若い世代にはもう適用できない。というのは、今ではどうやら個人の努力がもたらす利得を「私ひとり」が排他的に占有できる仕事のことを「やりがいのある仕事」と呼ぶ習慣が定着しているようだからである。 「受益者が私ひとり」であるような仕事を「やりがいのある仕事」と呼ぶ不思議な労働観が生まれたのにはもちろん理由がある。それは「

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  • 属人論法でしか納得できない課題 : 404 Blog Not Found

    2007年09月25日00:00 カテゴリValue 2.0 属人論法でしか納得できない課題 人を選ぶ台詞がある。 「何を言ったか」が正しくとも、「誰が言ったか」が正しくなければ正しく聞こえない台詞だ。 この夏最後の出稼ぎツアー (内田樹の研究室) 私たちが労働するのは自己実現のためでも、適正な評価を得るためでも、クリエイティヴであるためでもない、生き延びるためである。成人の労働ができるだけ多くの他者に利益を分配することを喜びと感じるような「特異なメンタリティ」を私たちに要求するのは、それが「生き延びるチャンス」の代価だからである。この代価は決して高いものだと私には思われない。 これは、まさにそれにあたる。 なぜこの台詞が先生たちを感動させても、生徒たちをしらけさせるかといえば、失礼ながら内田樹はこの台詞を吐くのにふさわしい人ではない、と見なされているからだ。それが、以下の主張である。 雑

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  • 曹達泉 格差社会考

    内田樹がご自身のブログで格差社会って何だろうという文章を書いている。 今回この人の意見を読んでみて強く感じたのだけど、もう内田樹は格差社会について発言しないほうが良いと思う。言っていることが間違っているからではない。内田はおそらく「カクサ」「カクサ」とうるさい連中に冷や水を浴びせるつもりで書いたつもりなのだろうけど、結果としては火に油を注ぐことになっているからだ。 内田は次のように言う。 「格差社会」というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ「金の全能性」が過大評価され、その結果「人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会」 のことではないのか。 人々はより多くの金を求めて競争する。 競争が激化すれば、「金を稼ぐ能力」の低い人間は、その能力の欠如「だけ」が理由で、社会的下位に叩き落とされ、そこに釘付けにされる。 その状態がたいへん不幸であることは事実であるが

  • 祭りの戦士 @Bangkok 亡霊退治5 「文化」とは肯定された生の姿である

    前回のエントリーで僕は、「芸術における表現の自由」と「芸術表現からの自由」という二つの問題のうち、前衛(戦士)にとって課題とすべきは後者であり、もはや前者は冷ややかに突き放さなければならない問題にすぎない……と主張しましたが、美術館(当然、そこは権力に貫かれた空間である)などでタテマエとなっているはずの芸術表現の自由とはすなわち、権力はあらゆる多様な芸術表現を認める、ということです。しかしこの自由とか多様とかいう言葉がくせ者で、あくまでもそれは「芸術」の枠の中での自由であり多様なのです。  あるアクションが当に自由であり多様であるのならば、それは現行システムの枠をはみ出すポテンシャルを持っていておかしくない。しかしそれが芸術表現(作品)として生の持続から切り離されたとたん、それは商品化が可能になり、資の論理の中に取り込むことができるようになります。つまり「芸術」は資主義の権力にとって

  • 私家版・内田樹論 - 書評 - 私家版・ユダヤ文化論 : 404 Blog Not Found

    2006年09月14日06:00 カテゴリ書評/画評/品評 私家版・内田樹論 - 書評 - 私家版・ユダヤ文化書を読んで、やっと内田樹に対して感じていた違和感の正体がつかめたように思えた。 私家版・ユダヤ文化論 内田樹 結論から言うと、こうなる。 404 Blog Not Found:書評が悪くてすみません-北斗柄さんのコメント 内田先生のブログで風水の話が出たときに感じたのは、この人もまたfashionable nonsenseなポモだなということでした。内田先生の文章に、実は私は共感することが多い。なぜなら、 ためらいの倫理学 pp.349 [自分の文章は]ほとんど「同じこと」を、手を換え品を換え、執拗なまでに繰り返し主張していることがよく分かった...それは何かと言われても、さすがに一言ではうまく言えない。無理して言えば、それは「自分の正しさを雄弁に主張することができる知性より

    私家版・内田樹論 - 書評 - 私家版・ユダヤ文化論 : 404 Blog Not Found
  • 証明問題とニセ科学 - 赤の女王とお茶を

    さて、内田樹を巡って何度かお話した結果、どうしても言葉のかみ合わない方が「数学屋のメガネ」のid:khideakiさんです。 前回http://d.hatena.ne.jp/sivad/comment?date=20060316#c、「khideakiさんの問題は、自分または内田氏に都合のよい解釈だけを持ってきて「論理的だ」とおっしゃる点です」と書いた説明をお望みなので、それに関連してちょっと書いてみます。 例えば典型的なのが以下のような論法です。 http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20060318/1142642494 <「労働」は「贈与」である> という主張は、その批判者には合理的なものとして受け取られていないのだろうか。この主張を合理的なものと受け止めれば、その合理性の中に、例えば現実とは重ならない部分があるとか、前提としている条件がおかしいとか、論理的な

    証明問題とニセ科学 - 赤の女王とお茶を
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2006/03/20
    なるほど!
  • 祭りの戦士 @Bangkok 資本主義社会における贈与とは反抗することである

    不快という貨幣 (内田樹の研究室)  やはり働かない若者がお気に召さないのだとしか思えません。もう内田先生のブログは自分のRSSリーダーからはずして久しいのですが、やはりどこかから目に入ってきてしまうんですね。で、最近忙しいこともあって、少しネットから距離を置こうというとしているにもかかわらず、こーゆー文章を目にすると古い刀傷が疼くというか、やはり僕が一つ釘を刺しておかないといけないのじゃないかという使命感にかられてしまいます(笑)。  ま、冗談はともかく……セクハラ・アカハラの増加の原因は若者のコミュニケーション不全にあるだとか、学びから逃走する者が資主義を暴走させるだとか、気にくわない奴を吊るし上げる排除の思考が得意な内田先生は今回、なぜ若者が学びや労働から逃避するのかという問題に一つの仮説で答えています。 私の仮説は、「労働から逃走する」若者たちは、大量の「不快の債権者」としてその