宅八郎が死んだそうだが、ごく当たり前に総括しておきたい。インターネットが普及する前はライターがいろんなことを自力で調べ資料も集め、それをまとめて文章にしていたのだが、今日ではそんなことをする必要はない。集合知で十分である。あるいはインターネットの黎明期においては、一個人がホームページを作って大量の知識を開陳していることもあった。infoseekが閉鎖されたことでそういうホームページも塵芥になってしまったが、そういう知識自体はWikipediaなどの集合知に回収されている。不特定多数で断片的な知識を積み上げることで人間知性が向上したとは思えないが、その手の人海戦術で個人は根絶やしにされた。個人のライターが新しいことを掘り出しても、引用されることでその集合知に呑まれてしまうし、そもそも人跡未踏の地はないのである。そしてそうなると、一個人の知識というのはちっぽけになる。宅八郎が死んで美化されてい