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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (13)

  • 無礼にならずに「なめる/なめられる」から降りるのは難しい - シロクマの屑籠

    p-shirokuma.hatenadiary.com 昨日の「なめる/なめられる」についての雑談は多くの人に読んでいただき、はてなブックマーク等で多くのコメントをいただき、勉強になりました。ただ、そこを眺めていて「なめる/なめられる」の構図から降りていると言っている人、自分は他人をなめることがないと言っている人も少なくなく、考え込んでしまった。 「そんなに簡単なものだろうか」、と。 まずはじめに断っておくと、「なめる/なめられる」が遅れた風習でしかない、と考えるのは間違いだ、と私は思う。 「ブラックで」「遅れた」場所にだけなめる/なめられるがあると思うのは違うと思います。「ホワイトで」「進んだ」場所にもあると思ってかかるべきでしょう。 なめる/なめられるが表出されるかたちが異なるだけで。 たとえば政治的に正しい「なめる/なめられる」もありますよね?しらんけど— p_shirokuma(熊

    無礼にならずに「なめる/なめられる」から降りるのは難しい - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/11/01
    「降りる」とは案件
  • 『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』から始める歯切れの悪い意見 - シロクマの屑籠

    この文章は、歯切れが悪い話として受け取っていただきたいし、少なくとも私はそう読んでもらえたらと願いながらこれを書いている。 歯切れの悪い話とは、アニメや漫画に登場する、なにやら依存症や精神疾患に当該しそうな登場人物の描写について色々と言う人についての話だ。たとえば最近では、『ドカいダイスキ!もちづきさん』や『ぼっち・ざ・ろっく!』の登場人物が特定の依存症や嗜癖症に該当していることを指摘し、そのうえで「だから表現として良くない、ひっこめろ、書くな、見せるな」、といった意見を見かけることがある。 こうした意見に近いものとして、昔から「非行を描くな」「飲酒喫煙を描くな(またはゾーニングせよ)」といったものがあったが、この文章では、そこまで風呂敷を広げるつもりはない。確かに隣接する問題ではあるけれども、今回は、あくまで依存症や精神疾患に当該しそうな行動が描かれているキャラクターや作品に絞って私の

    『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』から始める歯切れの悪い意見 - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/09/17
    もちづきさんみたいな表現を否定するアホには近づかない一択。おそらく一定数被害者妄想全開野郎が含まれてて危険極まる。試金石みたいな感じにはなるかも。
  • 低感情社会、皆がニコニコしていなければならない社会 - シロクマの屑籠

    p-shirokuma.hatenadiary.com 先週、怒鳴り声がどんどん社会のなかでストレスフルなものとみなされるようになり、他人に害をなすものとして浮かび上がってくる話をした。昭和時代には怒鳴り声、ひいては大きな声が溢れていたが、令和時代の日社会はそうではない。令和の日人は、自分が怒鳴られると大きなストレスを自覚するのはもちろん、ただ怒鳴り声が聞こえただけで大きなストレスを自覚する。 だが、振り返って考えてみると、怒鳴り声だけがストレス源として社会のなかで浮かび上がっているわけではない。およそストレス源となりそうな感情表出ならなんでも、交感神経を亢進させる感情表出ならなんでも、忌むべきストレス源とみなされ、できるだけそれをなくすよう、なくせなければ迷惑であり危害であり排除すべきもののように扱われる。 たとえば泣き声などもそうだ。職場では、怒鳴っている人が浮かび上がるだけでなく

    低感情社会、皆がニコニコしていなければならない社会 - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/09/04
    あーこれよく想像するやつだわ
  • RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp 「郊外都市には文化が無い」、というタイトルの文章がはてな匿名ダイアリーを読んだ。 タイトルが、なんだか大きな釣り針だ。ただし、この名古屋近郊に住んでいる筆者はあるていど誠実だ。というのも、 この街の文化と呼べるものに触れ合った記憶が無い。 生まれも育ちもここなのに郷土史とか一切知らねえ。 名古屋やその近郊に文化が無いと言い切っているのでなく、名古屋やその近郊の文化を自分は知らない、と書いているからだ。 たとえば自宅と職場とショッピングモールだけを往復している生活をしていたら、自分の暮らしている場所の文化についてロクに知らないこともあるだろう。交通網が発達し、地域共同体への依存度が低いニュータウンで暮らしていれば尚更だ。 それについて、名古屋を街歩きした時を思い出しながらちょっと書いてみる。 名古屋近郊の住宅地には文化が[無い|ある] まず、名古屋近郊のg

    RE:郊外都市には文化が無い (……本当に?) - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/07/12
    文化が人の集まりで形成されるものだとしたら、それはもう場所に縛られないものになりつつあるからな。
  • 「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠

    最近、忙しくてブログがなかなか書けないなか、面白そうな話題がTLを駆け抜けていった。togetterに、それがまとめられている。 togetter.com 「昔の方が暴力が横溢していたのに、なぜ今になって不登校やひきこもりが増えているのか」について、いろんな人がいろんな意見を述べている。不登校、というのも意外に新しい概念で、昔は登校拒否という言葉が使われていて、それ以前には、農業手伝いなどの理由で親が子どもに学校に通わせない、なんてこともあった。昭和の終わりになっても、田植えや稲刈りの時期になると学校を抜けて家業を手伝うクラスメートがいたものである。もちろん、今日の不登校においては農業手伝いのために学校に行かない・行けないという事情は滅多になくなっているだろうけれども。 で、不登校については、増加し続けている。少しネット検索してもらえれば右肩上がりのグラフにいくらでも出会うはずだ。コロナ禍

    「ひきこもり」は現在も増え続けているのか? - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/06/10
    女性の比率が1/4から1/2に増えたようだが調査方法が全然違うので何とも言えないという話
  • 『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠

    人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書) 作者:熊代 亨早川書房Amazon 先日、大和書房さんから『「推し」で心はみたされる? 21世紀の心理的充足のトレンド』が発売されたばかりですが、今度は早川書房さんから『 人間はどこまで家畜か: 現代人の精神構造 (ハヤカワ新書)』という書籍を発売していただくことになりました。 私がつくる書籍には2つのタイプがあって、ひとつは、現代人が心理的にも社会的にもうまく適応していくためのメソッドに重心を置いたもので、1月に発売された『「推し」で心はみたされる?』はその典型です。もうひとつは、現代社会という巨大なシステムがどんな構造や歴史的経緯から成り立っていて、私たちにどんな課題が課せられ、どういった現代特有の生きづらさを生み出しているのかを考えるタイプの書籍で、2月21日発売予定の『人間はどこまで家畜か』は後者のタイプにあたります。 同

    『人間はどこまで家畜か:現代人の精神構造』が出版されます - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2024/02/01
    『人間はどこまで鬼畜か:人新生のサルの精神構造』だったら秒でポチったけどな。家畜とか被害妄想も甚だしい。どう考えても加害者の側面の方が強いもの
  • 「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

    今の10代の人の間で、「ゼロ年代のいにしえのインターネットへの憧れ」がそこそこ共有されているっぽいのに最近気づいてる— highland (@highland_sh) 2023年12月18日 highlandさんの上掲投稿を見かけて、その少し前に読んだ00年代のブロガーの文章を連想せずにはいられなかった。 amamako.hateblo.jp gothedistance.hatenadiary.jp 未経験な世代の憧れを牽引し、その時代を経験した世代も懐古的に当時を語る、その00年代のインターネットとはどういうものだったのか? 私も思い出したくなったので少しだけ書く。 「当時のインターネットは良いことづくめじゃなかった」という一面 この問題について、同じくhighlandさんは絶対に無視できない一面にも触れている。 おもしろい個人サイトとか、フラッシュ動画とか、2ちゃんの面白コピペとか見て

    「いにしえの00年代のインターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2023/12/21
    別に勝手に自由にやっていればいいんやで
  • 誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠

    今回の内容は、以前にも誰かが書いていたかもしれない。でもこれから私が書くことを一字一句違わず書いた人はいないはずだから、誰かに届くかもと期待しながら記してみる。 インターネットの普及期と現在を比較して、違っているところを挙げるとしたら何が挙がるだろう? アングラ感の強弱。インターネットの多数派がどんな人なのか。コミュニケーションの主な手段がウェブサイトかブログかSNSか動画か。挙げれば色々ある。 今日、まとめたいのは「誰もが表現者になれる時代の終わり」についてだ。 インターネットではさまざまな新しいネットサービスが流行っては廃れを繰り返してきた。そして共通点がある。どのサービスでも、流行期には「誰もが表現者になれる」という夢が薄らぼんやりと漂い、それに釣られて集まってくる人々がいた。 90年代から00年代のはじめはウェブサイトの時代だった。この頃インターネットをはじめたアーリーアダプターた

    誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ - シロクマの屑籠
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    jintrick 2023/08/30
    「誰もが」「表現者」「時代」「終わってる」それぞれ定義のあやふやな単語で、それらを連ねて一体何が言えるのか目眩がしたので読んでない(はてな非推奨行為)
  • 40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

    2023年度のGWも終わって、何というでないけれどもくたびれている。このままギアを落とさず5月をやっていくのかーと思うと気分が晴れない。五月病など、あってはならないことだ。 仕事と原稿と家庭に忙殺される日々を振り返って、思う。ああ、すごくできることが増えたけれども、すごくできることが減ったなぁ、と。以下に書くことがすべての中年に当てはまるとは、私も思っちゃいない。けれども私のようなパターンにはまる中年もいるはずだし、そういう人には刺さるかなと思って、四十代後半になった一人の人間の成長と限界について書き置きしておく。 「中年の成長の限界」の予想と現実 私は昔から成長の限界について考えるくせがあって、もう20代の頃から自分の限界はどこなのか、もし限界が来るとしたらどう身を処すべきか意識してきた。不安だったのだろう。というか今でもまあまあ不安だ。 そうして20~30代の頃に想像していた「中年の限

    40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠
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    jintrick 2023/05/12
    多くを知って多くに興味を持ち、それらの多くにリーチできる環境が年々整えられてきているのだから、年を取るとともに時間が目減りして当然、か。すさまじい量の情報が入ってくるから、ふるいにかける力量が必要だな
  • 時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠

    今の世の中、自分のアタマで考えないほうが良いターンになっていると思いませんか。 犬も歩けばフェイクに当たる これはアウト。 物理的にありえない水の動き、現実的ではない家の配置、画質と画像サイズ。AIが作成した写真です。 熊地震の際にライオンが逃げたとフェイクニュースを流した人と同様で、災害時に不安を煽るデマを流している。通報しました。 なお、ライオンの件投稿した男性は後に逮捕されています https://t.co/WRRKb1xrWy— なかむらすばる🌻紅楼夢【き03-b】 (@subaru_chen) 2022年9月26日 先日、静岡県の水害のフェイク画像がツイッター上に流された。ある者はそれを物と思って拡散し、別の者はフェイクだと疑って拡散を思いとどまったり、疑問の声をあげたりした。自分のタイムラインではこれに引っかかる人はいなかったように見えたけれど、皆が皆、引っかからずに済ん

    時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2022/09/27
    「誰に(何に)委ねるか」は自分で考えられるようにならないとなッ
  • ロボットやアリとして「現代人らしく生きる」ということ - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp 冒頭リンク先の文章は、結婚や子育てをするでなく、仕事→給料→趣味という生活のうちに自己実現が欠如している、その実存的悩みを吐露したものだ。 文中から察するに、結婚や子育てが自己実現の一環をなし、実存的な悩みを解決してくれるような期待が仄見えるし、それは結婚や子育てをしていない人に起こりやすい期待かもしれない。その一方、世の中には結婚や子育てが自己実現の一環をなさず、承認欲求や所属欲求を獲得する糸口にすらならず、重荷になっている人もいる。 だからこの文章の重心は自己実現とその欠如、自分のためにでなく誰かのために生きざるを得ない(または生かされている)ことの虚しさや交換可能っぽさやBOTっぽさ、なのだろうと受け取った。 こうした問いかけに、ポジティブな回答を提供するのも不可能ではない。実際、ついているはてなブックマークコメントをみれば様々な考えが述べられてい

    ロボットやアリとして「現代人らしく生きる」ということ - シロクマの屑籠
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    jintrick 2022/05/07
    ”資本主義に適合する詩”
  • 昭和の日、繊細になりゆく令和の秩序について考える - シロクマの屑籠

    今日は昭和の日だが、最近、私のツイッタータイムラインには昭和時代の漫画表現のおおらかさ、フリーダムさに驚いている投稿がよく飛び込んでくる。 48年前の少年ジャンプに載ってた『漫画ドリフターズ』を読んでたんだけど、最高に表現が自由すぎる。 pic.twitter.com/ir2bbk4uB4— hisabilly (@x_hisabilly_x) 2020年4月27日 『あらしのエース』という恐ろしい漫画が流行っているようなので、皆さんには是非とも6巻の途中までは曲者揃いのメンバーがアメフトに青春を燃やす『5ヤーダー』を読んで欲しいですね。一癖も二癖もある少年たちの青春模様が爽やかかつ熱く描かれるとても良いスポーツ漫画です。6巻の途中までは。 pic.twitter.com/rR0tngnnUl— スーパーセクシーアカウント (@1gho) 2020年4月26日 自粛の最中だから漫画を読む人

    昭和の日、繊細になりゆく令和の秩序について考える - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2020/04/30
    メンタルがどんどん豆腐化していくのはガチ
  • 「健康は道徳、不健康は不道徳」 - シロクマの屑籠

    昨今のインターネットでは、何が正しくて何が正しくないのかについて、言い争いが続いている。 それは狭い意味での"ポリティカルコレクトネス"に留まらない話で、たとえば特定のメディアコンテンツの趣味の良し悪しについてだったり、自転車運転や自動車運転についてのマナーについてだったりする。 そうした正しさを巡る言葉の揺らぎを眺めていて、数年前から気になって、時間が余った時に調べものを進めていることがある。 それは不健康と不道徳についてのものだ。 2018年現在、健康を損ねているからといって、その患者さんが不道徳とみなされることは一般に無い。交通事故に遭って怪我をした患者さんや、先天的な疾患傾向によって健康を損ねざるを得なくなった患者さん、癌や認知症といった難しい病気によって健康を損ねざるを得なくなった患者さんが、そのことを理由として不道徳な人間だと扱われる心配は無い。 ただし、自己選択によって不健康

    「健康は道徳、不健康は不道徳」 - シロクマの屑籠
    jintrick
    jintrick 2018/10/23
    大丈夫。全く心配はいらない。傍観者たるマジョリティたちに禁欲は無理。自堕落不摂生不健康を謳歌するだけだ。
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