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ブックマーク / kame710.hatenablog.com (17)

  • 2017.10.29 『内田樹の生存戦略』⑤ - カメキチの目

    カメキチの目 Q 日中、日韓の関係を修復する秘策はあるのでしょう か? A 外交、国防の政策決定権がない日に関係修復力はない。 外交交渉というのは譲歩できるところは譲歩し、譲れないところは譲らないというかたちで、すり合わせていくしかありません。単純で時間のかかる作業ですけれども、それしかない。ただしそれができるためには条件があります。主権国家であるということです。 日の場合は、外交、国防の政策決定権を日政府が持っていない。アメリカにいちいちお伺いを立てないと、何も決められない。 アメリカとしては(アフガニスタン、北朝鮮、シリア、エジプトとあって 《注:2013年当時》)、これ以上東アジアで紛争が起こって、調停に出張るだけの政治的余力がもうありません。ですから、アメリカはいま中国と事を構える気はありません。尖閣諸島のうち2島は米軍が射撃場として借用しているにもかかわらず、領有権について

    2017.10.29 『内田樹の生存戦略』⑤ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/10/29
  • 2017.10.26 立山 - カメキチの目

    カメキチの目 山へ行った。 いちおう結婚〇〇年の記念旅(二泊三日だけど半分は二人の義姉といっしょ)。 この前、黒部とともにNHKテレビ「ブラタモリ」で放送された立山である。 登山ではない、観光。 正確には「室堂」というバスの終着地の平らなところを歩き、山々を見あげた。それと「弥陀ヶ原」というところを歩いた。 観光客は「室堂平」という台地状の平地から立山連峰をはじめ周囲の高山を見あげ、その辺り、「みくりが池」や「みどり池」という自然湖の周囲を歩くのです。 (50代の初めのころは「登山者」にもなりました。室堂から立山連峰に登り、尾根歩きをしたこともあります。そのうち憧れの山、となりの「剱岳」に登るつもりでした。が、人生はわからないものです《山から滑落する前に木から落ちてしまった》。いまでは「滑落」さえできなくなり、剱のギザギザした岩嶺をあおぐだけです。トホホ…) 4度目の立山だが、今回は老年に

    2017.10.26 立山 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/10/27
  • 2017.10.4 つれづれの記⑫ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 「少年時代」といわれるころの話で書きたくなるのはもう思いつかないので、このシリーズはこれで終わります。 これまでの「子どものころの思い出」におつきあいくださり、ありがとうございました。 私の子ども時代。チャンバラとおなじくらい「西部劇ごっこ」が盛んだった。 片手の親指を立てて人差し指を相手に向け、残り3は手のひらに折る。これで銃は完成。いっちょまえのガンマン成立。 ちなみに両手で2丁拳銃。刀でいえば両刀づかい。 あとは木陰や家の隅に身を隠し、やるだけだ。 「バキューン、バキューン…」 気で遊んだ。 撃たれたときは、刃で切られたときのように、地面に伏す。「死ぬ」とはこういうもんかと幼い頭で描いたイメージで演じました。 遊びのたびごと、何回まで生き返られるか(遊びの世界では死ぬことは一度かぎりときまってはいません《それじゃ遊びが続かない》)不死身を認めるか…。子ども

    2017.10.4 つれづれの記⑫ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/10/05
  • 2017.10.1 おことわり - カメキチの目

    カメキチの目 ブログへの思いは前にも2、3度かいたことあります。 そのときも感じていたことですが、書かなかったことがあり、ずっと気になっていました。 一度きちんと書いておことわりし、謝らなければならないと思っていました。 私が「読者」になっている方々に対してです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「プログラム」「電子ゲーム」「音楽」「オシャレ」「料理」「健康(ダイエットをふくむ)」「スポーツ」…私はどれもダメ(女性に多い「断捨離」「シンプルライフ」「エステ」…なども)。 正確にいえば(興味・関心がないのではなく)わからないのです(わからなければわかろうとすればいいのですが「面倒くさい」「いまさら…」が先に立ちます)。 私は年齢を経ても活動的で、新たなことに挑戦する人を尊敬し賞賛しますが、自分にできるとは思わないし、する気もないところに落ち着いています。 「あまり興味・関心が

    2017.10.1 おことわり - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/10/01
  • 2017.9.24 耳掃除 - カメキチの目

    カメキチの目 耳掃除。耳クソをとった。 (私が読者になっている方で、たいへんなことで悩んでおられるというのに、こんな気楽な記事かいてゴメンなさい) グーグル画像さんからお借りしました。 つい先日、ちょっと恥ずかしい話だけど、耳鼻咽喉科に耳掃除に行った。 じつは2年前にも行っているので2回目だ。 私の人生で、あくまで2回目のこと。 「耳掃除」。子どもみたいで、通院にはちょっと勇気が要りました。お願いですから「それくらいのことで…」と笑わないでください。 コトここにいたるまでには、いろいろあったのです。 「いろいろ」とはいっても、要は、家での耳掃除は痛いということです。私はああいう痛さは弱い、苦手です。打撲とかは強い(と思う)。 (私の内耳の器官は壊れているのですが、耳自体の痛覚はあり、敏感なのです) 障害者となって手の感覚が鈍いので、だいたいはツレに耳掃除をしてもらっているのですが、こんどは

    2017.9.24 耳掃除 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/09/24
  • 2017.9.7 つれづれの記⑨ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [暮らしと人びと②] ・水 いくらでも裏山から引けた。 ビニールパイプなど便利な材料はまだなく、竹が使われていた。また、どこの家にもそれほど深くない井戸もあった。 水洗蛇口などというハイカラなものはなかったので、いったん桶に水をためて使ったのかな。 チョロチョロ…。引いた水は絶えることなく流れている。 井戸水を釣瓶(のちに手押しポンプ)でバケツに汲み、なんども風呂の釜まで往復したことを、そのときは少年になっていたのでよく覚えている。 こんな自然がうみだす水(ということは誰のものでもある。欲しいときは誰も使える)を、ある企業が買い占める。水の湧きだす土地を買い占める。 その水を「どこそこの天然水」としてペットボトルに詰めこんで、誰もが手軽に安い値段で買えるような商いをするまでは許せても(これとて許せられないか)、 たとえば(海外の大ガネ持ち。国内でも《自分はカネがなく

    2017.9.7 つれづれの記⑨ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/09/08
  • 2017.8.25 『動物のいのちを考える』2 - カメキチの目

    カメキチの目 きょうは7月末の記事の続きです。あっちこっちへとすみません 第二章は、「いのちの『べかた』を考える」。 この部分の著者は新島典子さんという大学の先生。 動物看護学(ある大学にはこういう学部があるのです。すばらしい! 東大や京大もこんなのを設ければいいのに)を教えている。 私は、畜産のウシやブタ、ニワトリなどを「産業動物」と呼ぶとは知りませんでした。 ・生まれたときから「材」となるまで育てる(畜産業)。 ・解体して肉を製造、または搾乳しミルクやバター・チーズを作る(肉産業や乳製品製造業)。 ・運搬し(冷凍車などによる運送業)、販売する(肉屋さん・スーパーなど小売業)。 ・あいだには市場など卸しもあり、関連して牛乳パックやプラ容器なども。 まさに一大産業です。しかも「べる」だから、生きることにぜったい欠かせない。生きるといっても肉しなくてもすみますが、ベジタリアンだっ

    2017.8.25 『動物のいのちを考える』2 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/08/27
  • 2017.8.17 蝉 - カメキチの目

    カメキチの目 いま、書いておかなければならないと思いあわてて記事にした。 まだまだかもしれないが、長く生きてきて、私はこのごろ日の自然の移ろいに敏感になったようだと、自己満足している。 あくまで「自己満足」。 だからどうした?ということではないが、「自分」にこだわるのもいいけれど、そこを離れて自然を感じるのも、「感じている自分」を感じて、またいいと思った。 季節は盆を過ぎた。 盆前には二四節季の「立秋」があるし、七二候の「寒蝉鳴(かんせん《ひぐらし》なく)」があった。 台所には「旧暦カレンダー」を吊りさげていますが、二四節季七二候の日はたいてい合っており、昔の人の自然を感じる感覚にはおそれいります。 ちょっと静かなときが増えたけれど、まだ蝉がないている。「シャアーシャアー…」 まるで樹から音が「降ってくる」感じ。 ことしの自分が見聞きするのは、ほとんどがクマゼミ。 これまでの中心はアブラ

    2017.8.17 蝉 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/08/17
  • 2017.8.11 つれづれの記⑤ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [道] ・私が地元の小中学校に通っていたころの道路は舗装ではなく、街までの7㎞をボンネットバスが土ぼこりをあげて走っていた。 まさに『ひよっこ』そのままです。人のよさそうな(よかったかどうか覚えていませんが)車掌さんもそのまま。 ただバスも前回書いたような「特急」「急行」になると、ボンネットではありません。乗り心地もよくなる。 土ぼこりは息をとめて防ぐ。なかなかおさまらないときは、長くとめておかなければならないので、苦しくなってくるほどだった。 対策に、ときどき道路に塩のようなものが撒かれ、土が固められた(相撲の土俵みたいなものか)。舗装されたわけではないのにところどころがカチカチに固まり、そこだけ少し陽を照りかえしていた。 その道、1㎞を歩いて学校に行った。 1㎞とはいえ、私の集落に近づくにつれ、だんぜん曲がりくねった坂が増えた。 ・幼いころのその体験は、思いだし

    2017.8.11 つれづれの記⑤ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/08/10
  • 2017.8.7 8月、そして戦争 - カメキチの目

    カメキチの目 読者のおひとりにナオニートさんという若い男性がおられる。 → ブログ名は「ナオニートの備忘録」 いつもは「備忘録」、つまり雑記帳がわりに書いておられるのかな。 隠居ジジイの私などハナからついてゆけない記事もあり、飛ばすこともある(ゴメンなさい!)。飛ばさないでも、まじめに読んでいないときがある(またゴメンなさい)。 でも、若いエネルギーをいただき感謝感謝です。 ところがこれはたいへんおもしろかった。90歳という方の新聞投書記事を切り抜いて紹介され、ご自分の思いを書いておられた。 → 「自民党(自滅党)について。」と題された最近の記事である。 投書の方は90歳のご老人。周囲から、それまでしていたいろいろなことを一度にやめるとボケると心配され、それなら国会議員にでもなろうかと考えられたらしい。 90で志されるところがステキ! 思わず、「爪の垢でもください!」と思った。 この方はお

    2017.8.7 8月、そして戦争 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/08/07
  • 2017.8.3  つれづれの記④ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [小さな小さな繁華街] 「なんとか銀座」までは7㎞。 ひらけた感じがする。小さな盆地という地形。 そこが「故郷」の中心地。実家がある集落みたいに山が陰となっていないので明るい。 役場(バカ《と私は当時もいまも思っている》な平成の市町村大合併によりいまは「市役所」)や商店、病院(医院)、警察署、消防署、電電公社(いまのNTTの前身。まだAUもソフト…もなかった)などが集中していた。 実家の前の川は「小川」。瀬がほとんどなのに、ここではいくつかの支流があつまり、流れは太くなっているので、あちこちに淵もみえ、そこだけ川底は見えない。 たかが7㎞とはいえ、これだけ離れるだけで「地方」は風景がさま変わりする。 ・バスセンター ここは国道ぞいの街。だから、街の中心部には「小さな小さな繁華街」とともに「バスセンター」があった。 街は迷路のような小路が走っており、国道の広い道も通っ

    2017.8.3  つれづれの記④ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/08/03
  • 2017.7.31 『動物のいのちを考える』1 - カメキチの目

    カメキチの目 『動物のいのちを考える』(朔北社)というにであった。 この前から「つれづれ…」という自分の昔話を書いていますが、きょうはこっちを書きます。ゴメンなさい。 は、 ①伴侶動物(ペット) ②産業動物(牛や豚など) ③動物園動物 ④実験動物(マウスなど) ⑤野生動物 の順で、さまざまな立場の人が書いている。 ブログを始めて広がった私の世界の一つに「動物福祉」というものがあります(カフェインさん、ありがとうございます)。 恥ずかしながら、人間の福祉には携わっていたのですが、「福祉」を動物に広げて考えたことはありませんでした。 ただ、歳をとり人間とか人類を相対化し、空間に広げれば「生き物の一種」、時間に広げれば「生命発達の一段階」と思うようになってきた。 ロボット、人工知能、バイオ…と科学技術万能、その身勝手さを嘆かわしいと思うようになってきたので、「動物福祉」という言葉がとてもよく

    2017.7.31 『動物のいのちを考える』1 - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/07/31
  • 202017・7.27 つれづれの記③ - カメキチの目

    カメキチの目 歳をかさね、昔を思いだし、過去をなつかしむのは、「年より」とよばれるまで生きてきたからこそできる。 そのこと自体を天に感謝せねばならない。思うたび、自分より若くして逝った人たちを想わないではおられない。 中学卒業まで、すぐそこまで迫った山やまに四方をかこまれ、「辺鄙」という言葉がピッタリの故郷ですごした。 正確には、実家は抵当物件にはいっていたので、一時期は母の里で暮らしましたが、そこも似たりよったりのところでした。 ひとくちに「故郷」といっても、その地形的範囲は広い。 そのなかで、私の家は山のふもとにはりついたような十数軒(集落)のなかの一つ。 山間のそこは太陽が半日しか射さない、「半日村」。 のちに、裏山の崖からは離れたがこんどは川のそば。どちらにしても、先日の九州北部豪雨のような大雨におそわれたら…。いままでのところ無事に過ごせているのは、運が良いとしかいえない。 集落

    202017・7.27 つれづれの記③ - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/07/27
  • 2017.7.24  つれづれの記② - カメキチの目

    カメキチの目 私の故郷は朝ドラ『ひよっこ』と、どっこいどっこい。「奥」こそつかない地名だが、より山ぶかく、いなか度では勝っている。 主人公たちと時代環境もよく似ているから、テレビをみていて「あーあ…」と首を縦にふる場面も多い。 みね子の祖父は稲わらで綱をあんでいますが、私の故郷では草鞋(ワラジ)をあむ年寄りもいました。 みね子たちの奥茨城での生活はとても身ぢかに感じたが、東京に場所がうつると、「へっ! 東京ではすでに…。知らなかったなぁ」という話が立てつづけに出た。 ・たとえば電話機。 みね子たちの実家は貧乏なので電話機のある家で借りるのだが、それはロボットみたいな格好した電話機で、電線(コード)が伸びた受話器を耳にあてて聞き、電話機体の(ロボットの)口元部分が送話機なのでそこに向かってしゃべる。 が、東京ではすでに送・受一体型の今の形の固定電話が登場していたようだ。 私は中学校を出てか

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    jitumatsu 2017/07/25
  • 2017.7.13「随所に主と作れば…」  - カメキチの目

    カメキチの目 禅語 隋処に主と作(な)れば 立処皆真なり (ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり) 「隋処に主となる」とは、どこでも主体的ということ。 「主体的」とは、「自分が…自分が…」と目だとうすることではありません。 主体的に生きれば、「立処皆真」なり。つまり、あなたが歩もうとする道、歩んだ道は、みんな「真実」なのだよ、ということか。 言い換えれば、あらゆる場・時にあっても自分を忘れず見失わず、ということは自分の頭でちゃんと考え、自分の人生の主人公は「自分自身」であろうとすれば、あろうと努力する限り、そんな自分の姿というのは「真実」だということ。 出世を人生の目標にするのはいいとして、そのために上司の顔色をうかがう、長いものに巻かれる、「ソンタク」する処世術も、それを自分で選んでいるので「主体的」なんだろうか?「立処皆真」だろうか? 考えていたらわからなくなってきた… ところ

    2017.7.13「随所に主と作れば…」  - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/07/16
  • 2017.7.10 杞憂  - カメキチの目

    カメキチの目 ひと月ちかく前、共謀罪が成立していろいろ思った。 ほんとうに、「テロ等」を準備した(する)者だけを、彼らがコトを犯す前に予め防ごうとするものだろうか? 誰でもテロはイヤなので、そのことだけを政府は強調し、 「テロリストを探すのには、『少々の自由制限』もやむをえないか。GPS操作も、メールの解読も、監視カメラ漬けもしかたない。プライバシーを暴かれるのはイヤだけど、安心・安全にはしかたない…」と、 法案反対の声、もっと慎重な審議を!という声はつぶされた。 成立してすぐあとのTBS『報道特集』で、内田樹さんが番組キャスターに、「市民が市民を監視する、密告する」社会の到来しそうな恐ろしさ(戦前の自治会、町内会が戦争反対を叫ぶ人を『非国民』扱いし、『村八分』したことを思い出します)を強く憂えておられた。 内田さんの「市民が市民を監視…」は、つまるところ、「監視・密告(いやスミマセン。「

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    jitumatsu 2017/07/10
  • 2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目

    カメキチの目 森達也さんという人のお名前だけは聞き、聞いたきっかけの印象がよかったので、いつかこの人の作品(映画とか)に接したかった。 最近、その方の『人間臨終考』という、人の死にざまを書いたを読んだ。おもしろくて笑った。 このは、石川五右衛門から始まり、ブッダやガガーリン、ノーベル、キュリー夫人、坂竜馬、はたまた文化大革命の江青(毛首席の婦人)など世界の有名人が、彼らが生きていたときのエピソード(だいたいは史実といわれているもの)から、死ぬときはおそらくこんなことを思い、こんな状況だったのではないかと著者が想像を逞しくして書いたものだ。 いわゆるパロディ。まちがっても伝記を期待してはいけない。 そんな歴史に残る有名人が、スマホやネットなど科学技術が発達した現代日に、(現代の日でなく、それぞれが活躍した時代・国の場合もあります)タイムトンネルに乗ったかのように時間をこえて登場す

    2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目
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    jitumatsu 2017/07/05
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