人間も会社も家族もコミュニティも、ビジネスもボランティア団体も国も軍隊も、持てば持つほど動けなくなります。 現代の資本主義社会において、「持たずに生きる」ことがこれほどに難しいと痛感したのは、数年前に「持たない生活」を目指すようになってから。 一緒に旅行に行く友人は、私があまりに何も買わなくなったので驚愕しています。 私を含め多くの人にとって“モノを買う”行為は有効なストレス解消方法だし、何かを所有したいという欲望は強弱の差こそあれ、もたない人はいないくらい自然な欲求です。 だから何も持たずに生まれてきたように、もう一度、何も持たない生活に戻りたいと思っても、相当のエネルギーを注ぎ込まないと実現できません。 それどころかぼーっとしていると、いつの間にか前ではなく後ろに進んでいたりします。 ときどき、18才で一人暮らしを始めた部屋を思い出します。 学生街の6畳一間のアパートは、荷物も本当に少
日本で「ディベート」がどうも勘違いされている原因として、次のふたつがあるんじゃないかと思っております。 オウム真理教と上祐史浩氏 議論テクニックとしての狭義の「ディベート」という言葉が注目を浴びた最初のきっかけに、1995年当時、オウム真理教の広報部長として活動していた上祐史浩氏の存在があげられます。 「ああ言えば上祐」という言葉があったくらい、あらゆる批判に対し雄弁に反論する彼の姿がテレビ上などで繰り返し放映されていた。その彼のバックボーンに、学生時代のディベートにおける活動があり、その面が過剰にクローズアップされた結果、上祐氏が雄弁であることをディベートに紐付けられた。 「朝まで生テレビ」と田原総一朗氏 もうひとつが現在も放映されている「朝まで生テレビ」と、その代名詞的存在とも言える田原総一朗氏。 テレビ番組の中で、最もメジャーな討論番組ということもあり、「ディベート=討論・議論」とい
2010年07月25日19:08 カテゴリメディア スカイツリーは現代日本のアイコン かなり前に「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を見たことがある。1958年の日本を舞台にしたものだが、東京タワーが高度成長のアイコンとして使われているのが印象的だった。映画の中では、CGで描かれた東京タワーは建設中なのだが、それを眺めながら誰もが「明日は今日より豊かになれる」という期待に胸をふくらませていたのだ。 それに対して、いま建設中の東京スカイツリーは、別の意味で2010年の日本のアイコンである。NHKがきのう放送した「ワンダー×ワンダースペシャル・ほぼ完全公開!東京スカイツリー」は、空撮でしきりに建設作業の危険を強調するが、何のためにこれを建てるのかという問題にはほとんどふれない。「東京タワーより高くなって視聴エリアが広がる」というが、これは嘘である。 現に東京タワーで地デジは放送されており、
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