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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (39)

  • 釘宮病から脱出する、たったひとつの冴えたやりかた

    全国 1,000万人の伊織ちゃんファンのみなさん、ニヤニヤしてますか。 わたしならだいじょうぶ、1日100回聞いたことはあるけれど、毎日百回なんて無理ムリ。生活に支障をきたすもんね。10回程度だから中毒ではな…い…はず…。 ただ、何を聞いても釘宮ヴォイス変換できる耳になったのはありがたい。たとえば、「ホームでは、白線の内側まで下が… …ってないと許さないんだからーっ!!」とか、「キミぃ、こないだの会議の報告書なんだけど… …あったま悪ぅーい、バッカじゃないの!?」といったカンジだ。こないだなんて嫁さんと、こんな会話になった。 嫁さん 「ねーねー、さいきん飲み会ばっかりで遅いよね」 わたし 「しょーがないよ、つきあいなんだし」 嫁さん 「なによー キスしたくせに! もっと早く帰ってきてよねっ」 わたし 「わかったわかった」 もちろん嫁さんは「キスしたくせに」なんて一言も発してない。しかし聞え

    釘宮病から脱出する、たったひとつの冴えたやりかた
  • 萌えで読みとく名作文学案内

    「萌え」から眺めた文学は、予想を超えた収穫だった。 ようするに、エロリ・ポルノ・恋愛小説なんだが、「萌え」という切り口から見ると、新鮮かつ懐かしい気分になる。オタク、ストーカー、2ch、ギャルゲ、電車男などのアキバ語を駆使しつつ、川端、三島、太宰、谷崎といったブンゴー達を調理する。 「文豪の作品だからといって、必ずしも難解なわけではない。『萌え』ながら読めるよ」というメッセージは腑に落ちるし、萌えポイントの解説は正確無比。だけでなく、作品をちゃんと「読め」るようアシストしてくれる。これまでさんざん誤読されてきた「伊豆の踊子」が、あけすけといってもいいぐらい解説されているので噴いた。 さらに、「萌え」というあやふやなテーマを、作品のバラエティから再定義しようとする。つまりこうだ。一口に「萌え」といっても、様々な種類がある。ロリ萌えやショタ萌えといったスタンダードから、ヤンデレ萌え、猟奇萌えと

    萌えで読みとく名作文学案内
  • DS文学全集レビュー「少女∽地獄 」

    「いっぺん、死んでみる?」人を呪わば墓穴二つ。哀しく、おぞましい。 閻魔あいの手引きで、二つ目の穴、つまり自分の墓穴を覗きこむのが「地獄少女」。ひるがえって「少女地獄」は、一つ目の穴に自らを投ずる少女たちのオムニバス。怖いというより、哀しい。 三編の独立した物語だが、いちばん哀しいのは「火星の女」だな。名門女子高で見つかった黒焦少女の屍体が、発端であり終端であったという話。 1. 新聞ゴシップの、毒々しさとセンセーショナル 2. 少女の手紙の、ひたむきさとセンチメンタル を織り交ぜながら真相が暴かれていく。 つかみからして驚愕の事件なんだが、裏側にはもっとおぞましい真実が。そいつを読み手に知らせる仕掛けがいちいち上手い。手紙文ってこうやって使えるんだーという見のようなもの。でもって、手紙だからいちばん知りたい肝心なトコは書いてない。推して知るべしってやつなんだが考えたくねぇぇぇ! この手

    DS文学全集レビュー「少女∽地獄 」
  • 千賀さんはとんでもないものを教えてくれました、「カイト・ランナー」です: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

    乗車率200%の痛勤電車で嗚咽が止まらない。 For you, a thousand times over きみのためなら1000回でも 瞼の裏が頬→喉に直通、胸からそのまま熱いやつがあふれる。揺れているのは電車でなく、わたしの心、酒に強く酔ったようだ。要するに、あまりに強い感情に襲われて、立っていられない。 最初に断っておく。これは、今年No.1スゴ、自信を持って、オススメできる(ナンバーワンがいくつあんねん!というツッコミ勘弁なー)。呵責と償いの極上のストーリーを堪能してほしい。 敬愛する千賀サマが、「全米が泣いた 私は泣いたよ」と太鼓判押したのが"The Kite Runner"、勇んで買ったはいいけれど積読山へ(英語小説は優れた導眠剤)。で、橋の下をたくさんの水が流れ、ようやく邦訳を読めたというわけ。 アフガニスタンの激動の歴史を縦軸、父と子、友情、秘密と裏切りのドラマを横軸と

    千賀さんはとんでもないものを教えてくれました、「カイト・ランナー」です: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
  • 人と人をつなぐ技法「チームビルディング」

    「チームはできるものではなく、つくるもの」。この視点はありがたい。チームをまとめる立場なら、この視点+技法は必須。プロジェクトチームから町内会まで使える。 好むと好まざるとにかかわらず、社畜でいるかぎり、三十路も後半になると、一匹オオカミでいさせてくれない。「面倒みてやれ」という暗黙のメッセージとともに、何人か付けられる。たいていは、数回の毎朝ミーティングでチームらしくなってくる。 これが10人、20人のプロジェクトチームになると話が違ってくる。さらに、「思惑」「肩書」パラメータが追加されると厄介だ。以前のわたしは、アイスブレイクをいくつかと、赤ちょうちんぐらいしか知らなかった。仕事を通じてチームは形成されるものだと思っていた。 ところが、書では、チームをつくる方法があるという。短期間で活性化したチームとして機能させるためのメソッドが紹介されている。[アジャイルレトロスペクティブズ]がチ

    人と人をつなぐ技法「チームビルディング」
  • 「チベット旅行記」はスゴ本というより、スゴい人の冒険譚

    週末はこれを読んだ、めっぽう面白かった。 著者は、河口慧海(えかい)。明治時代の坊さんで、鎖国中のチベットに単独で入国した最初の日人だそうな。ロクな装備もないのに、氷がゴロゴロする河を泳ぎ、ヒマラヤ超えをする様子は、「旅行記」ではなく「冒険記」だな。 ではこの坊さん、どうしてチベットまで行かなければならなかったのか? 慧海が25歳のとき、漢訳の一切経を読んでいて、ある疑問に突きあたったという。漢訳の経典を日語に翻訳したところで、はたして正しいものであるのか? サンスクリットの原典は一つなのに、漢訳の経文は幾つもある。同じ訳もあれば、異なる意味に訳されているものもある。酷いのになると、まったく逆の意義になっている。 サンスクリット語の原典 → 漢訳 → 日語訳 翻訳をくりかえすうちに、来の意義から隔たってしまっているのではないか? それなら原典にあたろうというわけ。インドは小乗だし支

    「チベット旅行記」はスゴ本というより、スゴい人の冒険譚
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: チームリーダーは「アジャイルレトロスペクティブズ」から盗め

    「なんで、こんな非効率なやり方なんだ?」この疑問、よくあるどころか毎日だ。 たとえば、情報がうまく共有されていないとか、ある人がボトルネックになっているとか。不平を言うと「じゃぁオマエがやれ」と押し付けられるので、最近では不言実行で最適化を図っている[参考]。 あるいは、評論家になっていっぱしのクチをきくが、現場を変える努力も勇気もないくせにブログで薀蓄たれ流す。ネット弁慶カッコワルイ(誰とはいわんが、わたしも含まれるので自戒)。 たしかに、「前と同じやり方」で仕事は回るが、「やり方」が改善されないまま。成果物はレビューされるが、仕事のプロセスはレビューされない。かくして非効率性は引き継がれ、不満は澱のように溜まってゆく。 こいつをなんとかする試みが、「アジャイルレトロスペクティブズ」。舌噛みそうな名前で、サブタイトルの「『ふりかえり』の手引き」というほうがピッタリだね。 つまり、プロジェ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: チームリーダーは「アジャイルレトロスペクティブズ」から盗め
  • 最近の親はマニュアルで「あそび」を教える

    最近の親とは、わたしのこと。だってしょーがないじゃねぇか、「遊び方」は知っているが、「教え方」なんて知らんぞな。 いや、うちの子がね、自転車に乗りたい(補助輪なし)、なんて言い出したのよ。じゃあッ、とサンデー・パパよろしく後ろから押してやるまではいいものの、いつまでたっても乗れるようになりやがらねぇぇぇっ。 google先生に教えを請うのだが、「自転車の乗りかた」は沢山ある一方、「『自転車の乗りかた』の教え方」は見当たらない。 それなら手を見せてやる、とパパが操って見せるが参考にならねぇらしい。他のガキはいねぇかと見渡しても、乗れてる奴は猛スピードで行ってしまう。そんなモン、誰かのマネして、転んで覚えるもんだ。わたし自身がそうだったし。放っておくか… しかし、「そもそも、自分がアタリマエにできて、身体化されているものを、どうやって教えたらいいか?」という命題は面白い。しばし教えることに熱

    最近の親はマニュアルで「あそび」を教える
  • 近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について

    「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。これはゆゆしき事態であり、日社会のありかたにかかわる重大な問題である。 最近の若者は、定職に就きたがらない。あるいは、会社に入っても一定のポジションで身を立てようとしない。なぜなら、社会的なかかわりを、全て暫定的・一時的なものと見なしているからだ。 彼らに言わせると、当の自分は別のところにあり、現実の自分は仮の姿に過ぎないんだそうだ。当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、自分自身をも変身させる余地を残しておく。一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。特定の党派、集団に全てを賭けることを避けようとする。 その結果、今の若者は、全ての価値観か

    近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について
    jumitaka
    jumitaka 2007/05/18
    最初、最近出た本かと思った
  • 「幼年期の終わり」で泣いた週末

    3回びっくりして、1回泣いた。SFで泣いちゃうなんてめずらしーなー、"アルジャーノン"以来だろうか… しかも、「アルジャーノンに花束を」にある哀愁だの同情といった誰かとシンクロした感情ではない。そういった感傷を超越して、自分ではどうしようもない、取り返しのつかないものを眺めている―― そんな気分を味わう週末。 「ブラッド・ミュージック」すげぇ、と唸ってたら、誠天調書の中の人が、セカイ系SFの傑作「幼年期の終わり」→「ブラッド・ミュージック」の順に読めという[参照]。でもって、読んでわかった、多くの人がSFオールタイムベストに挙げる理由が。そして、作の影響を受けた作品がたっぷりとあることも。 amazonレビューはこんなカンジ… 二十世紀後半、地球大国間の愚劣きわまる宇宙開発競争のさなか、突如として未知の大宇宙船団が地球に降下してきた。彼らは他の太陽系からきた超人で、地球人とは比較にならぬ

    「幼年期の終わり」で泣いた週末
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「図書館に訊け!」は盗みがいがあるぞ

    「検索」ならぬ、情報「探索」の方法が盗める。しかも、調べ物のプロフェッショナル、図書館員の技が惜しげもなく開陳されている。 「検索」はキーワードによるヒットを試行錯誤する方法だ。いわば、欲しいものが明確に分っており、ピンポイントで狙って当てるようなもの。いっぽう「探索」は調べたいトピックによる絞り込み検索+レファレンスブックのフィードバックによる深堀りだ。着弾地点から再度絞り込みをかけているようなもので、確度と網羅性は高い。 この探索手法が具体的かつ「調べるための」参考文献満載で紹介されている。このテクニックを「文法」になぞらえている。至言なので孫引きする。 文法をやらなくっても読めるっていうのは正解だよ。だけど、そいつはよっぽどセンスと力とやる気のある人がいう台詞なんだ。凡人はな、文法をやったほうがよっぽど楽なんだ。特急券なんだよ。苦労の末につかむ筈の法則を、最初にぽんと教えてもらえるん

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「図書館に訊け!」は盗みがいがあるぞ
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 日本のプログラマは、世界一優秀である

    じゃ、なぜ優秀なプログラマがいる日のソフトウェアビジネスがパッとしないの? 答:それは品質重視の工場型モデルを(相も変わらず)採用しているからにほかならない。「良いものを作れば売れる」主義を信奉するあまり、ビジネスの質から離れてしまっているから。 例えば、欧州企業にとってソフトウェアは「科学」として扱われる。コンピュータサイエンスとしての「ソフトウェア・ビジネス」であるがゆえに、形式的手法やオブジェクト指向分析・設計手法が重視される。また、米国企業にとってソフトウェアは「ビジネス」そのものとして扱われる。会社をつくって「まぁまぁ良質」の製品を作り、業界標準を打ち立て、その過程で大儲けしようとたくらむ。 しかし、日企業にとってソフトウェアとは「工場出荷製品」そのもの。文字通り「ソフトウェア・ファクトリー」を目指している。標準化された設計開発工程に則り、仕様からほとんどブレない製品を粛々

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  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 図書館で夢をかなえた人々

    結婚前までアンチ図書館派だった。は買って読むものであって、身銭を切ってこそ選書眼も養われるというもの。金なくば費を削れ、餓えて読め、というのが信条だった。 それが、図書館ヘビーユーザーの嫁さんの影響を受け、図書館主義者になった。書店の棚はコマーシャリズムに汚濁されたノイズまみれ。自分でを探せない奴が屋を徘徊する、などとうそぶく。180度転向の経緯は[ここ]に書いた。 探す: 都内の図書館を横断的にネットで検索[これ]する。当面読みたいは近所の図書館でたいてい手に入る。どうしてもという場合は国会図書館から取り寄せてもらう。 予約: 実は複数のアカウントを持っている。住んでるところ、勤務先、通勤ルートと複数の区をまたがるため、それぞれなじみの図書館がある。予約は全てネット。巡回先で嗅ぎつけたや、積読リストの上位から予約枠を埋める。確保できたらメールが入るという仕掛けなので、早い場合

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  • 「わたしのいもうと」の破壊力

    読むと後悔する絵、劇薬絵とでも言おうか。そんなことはつゆ知らず、「読んで」と子どもが持ってきたら読まなきゃいかんだろ。 後ろを向いた「いもうと」の表紙を見たときの、なんとなくヤな予感はあたった。テーマは「いじめ」、しかもガチ、さらにラストが… ―― 引越しして、あたらしい街に住むことになり、期待に胸をふくらませて学校へ行った「いもうと」。そこで受けた「いじめ」は、どちらかというと、よくあるいじめ。「いもうと」はこころを傷つけられる。 それから学校へ行かなくなった「いもうと」の日々を家族の視線で追いかける展開なのだが… まさかこうなるとは。そして、ラストの「いもうと」の手紙が胸に刺さる。この絵の手にしたわたしも「いじめ」の傍観者になった気分だ。彼女の願いはとてもあたりまえのこと――「みんなと仲良くしたかった」が踏みにじられ、踏みしだかれた「いもうと」を置き去りに、いじめた子どもたちはす

    「わたしのいもうと」の破壊力
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 決してひとりでは読まないでください「わたしの人形は良い人形」

    こ れ は 怖 い 。夜読むとオシッコにいけなくなると注意され、「まさかぁ、三十路のオッサンに言うことかよ」などとブツブツ言いながら読んだ ―― で、結論:夜読むと、一人でオシッコにいけなくなるので、注意。 人並み以上にホラー耐性はあるつもり。角川よりもハヤカワ、ハヤカワよりも創元の方が、「より怖い」と言えるぐらいは読んできた。小説だけでなく、マンガ、映画、グロから霊まで悪な分、いろいろ楽しめる体質となっている。 そんなわたしが、ここまで怖い思いをさせられるとは… ! グロなし、血なし、残虐なし、絵がリアルというわけでもなし。それでも心臓が冷たくなる恐怖にワシ掴みにされる。暖房の効いた部屋でぬくぬくと読んでいるにもかかわらず、自分の吐く息が真っ白になっていくような感覚。 ジワジワ、ジワジワと首をしめられ、さあッってときにはズバーンと「出る」。この感覚は、「墓地を見おろす家」(小池真理子)

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  • 図書館を利用するようになるまでの20ステップ

    昔はアンチ図書館派、「は身銭を切って買うもの」と激しく思ってた。 棚に二段、三段と詰め込む(奥が単行、手前を文庫にすると両方見える) 床に積む(最初はタワー乱立→そのうち山脈のようになる:いわゆる積ン読ク山) カラーボックスを押入れに積んで、押入れを棚化する ダンボールに詰め込んで、押し入れに入れる(縦に入れるのがミソ) (積ン読ク山で)ドアが開かなくなる 床が見えなくなる(正確に言うと、床の色を思い出せなくなる) ちょっとした地震でが凶器になる。位置エネルギーの破壊力を思い知る:棚【の上】にを積んではいけないことに気づく 押入れの底が抜ける 床が抜ける イナバの物置を買う 近所に家を借りて置き場(≠書斎)にすることを考える(が、もったいないのでその金を代につぎ込む) トランクルームを借りるが、カビさせる(このへんで背が見えるように保管しないと持ってても意味がないことに

    図書館を利用するようになるまでの20ステップ
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか

    タイトルで惹かれて一読、これはイイ! これは使わせてもらおう。 ロジカルシンキングやMECEといった論理的思考ツールは、確かに仕事に使えるまで砥いできたが、肝心の議論に役立ってはいない。あ、いや、「自分の考えを的確に表現し、相手に理解させる」ツールとしては有効だけど、 ・議論が紛糾したとき ・自分の結論へ誘導したいとき ・自分の主張に言いがかりとつけられたとき これっぽっちも役に立たない。「おまえの意見はよく分かったが ── ── そんな話はここでは通用しないよ」 ── SEにはカネのことなんか分からないんだ」 ── 他の人もみんなそうじゃないと言っているよ」 と断言されると、一瞬、どう返していいか言葉に詰まる。議論は黙した方が負け、というルールに従って引き下がらざるをえなくなる。しばらくたって、その「反論」は何の根拠もないことに気づくが、議論はもうあさっての方向へ行っている。 仕事の場に

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか
  • 人の本棚を見るのが好きだ

    人の棚を見るのが好きだ。その人が何を読んでいるか/積んでいるかが見える。その人に抱いているイメージとのギャップ(or フィット)が目に見えるので愉しい。既知のと未知のの相対位置から、その人の人となりを割り出す。その人なら"その"を読んでるはずなのに、目に付くトコにない――さては…と邪推する。未知のだらけなら、その小宇宙に驚嘆する。 わたしと似ていて、わたしと違うところを探す。 「棚.org」 や 「はてな100冊読書」といった、読書情報を共有するサービスもある。しかし、それは【公開】を意識した取捨選択の結果なので、ヨソイキの棚ともいえるだろう。しかも、ほとんどが「消費」するサイドだろう。 ここでは、著名人、特にモノ書きを生業とする人に焦点をあて、その書斎と棚を紹介する――「センセイの書斎」をご紹介。 細密画のようなイラストで、センセイの書斎を俯瞰している。棚の「間取り」

    人の本棚を見るのが好きだ
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本を探すのではなく、人を探す

    長くなりすぎたこのエントリのレジュメ:選の肝はではなく、人を探すこと。わたしが知らないスゴは、それこそ百万冊ある。そのそのものを探すのはとても難しい。しかし、百万冊のスゴは間違いなく誰かに読まれている(それは"あなた"かもしれない)。だから、スゴを読んでいる"あなた"を探す。このblogの究極目的も、そう。 メールやコメントでいただいた、以下の質問に答えてみる。誰かの参考になれば。 【質問】 Q1 たくさんを読んでるようですが、速読をやっていますか? Q2 あるいは読書術のようなものはありますか? Q3 読むはどうやって探していますか? 【回答】 A1 速読を練習したことありますが、実践してません A2 「目的を持って読む」に尽きます A3 ではなく、人を探します は目的を持って読む あたりまえだとツッコミがくるだろうが、わたしはできていない。漫然と読んでるとあっという

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