ゲームと歴史に関するk-takahashiのブックマーク (509)

  • イースⅠ・Ⅱ通史(15):そしてイースⅡは完成した | Colorful Pieces of Game

    これはPCエンジン版イースⅠ・Ⅱの30周年を記念して、PC88版からイースⅣまでの自分が調べた限りの出来るだけ正しい通史を書こうとする試みだ。 シリーズ全体については、カテゴリで見て欲しい。 というわけで文。 サルモン神殿の開発に入ったのが1987年の11月頃だったと思われるのだけど、例によって… ■ファルコム関係者の証言 サルモン神殿からディスクが切り替わるので、そろそろ「終盤へ向けて」という感じだったのかも。ただしリクエストはあっても神殿の設定等は無し(笑)とりあえず、神殿ぽいものを考える事になりました。 なんてことになるわけだ。 ところで、ゲーム的な話をすると、実はディスク2に切り替わってからの方がディスク1より長いぐらいだ。 マップ的に見てもムーンドリアの遺跡・聖域・ラスティーニ廃坑・ノルティア氷壁・バーンドブレスの5つに対して、サルモン神殿(中央・東・西)・地下水路(東・西)・

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    k-takahashi 2019/06/30
    『『イースⅠ・Ⅱ』は、そういう偏執狂的なマップばかりだったので、横320モードでソックリに移植することに決めた』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(14):サルモン神殿に向かう | Colorful Pieces of Game

    今回の話は87年の9月~11月初頭の話になるのだけど、開発のクライマックスに向かう小休止の落ち穂拾いの話でもあったりする。 まず前回の記事で、ノルティア氷壁を「北壁」と書き間違えていたのだけど、そしたら関係者からメッセージが。 ■ファルコム関係者の証言 ノルティアは、ノルウェーから来ているので、北のイメージあります(笑) ありゃありゃ…ノルウェーだったとは。ところで、どうして北壁と書き間違ったのか、自分ではわかっている。『北壁の死闘』というとて有名な冒険小説があり、こいつを僕は大好きなのだけど、完全にコレのせいで氷壁が北壁にすり替わったのだと思う。 下のがその原作。古典中の古典なのだけど、ほんとーに面白いので読んで欲しいと思ってしまう。 あと、前回、アンケートを集計するまで含めると、これぐらいだったんじゃないか…と書いたのだけど、当時のファルコムでは雑誌などでやっていたようなアンケートの

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/06/22
    『シナリオを後から書いて、必要なトコを追加するやり方をしてるから、村の距離のバランスが悪い』
  • 「ゲームマシン」アーカイブ - Game Machine Archive

    “GAME MACHINE” A R C H I V E presented by Amusement Press Last updated on February 26, 2024 To all international visitors of Game Machine Archive 新聞「ゲームマシン」(Game Machine)は、アミューズメント通信社が発行しているアミューズメント業界紙です。 1974年以来、TVゲーム機を含む業務用アミューズメントマシン、遊園施設などに関する業界ニュースを、月2回のペースで伝えてきました。 「ゲームマシン」アーカイブをご利用の際は、以下の「アーカイブを公開するに当たって」をお読みになった上で閲覧されるようお願い致します。 「ゲームマシン」アーカイブを公開するに当たって 「ゲームマシン」アーカイブは、アーケードゲームやアミューズメント業界につい

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    k-takahashi 2019/06/06
    『アーケードゲームやアミューズメント業界についての情報を調査するための研究資料として、業界の動向を長年にわたり記録してきた「ゲームマシン」紙を、アミューズメント通信社による監修の元に公開』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(13):ノルティア北壁でRPGになったイースⅡ | Colorful Pieces of Game

    サブタイトルを読んで「どういうことだよ?」と思うかも知れないけど、それは最後まで読めばわかると言う事で。 今回は、1987年の8月後半~9月あたりの開発の話になる。 ところで前回は、開発の順序がシナリオ通りで、いきあたりばったりに進んでいた…というムチャな話を書いたところ、当時のスタッフからやってきたメッセージをご紹介。 ■ファルコム関係者の証言 よく考えると、設定があり、ストーリーが決まっている、という作り方はファルコムではされてなかったですね。ストーリー重視(笑)の英雄伝説Ⅰでさえ、一章内のおおざっぱなあらすじがあっただけで、作っている最中に設定が追加されたり、削除されたりしていました。 ただ、富さんの開発は、ストーリーありきだったので、ある程度先まで決まっていました。 ファルコムでは、通しでストーリーを書ける人がいなかったですし、まあ仮に書いても「こんなの(背景・キャラクタ)コストが

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    k-takahashi 2019/06/02
    『『イースⅡ』ではRPGメカニクスの最大の強みであるレベルアップして、パラメータを強化することでヘタクソでも力任せに倒せる方針に変えよう』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(12):Ⅱの開発は続く | Colorful Pieces of Game

    今回は、1987年7-8月あたりの話になる。 前回、イースⅡの開発が始まったとき、天空に行く以外のネタは何も残っていなかったコト、テストマップとしてムーンドリアの廃墟を作り、そこで魔法が登場し、聖域という案を思いつくのと同時ぐらいでランスの村を作っていた、なんとリリアはドットが先でキャラクタが後だったなんて話を書いた。 少し追記しておくと、PC88SRのALUによる合成を画面外でやるイース方式ではソフトウェアスプライトの数に重大な制限があり、アドル+3体のキャラクタだけだった。山根はイース1で3体を少しでも多く見せたくて、ミネアの街では双子を作った。そして大浦君は3体しかいない動けるキャラの1つをリリアにしたわけである。だからミネアの街のレアは街の固定キャラだし、イースⅡの医者も移動できないわけだ。 コンテを描き、リリアのキャラクタを描いたはずの山根は木屋さんに取っ捕まって『ソーサリアン』

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/05/25
    『なんとなくのあらすじを作って、それをベースにレベルデザイナーが適当なマップを作り、ストーリーラインを組み立てる。それをベースにプログラマ兼シナリオライターがシナリオを書く』
  • セガ・名越稔洋が語るクリエイター活動30年史。セガのハード事業撤退と任天堂との仕事、そして『龍が如く』成功の舞台裏【特別企画 後編】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

    任天堂と仕事をしたことが、セガの役員になる一因だった ――『スパイクアウト』のリリースからしばらくして、ドリームキャストを最後にセガが家庭用のゲームハード事業からの撤退を表明することになりました。当時名越さんは、そのことをどう捉えていたのでしょう? 名越それまで業務用(アーケードゲーム)の仕事ばかりしていた俺は、当時のドリームキャストを取り巻く環境のことをよく知らなかったので、「家庭用ハードからの撤退は残念だな」くらいに思っていたんです。ただ、「これでセガはソフトハウスになるんだな」と思ったとき、急に家庭用ゲームに興味が沸き始めて。というのも、「これで大手を振って他社のハードのゲームも作れるんだ」ということに気付いたんです。それで、すぐさま任天堂さんに行って。 ――行動が早いですね(笑)。 名越向こうは「レースゲームですか? 格闘ゲームですか?」みたいな感じだったんですけれど、俺は『スーパ

    セガ・名越稔洋が語るクリエイター活動30年史。セガのハード事業撤退と任天堂との仕事、そして『龍が如く』成功の舞台裏【特別企画 後編】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/05/12
    セガの名越氏のインタビュー。21世紀になったあたりから。インタビューとして興味深いが、他のとつきあわせた分析をできる人を呼んでくると最も白くなりそう。
  • セガ・名越稔洋が語るクリエイター活動30年史。200億稼いだ『デイトナUSA』開発秘話と、初めて明かす師・鈴木裕への想い【特別企画 前編】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

    セガ名越氏クリエイター活動30年記念インタビュー 前編 セガのエースクリエイターとして、そして同社の取締役CPO(Chief Product Officer)として、ゲーム業界で確固たる地位を築き上げた名越稔洋氏。平成という時代とともに送ってきた同氏のクリエイター人生は、自身の作るゲームに匹敵するほどのドラマチックな半生と言えるだろう。 今回は特別に、そんな名越稔洋氏に時間をいただき、入社から現在にいたるまでに起きたさまざまな出来事、ターニングポイントを振り返ってもらった。とうとうと語られることになったエピソードのなかには、曰く「いままでは積極的にコメントすることを避けてきた」という、かつての上司でレジェンドクリエイター・鈴木裕氏にまつわるものも! ゲームファンなら一読の価値ありのインタビューです。 先輩の一斉退社がクリエイター人生初のターニングポイント ――今回は名越さんのゲームクリエイ

    セガ・名越稔洋が語るクリエイター活動30年史。200億稼いだ『デイトナUSA』開発秘話と、初めて明かす師・鈴木裕への想い【特別企画 前編】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/05/11
    鈴木裕美談編。
  • イースⅠ・Ⅱ通史(11):イースⅡ、始まる | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人にインタビューして、だいたいはっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 ただし30年も昔の話で連絡が取れない当事者も多く「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。 それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。 さて文。 1987年の6月の終わりから7月初め、『イースⅠ』が発売され、他機種の移植の終わった橋さん(他の移植は進行中)と大浦さんで『イースⅡ』のストーリーを考えるミーティングをしたとき

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/05/01
    『「どこで神官はこの情報を知ったんだ」と言いたくなってしまう』 『なんとイースの神官の魔法の話は『イースⅡ』を作り出してからの後付けだったのだ!』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(10):イース1とファザナドゥの補足 | Colorful Pieces of Game

    ちょっとした理由があって「ともかく短く(2文字)で、せいぜい真ん中に長音がある程度の地名」という条件で『世界文学にみる架空地名大事典』の中から発見したのがイース。 で「Ys」だと知って、大浦君にロゴを頼んだわけだ。 僕の家にもあるので、該当箇所(69ページ)をスキャンしてきた。テキストを読むとわかるがプロマルクって、明らかにプロマックの街だよねとわかったりするのが面白い。 MSX2のイースについて コメントの質問 MSX2版イースは確かソニーのMSX2とコラボしてて HB-F1XDでしか動かない懸賞版あったと思いますか そこら辺の裏話ってあったりします? ■ファルコム関係者の証言 MSX2版のイースⅠは、HB-F1XD(FD搭載機)のバンドルソフトでした。 SONYさん提供の「機種チェック」(SONYチェック)が組み込まれています。 宮崎さんが移植の終わり頃に「SONYチェックが、まだ来な

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/04/23
    『ち「ともかく短く(2文字)で、せいぜい真ん中に長音がある程度の地名」という条件で『世界文学にみる架空地名大事典』の中から発見したのがイース』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(9):『ファザナドゥ』開発物語(2/終) | Colorful Pieces of Game

    ただ、奥野さんは開発は2~3月にスタートしたと記憶しているのだけど、これには少し記憶違いが入っている可能性が高い。 というのも、ウィンドウシステムを書いているヘクターさんは、この時、『ヘクター87』を作っている。だから『ファザナドゥ』に入れたはずもない。 まだ雪が残っていたとき『ヘクター87』の企画会議があって、ヘクター(小山さん)大変だなあと思っていたという話が複数あるのに加えて、『ヘクター87』チームのメンバーがゴールデンウィーク明けにマスター休みを取ったと証言している。 つまり『ヘクター87』のマスターはゴールデンウィークあたりなのは間違いない。 言い換えれば、それより前にヘクターさんが入れたはずがない。 だから2~3月頃に「作れ」と言われて、夏発売予定でスタートしたのはいいけれど、ゲームはプログラマ1人でなんとかなるサイズではなくなりつつある時代で、間に合わず、夏は無理で秋に延期さ

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/04/20
    『納期に間に合わせるために 『ザナドゥ』の移植ではなく、 オリジナルのゲームを作りはじめる』 『どのみち『ザナドゥ』を忠実に移植するのは、当時のファミコンでは難易度が高く、不可能に近かった』
  • Read the source code for every classic Infocom text-adventure game!

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/04/20
    『Jason Scott has made the source available for every one of Infocom's classic and genre-defining text adventure games』 Infocomのアドベンチャーのソースコード公開
  • イースⅠ・Ⅱ通史(8):『ファザナドゥ』開発物語(1) | Colorful Pieces of Game

    これはイース通史の中で、イースとは直接的には関わりのないエピソードなのだけど、ハドソンが『イースⅠ・Ⅱ』の許諾を取る上では、大きな問題になった…と思われる『ファザナドゥ』のエピソードだ。 まず『ファザナドゥ』という作品について、簡単に説明しておきたい。 『ファザナドゥ』はファルコムの大傑作ソフト『ザナドゥ』を、ハドソンがファミコン用に移植したゲーム、ということになっている。 「ということになっている」というのは、発売されたゲームが、まるで別物だから。 ここで名誉のために書いておくと『ファザナドゥ』は、まあまあ出来がいいRPG要素の入ったアクションゲームだ(RPG要素の入ったと書いているのは経験値による成長サイクルがないのでCRPGとは呼び難いから)。 ただアイテム名やモンスタ―名、それとも称号に共通しているものがある以外は、何一つ『ザナドゥ』と共通点がなく、「どうして『ザナドゥ』の名前がつ

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/04/17
    『3月には発売したい、なんて言っているのだけど、1986年12月には、まだ何一つ手をつけていないのははっきりしているぐらい、何も出来ていなかった』 ファザナドゥ開発事情について
  • Inside FINAL FANTASY VII (Closed Captions)

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    k-takahashi 2019/04/12
    FF7インタビュー。1996年2月にCM映像が出たけど、ミッドガルドのデザインは正月明けに変更してたそうで。
  • イースⅠ・Ⅱ通史(6):PC88版イースの開発 (2/完) | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか、少々わかりかねるところが多いので…まあオプションとしておきたい。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。

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    k-takahashi 2019/04/08
    『半キャラずらしは、そもそもヒットの座標判定を間違っていたのが理由で登場』『五十嵐さんが小説を書いたとき、マニュアルの〆切の時にはダームの塔を拡張しようとしていたのは間違いない』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(5):PC88版イースの開発 (1) | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか少々考えてしまう「エーッ!?」なところが多いので…まあオプションとしておきたい。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれると

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    k-takahashi 2019/04/02
    『PC88イースが正式なプロジェクトとして稼働したのは86年12月あたりだったろうと想像できる』
  • バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー

    2019/03/05 バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー 中村製作所時代にはじまり、現バンダイナムコエンターテインメントに至るまでの、歴代のエポックメーキングを生み出したクリエイターに、当時の貴重なエピソードを伺うインタビュー企画「バンダイナムコ知新」の連載がスタートします! バンダイナムコエンターテインメントのルーツは中村製作所にさかのぼります。そこから、ナムコ、バンダイナムコゲームスと、会社としての形を少しずつ変化させつつ、時代とともにさまざまなクリエイターたちが作品を世に出してきました。 そんな歴代のエポックメーキングを手掛けてきた皆さんに、当時のチャレンジエピソードを聞いていく連載企画「バンダイナムコ知新」がスタートします。 連載の第1回目は「ビデオゲームのはじまり」がテーマ。数多くのゲーム設計を担当してきた大杉章氏にご登場いただき、エレ

    バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/03/11
    『中村製作所時代にはじまり、現バンダイナムコエンターテインメントに至るまでの、歴代のエポックメーキングを生み出したクリエイターに、当時の貴重なエピソードを伺うインタビュー企画』
  • 『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 | ゲーム文化保存研究所

    記事タイトル『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 公開日2019年03月10日 記事番号901 ライター 前田尋之 今や公共交通機関を使う上での必須のツールとなった『乗換案内』をはじめとした乗り換え案内サービス。それらの草分けといえるジョルダンのルーツはアーケードゲーム開発だった。しかも、名前を出せば誰もが知っている日物産の『ムーンクレスタ』(1980年)、『クレイジー・クライマー』(1980年)といった名作の数々。一見、畑違いと思える同社がなぜアーケードゲームを開発していたのか。当研究所の大堀康祐所長と見城こうじ氏とともに、全3回にわたって知られざる世界の紹介を試みた。第1回目はジョルダン設立の経緯について迫る。 ジョルダン株式会社 代表取締役社長:佐藤 俊和氏 監査役:小田 恭司氏 【聞き手】 ゲーム文化保存研究所 所長:大堀 康祐 ゲームディレクター:見城

    『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 | ゲーム文化保存研究所
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    k-takahashi 2019/03/11
    『システム開発をしていた会社でしたから「僕たちはゲームなんか作りたくない」なんて言うんですよ』 乗換案内のジョルダンの創設期の話。ニチブツの下請けでムーンクレスタを作った
  • 本の森を歩く(第19回)机の上の戦争 : 近代日本の「ウォーゲーム」 | NDLサーチ | 国立国会図書館

    デジタル掲載誌名国立国会図書館月報 = National Diet Library monthly bulletin (694):2019.2掲載ページp.12-17すべて見る

    本の森を歩く(第19回)机の上の戦争 : 近代日本の「ウォーゲーム」 | NDLサーチ | 国立国会図書館
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/26
    国立国会図書館月報2019年2月号の記事。明治期のウォーゲーム(プロ向け)の紹介が中心。当時の資料が掲載されている
  • イースⅠ・Ⅱ通史(4):『ロマンシア』とPC-9801VM::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。 それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。 というわけで… 前回、86年10月にPC88版の『ロマンシア』と『アステカ2』が発売されるまで話が進み、かなり『イース』の開

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/18
    『『イース』は、いくつかの点で明らかに『ロマンシア』から拡張されたスクロールになっているので『ロマンシア』のソースを橋本さんが読んで「なるほどこうやるのか」と理解し、そのうえで書き直され、改良』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。 それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。 ところで、とてもバカらしいのだけど書いておくけれど、これは「イース通史」で、パソコンの通史ではない。そしてイースは最初に88

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/03
    『「木屋さんは、当時ファミコンのソフトを作ってみたかったから、ファミコンみたいなゲームを作った」というのだ。 驚くような話だけど、当時の事を知っている自分としては理解もできる』