ゲームと歴史に関するk-takahashiのブックマーク (516)

  • イースⅠ・Ⅱ通史(6):PC88版イースの開発 (2/完) | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか、少々わかりかねるところが多いので…まあオプションとしておきたい。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/04/08
    『半キャラずらしは、そもそもヒットの座標判定を間違っていたのが理由で登場』『五十嵐さんが小説を書いたとき、マニュアルの〆切の時にはダームの塔を拡張しようとしていたのは間違いない』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(5):PC88版イースの開発 (1) | Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 あと『イースⅣ』をハドソンが作ったとき、実は何があったのかを様々な所から知れたので書きたいのだけど、これについては25年経っても書いていいか少々考えてしまう「エーッ!?」なところが多いので…まあオプションとしておきたい。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれると

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    k-takahashi 2019/04/02
    『PC88イースが正式なプロジェクトとして稼働したのは86年12月あたりだったろうと想像できる』
  • バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー

    2019/03/05 バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー 中村製作所時代にはじまり、現バンダイナムコエンターテインメントに至るまでの、歴代のエポックメーキングを生み出したクリエイターに、当時の貴重なエピソードを伺うインタビュー企画「バンダイナムコ知新」の連載がスタートします! バンダイナムコエンターテインメントのルーツは中村製作所にさかのぼります。そこから、ナムコ、バンダイナムコゲームスと、会社としての形を少しずつ変化させつつ、時代とともにさまざまなクリエイターたちが作品を世に出してきました。 そんな歴代のエポックメーキングを手掛けてきた皆さんに、当時のチャレンジエピソードを聞いていく連載企画「バンダイナムコ知新」がスタートします。 連載の第1回目は「ビデオゲームのはじまり」がテーマ。数多くのゲーム設計を担当してきた大杉章氏にご登場いただき、エレ

    バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり 前編」大杉章氏インタビュー
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    k-takahashi 2019/03/11
    『中村製作所時代にはじまり、現バンダイナムコエンターテインメントに至るまでの、歴代のエポックメーキングを生み出したクリエイターに、当時の貴重なエピソードを伺うインタビュー企画』
  • 『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 | ゲーム文化保存研究所

    記事タイトル『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 公開日2019年03月10日 記事番号901 ライター 前田尋之 今や公共交通機関を使う上での必須のツールとなった『乗換案内』をはじめとした乗り換え案内サービス。それらの草分けといえるジョルダンのルーツはアーケードゲーム開発だった。しかも、名前を出せば誰もが知っている日物産の『ムーンクレスタ』(1980年)、『クレイジー・クライマー』(1980年)といった名作の数々。一見、畑違いと思える同社がなぜアーケードゲームを開発していたのか。当研究所の大堀康祐所長と見城こうじ氏とともに、全3回にわたって知られざる世界の紹介を試みた。第1回目はジョルダン設立の経緯について迫る。 ジョルダン株式会社 代表取締役社長:佐藤 俊和氏 監査役:小田 恭司氏 【聞き手】 ゲーム文化保存研究所 所長:大堀 康祐 ゲームディレクター:見城

    『乗換案内』のジョルダンのルーツはアーケード開発だった? 前編 | ゲーム文化保存研究所
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/03/11
    『システム開発をしていた会社でしたから「僕たちはゲームなんか作りたくない」なんて言うんですよ』 乗換案内のジョルダンの創設期の話。ニチブツの下請けでムーンクレスタを作った
  • 本の森を歩く(第19回)机の上の戦争 : 近代日本の「ウォーゲーム」 | NDLサーチ | 国立国会図書館

    デジタル掲載誌名国立国会図書館月報 = National Diet Library monthly bulletin (694):2019.2掲載ページp.12-17すべて見る

    本の森を歩く(第19回)机の上の戦争 : 近代日本の「ウォーゲーム」 | NDLサーチ | 国立国会図書館
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/26
    国立国会図書館月報2019年2月号の記事。明治期のウォーゲーム(プロ向け)の紹介が中心。当時の資料が掲載されている
  • イースⅠ・Ⅱ通史(4):『ロマンシア』とPC-9801VM::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。 それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。 というわけで… 前回、86年10月にPC88版の『ロマンシア』と『アステカ2』が発売されるまで話が進み、かなり『イース』の開

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/18
    『『イース』は、いくつかの点で明らかに『ロマンシア』から拡張されたスクロールになっているので『ロマンシア』のソースを橋本さんが読んで「なるほどこうやるのか」と理解し、そのうえで書き直され、改良』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(3):『リグラス』から『ロマンシア』::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版の『イース1』から、海外PCエンジン版(TurboGrafx 16)の『イースⅠ・Ⅱ』までの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 だから85年あたりから話は始まり、90年5月で終わることになる。 またそもそも30年も昔の話で、連絡が取れない人が多くて(鬼籍に入られた方もおられる)、ある意味、間接的な「様々な人から聞いて、どうやらこうらしい」という話の部分が多々あり、こうだろうと推測して埋めているところもあるので、知っておられる方は遠慮なく教えてくれるととても嬉しい。 それからコメント欄は承認制なので「表にするな」と書いてくれれば、表にしません。 ところで、とてもバカらしいのだけど書いておくけれど、これは「イース通史」で、パソコンの通史ではない。そしてイースは最初に88

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/02/03
    『「木屋さんは、当時ファミコンのソフトを作ってみたかったから、ファミコンみたいなゲームを作った」というのだ。 驚くような話だけど、当時の事を知っている自分としては理解もできる』
  • 歴史上最も影響力の大きなゲームのひとつ「MYST」はなぜゲーム開発者から賛否両論なのか?

    発売から25周年を迎えたPCゲーム「MYST」は、CGプリレンダリングで製作された静止画や動画による美麗な画面と、独特の世界観、そして難解な謎解きが特徴のゲームです。これまでにセガサターン/PlayStation/iOS/Android/ニンテンドーDSなどさまざまなプラットフォームに移植され、25周年記念パッケージまで登場しているMYSTについて、Fast Companyがまとめています。 Myst, one of the most influential games ever, turns 25 https://www.fastcompany.com/90240345/myst-at-25-how-it-changed-gaming-created-addicts-and-made-enemies MYSTはさまざまなプラットフォーム向けに発売されましたが、一番最初にリリースされたのは

    歴史上最も影響力の大きなゲームのひとつ「MYST」はなぜゲーム開発者から賛否両論なのか?
    k-takahashi
    k-takahashi 2019/01/23
    『MYSTばかりが称賛を集め、より良いゲームが認められるのに苦労する現状は嫌になります』 なんか、気持ちは分かる
  • イースⅠ・Ⅱ通史(2):『アルフォス』から『リグラス』まで::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    k-takahashi
    k-takahashi 2019/01/14
    『一応フルカラーでスクロールすることに成功しているのだから、そりゃあインパクトがある』
  • イースⅠ・Ⅱ通史(1):PC88MkⅡSRの発売::Colorful Pieces of Game

    このシリーズは様々な人から聞いて、どうやら(だいたい)はっきりしたパソコン版のイース1から、PCエンジン版のイースⅠ・Ⅱまでの通史として、出来るだけ当時の事情なども織り込みつつ、書いていこうというシリーズだ。 イースを作ったころと重なるのもあって、一度イースを作ったころの記事は削除しようか迷ったのだけど、比較することで「何がわかったのか」がわかるようになるなと思ったので残すことにした。 ものすごく長くなると思うのだけど、まとめて夏コミで最終的に新刊としてリリースされることが目標だ。まあ問題はとんでもないページ数になりそうな予感がすることだけど… また、このシリーズは、山根のバカ、五十嵐さん、古代祐三さん、進藤、長山君、百田のバカ、飯淳、その他名前を少し書きづらい沢山の方々から得た情報で書かれている。僕に情報をくださった方々に感謝したい。 ということで編。 世がファミコンブームに沸き立ちつ

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    k-takahashi 2019/01/02
    『1985年1月、PC-8801MkⅡSRが発売される。 こいつは実は日本のPCゲームシーンには恐ろしく重要なマシンだった』 『スクロールするタイプのゲームへのチャレンジを作り手が、一生懸命はじめる』
  • 80年代末に作り手になった人間のRPG史観::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    k-takahashi
    k-takahashi 2018/11/16
    『RPGに「J」をつけたのは誰か(何か)? と、質問すると、僕はその答えは堀井雄二さんで、そしてゴール、つまりJRPGを決定的な形で完成したのは『ファイナルファンタジーⅦ』(1997)というのが持論』
  • 1987年に手動でディープラーニングをしていた驚異の麻雀ゲームがあった──アキバ通いのパソコン少年がゲーム アーツを創業──宮路洋一氏にゲームAIの核を聞く【聞き手:三宅陽一郎】

    じつは1980年代の“国内ゲームAI史”は、これまでまったくの暗黒大陸と化していた。そんなところに発見されたその資料は、驚くべきことに──いまAI研究の最先端にいる開発者から見てもまったく色褪せない歴史的な完成度であるという。 この“早すぎる”麻雀の“ゲームAI”は、はたしてどう生み出されたのだろうか? この奇跡ともいえる仕様書を作った人物は、ゲームソフト制作会社ゲームアーツを立ち上げ、その後『LUNAR』、『グランディア』シリーズや『機動戦士ガンダム ギレンの野望』のプロデュース、そして『大乱闘スマッシュブラザーズX』の開発プロデュースなども手がけた宮路洋一氏だ。 宮路洋一氏 当時、23歳の若者だった氏が作り上げた“麻雀AI”完成度の高さの舞台裏には──じつに1年半にわたる、途方もない回数のテストプレイの日々があったという。 「いつのまにかAIになっていた」、「いま思うと手動でディープラ

    1987年に手動でディープラーニングをしていた驚異の麻雀ゲームがあった──アキバ通いのパソコン少年がゲーム アーツを創業──宮路洋一氏にゲームAIの核を聞く【聞き手:三宅陽一郎】
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    k-takahashi 2018/10/24
    『確率的な揺らぎの部分で予想外の結果が出たときに、その面白さを機械は評価できない』『テストプレイで感じたことがいちばん重要。スゴく時間がかかりますが、面白くするには、もうそれだけ』
  • スマホゲーム10年を振り返る座談会2008年~2009年編「あの頃は、タワーディフェンスが楽しかった」

    2018年で、iPhone が発売されてから10年。つまり、現代的なスマホゲームも10周年を迎えることになる。 今のうちに覚えていることを記録に残しておいた方が良い……と言うことで、古くから iPhone ゲームを紹介している iPhone AC の管理人カムライターオさん、meet-i編集長の今村さん、そして私ゲームキャストの3人が10月4日にDiscordサーバーの特設チャットルームで行った座談会の様子を記事としてまとめてみた。 ゲームキャストの管理人トシです。ゲームキャスト1人でやっているのでゲームキャストさんとか呼ばれたりもします。 2009年からスマホゲーム一筋でずっとライターしています。 iPhone AC の管理人をしておりますカムライターオと申します。アプリのレビューや攻略記事を作成しておりました。 iPhone AC での新規レビューの更新は9月末で終了しましたが、10月

    k-takahashi
    k-takahashi 2018/10/22
    雑談形式で、どこまで確認した情報なのかは分からないけれど、面白い
  • PCゲームの黎明期を綴ったドキュメンタリー本「ダンジョンズ&ドリーマーズ」のPDF版が無料で公開に。15年経っても色あせないその魅力をあらためて紹介 - 4Gamer.net

    PCゲームの黎明期を綴ったドキュメンタリー「ダンジョンズ&ドリーマーズ」のPDF版が無料で公開に。15年経っても色あせないその魅力をあらためて紹介 編集部:kawasaki 北米におけるPCゲームの黎明期を綴った書籍「ダンジョンズ&ドリーマーズ ネットゲームコミュニティの誕生」のPDF版が,2018年10月8日に公開された。ダウンロード価格は無料で,100円で購入(寄付)できるバージョンも別途用意されている。 書は,2004年にソフトバンク パブリッシングが発行した同名書籍(※関連記事)の電子版である。書籍版は長らく絶版となっていたのだが,当時翻訳を務めた平松 徹氏の手により,著作権等の問題をクリアしたうえで,このたびの復刊となった。 今回は,一人でも多くのPCゲーマーに読んでほしいという想いを込め,その概要や見どころなどをあらためて紹介する。また,平松氏にメールインタビューを行い,復

    PCゲームの黎明期を綴ったドキュメンタリー本「ダンジョンズ&ドリーマーズ」のPDF版が無料で公開に。15年経っても色あせないその魅力をあらためて紹介 - 4Gamer.net
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    k-takahashi 2018/10/10
    『4Gamer: 今回の復刊にまつわる作業を通じて,印象に残っているエピソードはありますか。 平松氏: 「ロード・ブリティッシュとスマホで文通した」ことです(笑)』
  • 平松 徹(Toru Hiramatsu) - BOOTH

    『ダンジョンズ&ドリーマーズ』の初版です。 『ダンジョンズ&ドリーマーズ(第2版):コンピュータゲームとコミュニティの物語』は現在、Amazon、Kobo、Book Walker、Apple Books(各330円で供養)とAmazonペーパーバック(プリントオンデマンド、2,393円)で販売中です。

    平松 徹(Toru Hiramatsu) - BOOTH
    k-takahashi
    k-takahashi 2018/10/08
    『『ダンジョンズ&ドリーマーズ』無償PDF配布サイト。100円〜のカンパウェア版もありますが、無償版もカンパウェア版も内容はまったく同じです』
  • 「ドラクエ史観」という病 | 触接地雷魚信管

    「ドラクエ史観」という病が日ゲームマスコミにはある。 『ドラゴンクエスト』シリーズがあまりに偉大な国民的ゲームになってしまったため、「ドラゴンクエストが日RPGを作った」とか言い出す病の事である。 前にも書いたが、海外RPGで『ウルティマ』シリーズや『ウィザードリィ』シリーズがあって、そこからいきなり『ドラゴンクエスト』が現れてヒットし、日RPGの夜明けがきた! こう思い込んでいる人がやたら多いんである。 ユーザーレベルならともかく、ゲームマスコミやゲームライターたち、つまりお金を貰ってゲーム記事を描いているような人たちまでもが、そんな今さら司馬遼太郎ソースで織田信長について語ってしまうような事を平気でしているのが、今のゲーム業界なのだ。 ふざけるでない。 そもそも日RPGは、まずパソコンゲームとして『ウルティマ』や『ウィザードリィ』に触発されて生まれた国産RPGが存在する

    「ドラクエ史観」という病 | 触接地雷魚信管
    k-takahashi
    k-takahashi 2018/10/02
    ドラクエ史観というかファミコンゲーム史観の問題はそうだと思う。ザナドゥのリソース有限(というかモンスター有限)は、私の周りでは割と意識しながら遊んでいる人が多かったので場所によるのかも
  • エメドラとイースの不思議な関係::Colorful Pieces of Game

    山根のヤツが飯君と飲みたいというので、7月にちょっと『エメドラ飲み会』みたいなものをやったとき、ついでに『エメドラ』の開発史についてイロイロ聞いたので、メモ書きがてらに残しておく。 エメドラ飲み会で山根と飯君から話を聞いて、開発の順序は『テスタメント』→『サバッシュ』→『エメドラ』だったのは確定した。 やっぱ当人たちに聞くと一気にわかるw 飯君が参加した流れは以下。 (スタート)もともとポプコムにライターとして参加 → 当時、編集部では『サバッシュ』を作っていて手伝ってくれと頼まれる → 手伝ったらあっというまにいろいろ頼まれるように → 同じシステムでもう一作ろう → バショウと組んで、『エメドラ』スタート。 と、こういう流れ。 最初は別のシナリオライターでやる予定が、飯君がやることになるのだけど、いろいろな理由でとても安くポプコムに掲載された広告があったので、エメラルドドラゴン・タム

    k-takahashi
    k-takahashi 2018/09/29
    『橋本君が作った『イース』のスクロールルーチンは実は88のゲームシーン全体に途方もない影響を与えているということがわかった』
  • 【ゲーム文化】俺たちをなかったことにするのヤメロ【1980年代】 | 触接地雷魚信管

    『ゲンロン8』共同討議へのご指摘に対する返答 https://genron-tomonokai.com/genron8sp/hentou/ の記事と、掲載されている 『ゲンロン8』共同討議へのご指摘に対する返答表 を読んだ。 言ってしまうと、 『電ファミニコゲーマー』編集部がわざわざ時間かけて225箇所の指摘を送ったにも関わらず、大半を「はいはいワロスワロス」で受け流しているとしか思えない回答に腹が立った。 そもそも、この執筆者たちの知識が余りにも浅薄なのだ。 もう物凄く簡単な話で、私がわざわざ貼ったのだが、 ログインの30年前のRPG特集 を見てもらえればわかるように、30年前の1988年には、もうJRPGの基文法は完成しているし、むしろ日RPGは成熟期とマンネリ化さえ危ぶまれていた時期なのである。 にもかかわらず、 とか書いちゃっているのである。 物凄い腹が立つなんだけど、この人

    【ゲーム文化】俺たちをなかったことにするのヤメロ【1980年代】 | 触接地雷魚信管
    k-takahashi
    k-takahashi 2018/09/29
    『私は言うしかない、少しは1980年代から1990年代にかけてのログイン、コンプティークのバックナンバー全部読んでから「ゲーム文化」を語れ、と』『俺たちをなかったことにするのはやめろ』
  • 伝説のゲームデザイナー・上田和敏氏×遠藤雅伸氏ダブルインタビュー 前編 | ゲーム文化保存研究所

    記事タイトル伝説のゲームデザイナー・上田和敏氏×遠藤雅伸氏ダブルインタビュー 前編 公開日2018年09月01日 記事番号492 ライター 見城 こうじ アーケードゲーム黎明期から企画者として活躍され、『Mr.Do!』(1982年/ユニバーサル)、『スターフォース』(1984年/テーカン)、『ソロモンの鍵』(1986年/テーカン)、『女神転生/女神転生2』(1987年・1990年/ナムコ、アトラス)、『キングオブキングス』(1988年/ナムコ)など多くのヒット作を手掛けてきた上田和敏氏。そして『ゼビウス』(1983年/ナムコ)、『ドルアーガの塔』(1984年/ナムコ)などの伝説的ゲームの作者であり、現在は東京工芸大学教授などを務める遠藤雅伸氏。2人はともにアーケード、コンシューマー、携帯ゲームと活躍の場を変えていったという似た経歴を持つだけでなく、若い頃からの知り合いで、カードゲームを共同

    伝説のゲームデザイナー・上田和敏氏×遠藤雅伸氏ダブルインタビュー 前編 | ゲーム文化保存研究所
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    k-takahashi 2018/09/01
    『お2人が1986年におこなった対談(『Beep』誌、1986年8月号に掲載)の内容について、改めてお聞きしていく』上田和敏氏、遠藤雅伸氏のインタビュー記事
  • ファミコン版FFⅡ、座談会で聞いた30年前のエピソード::Colorful Pieces of Game

    ファミコン版FFⅡのアルテマはなぜ弱かったのか?…これ4年も前のブログ記事なんだけど、バズるとか、全く馬鹿らしいなあと思いつつ、4年前に書こうか迷って書かなかった、このマルカツの座談会であった『FFⅡ』のエピソードを残しておきたい。 どうして書こうか迷ったかというと、歪んだ読み方をすれば、Disっているようにも見える話だったからだけど、こんなこと覚えている人はもうほとんど残っていないだろうから、ここにこうして残しておくことにした。 さて。 『FFⅡ』のシナリオは、寺田憲史さんが関わっているのも有名なのだけど、その座談会で寺田さんのシナリオについて坂口さんがしゃべり始めた。 「寺田さんのシナリオ、かっこはいいんですけど、あの人、ゲームのことなんか、な~んにもわかっていませんからね」 と坂口さん、断言。 全員「エエエエッ!」 「シナリオあがってきて、みんなで『うわーかっこいいんだけどさあ、これ

    k-takahashi
    k-takahashi 2018/08/29
    『ドラマでは当たり前で、寺田さんはドラマを作ろうとした。それが当時のゲームの文法からはかけ離れていたのだけど、スタッフは困りながらも、寺田さんのシナリオを実現しようとして、結果的に革命』