緒方洪庵 木像 適塾 玄関 一階 洪庵先生が適塾を開いた1838年(天保9年)から閉鎖される1868年(明治元年)の30年間に、636名(門人帳・姓名録記載)の塾生が適塾で生活した(門人帳に記載のない塾生も多く、実際は3千名程だったという) 適塾 塾生の出身地 都道府県別 適塾の塾生大部屋 二階 塾生大部屋 二階の大部屋(30畳)で塾生たちは寝起きし勉強した。塾生は常時30名ほど。つまり1人1畳にそれぞれ机、寝具、生活用品一式を置いて生活した。 福沢諭吉によると『夏は真実の裸体(はだか)、褌(ふんどし)も襦袢(じゅばん)も何もない真裸体』だったという。 まさに芋の子を洗う状態で、塾生たちはひしめき合って起居を共にし、それこそ何年間の裸の付き合いを通じて、刺激し合い、学問ととともに中身を磨いていった。 メルティングポット(るつぼ)のような生活環境から多数の人材を輩出した。 適塾 展示室パネル