今回の記事は、書籍『庚申信仰(小花波平六著)』P.214-217の内容をまとめたものです。九州における猿田彦大神を主尊とする庚申塔についての説明です。自分自身の頭の整理のために、書籍の内容を、九州各地ごとに編成して記しています。 猿田彦大神塔が比較的はやくつくられはじめた九州 九州地方の庚申塔の特徴としてあげられるのは、猿田彦大神を祭神とする神道的な庚申待が比較的早くから行われていたことです。 もともと、猿田彦大神を祭神としてまつる庚申待は、江戸時代に山崎闇斎や橘三宮などによって説きはじめられたもので、これはおおむね、1661年1673年の寛文年間だということです。しかし、神道的な庚申待の思想が、ただちに全国的に普及したわけではないようです。 九州の庚申塔に刻まれる建立年から確認できることは、1688年から1704年の元禄年間に、神道庚申説が普及しはじめるということです。 いっぽう、庚申信