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ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (36)

  • 自由の享受条件 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M 困ったもんだ  "「淘汰されるための枠組」について考えておられる。それが「公共圏」です。" 失笑した。 はてなブックマーク - 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船 「失笑」ですか。そんなブコメ番長なレトリックを書き付けている暇があったら、正面切った反論をエントリとして上げてください。sk-44は問題の所在についてコレとコレとコレとコレがわかっていない、ココとココとココとココを踏まえていない、と、そういう話を。存分に反論してほしいので、待っているんですけど。そして待ちくたびれかけています。「自分はそんなことを言っているのではない」という話なら了解です。確かに読み違えていました。申し訳ありません。改めて、tikani_nemuru_Mさんの一連の発言を確認しました。議論の軌道を修正するべきでしょう――むろん私の責任なので、私が。 このところ挑発的なエントリを書

    自由の享受条件 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/25
    法であれ(現にエロゲが周辺化されてしまっているように)差別によるものであれ自由に紐が付けられると『1984年』になる。表現の自由は思考の自由なので許されたもの以外の思考は抹殺される。反芻の否定は創造の否定。
  • 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M  sk-44はわかって書いているはずだけれど、僕はいかなる「性」も否定しない。加害を問題にするだけ。最初からその論点/自律的判断主体であるという「みなし」が人権の根底にあるから「合意」を問題にしているだけ はてなブックマーク - 寝室の市民権 - 地を這う難破船 ええ、だから、何を「加害」と見なすか、その枠組をめぐって議論を続けてきたのだと思いますが。特定の性行為が「加害」を伴う限りにおいて問題である、と。私が言っているのは、「加害」という概念と寝室の問題であるところの性はそもそも整合しないという話ですが、「だから」児童ポルノの単純所持規制に及んで「搾取」という問題系が提出される。そして、ポルノは性的搾取の証明としてある、というラディカル・フェミニズム以来恒例の話になる。搾取に対して国家は介入すべき、というのはその通りです。時に超国家的に。児童ポルノの問題は

    性的搾取の後始末 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/23
    「差別的で幼稚」なtikani_nemuru_M氏が淘汰されるべきとは思わないしね。
  • 万人のノイジーのために - 地を這う難破船

    ⇒革命的非モテ同盟跡地 確かにモアスピーチを増やすべきだとか、差別的な意見を批判していくべきだというようなことは有意義であると思います。私個人の意見としては、それに賛成したいし万人がノイジーであるということ - 地を這う難破船で指摘されているように、社会的公正を実現していかなければならないというのも賛同するところです。 しかしながら、それが「法規制されたくなければ社会的公正の実現のために努力しなければならない」という議論になれば、それは実質的に法規制という強制力をもって社会的公正の実現という政治的な意見に賛同させることと変わらないでしょう。何が社会的公正なのか、誰がマイノリティなのか、誰がサイレントなのか… そういう人が実際に存在し、例えば性犯罪の被害者がそのような地位に追い込まれがちな傾向があることを私は認めますが、しかしながら厳密に誰が、ないし誰によって構成される社会集団がそうなのかを

    万人のノイジーのために - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/19
    そもそも差別がないなら差別を解消するための言論も必要ない罠。/口を閉ざさねばならぬ人が居るのはエロゲ製作者の大半が口を閉ざしているあたりからも推察可能。極論を言えば「死人に口無し」ということもあるし
  • 寝室の市民権 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090718/p1 「当の」云々、と大いに誤解を招く書き方をしたことは事実です。またNaokiTakahashiさんが反論として書いておられるわけではないことも重々承知していますが、弁明させていただきますと、私は真贋の話をしているのではありません。「いやそんなサディズムは偽物だ」「サドの文学作品を読んでみろ」ということを言っているのでは私はまったくない。そのような優越感ゲームで済む話ならどれほどよいか。 tikani_nemuru_MさんもApemanさんも、当然佐藤氏も、その問題意識ゆえに、かなり根源的なラインまで突っ込んできており、反論も厄介です。 tikani_nemuru_MさんとNaokiTakahashiさんの議論の中でSMという問題が示され、それに対してtikani_nemuru_Mさんは、相互

    寝室の市民権 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/19
    説明が必要かなと思ってたこと全部説明されちゃった。ここから「自由は隷従なり」まではもう1ステップ必要だけども。/児童ポルノ禁止でも家庭内性奴隷は消えず単純所持禁止によりオナニストへの加害も正当化され…
  • 万人がノイジーであるということ - 地を這う難破船

    ⇒「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び ⇒Non-Fiction(Remix Version) | ヘイトスピーチと言論の自由 tikani_nemuru_Mさんやうちゃさんに対する反論ということではなく、私なりの補足的な見解として。 ハーバーマスの公共圏論に対するテンプレートな批判として、言論強者の論理、というものがありました。ハーバーマスにおいて言論とは公共圏の問題だったから。言論が公共圏の問題なら、配慮とは、公共圏の言論に耐えない他者を想定することです。ジョナサン・ローチが批判したのは、そのことでした。今回問題視されたことに限らず、性犯罪被害者、被差別者の言動が「公共圏の言論に耐えない」として却下される光景を私は幾度も見てきました。 ヘイトスピーチにも言論の自由はあるか、という問いは微妙にトラップで、つまり欧米においてヘイトスピーチと定義されるそれは言論ではないので。

    万人がノイジーであるということ - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/17
    マイノリティーの対抗言論さえも構造化され回収されてしまう、というのが1984年(オーウェル)の本題で、スターリニズムにスターリンという主体は要らないという絶望。ノイジーか秘儀かというのが問題ではないと思う。
  • 蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - nanae_llのブックマーク / 2009年7月14日 nanae_ll 性  「合意がないからSM」…えーと、世の中には「SはサービスのS、Mは満足のM」という言葉もありまして(何)/まあ軽口はともかく、サディズムを「嗜虐趣味」、マゾヒズムを「被虐趣味」とするならば、(メタブへ続く) 2009/07/14 nanae_ll 性  (続き)両者の合意に基づくSMプレイはありうると思いますし、程度問題ですが一概に否定されるものでもないと思います/というか、DVの類とプレイを区別するために「合意」が必要だと思ってるんですが、私は。 2009/07/14 nanae_ll メタブ  NaokiTakahashi様 すみません、私は生身基準の話しか出来ないので;/ただ、「生身の問題」であれば、合意のないSMって単なる暴力ですよね?/y_arim様 自覚はあるので、表現論

    蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/17
    「惨事」を忌諱し絵師とライターの技巧と声優のアニメ声に形作られる小宇宙をもって自己完結するオナニスト、を白日の下に曝け出して罵倒に晒す。これこそ合法的なサディズム! 公開蹂躙ショー!!
  • 周縁文化と世間様 - 地を這う難破船

    ⇒2009.7.6: 日記 佐藤亜紀様 また、遅くなってしまいました。申し訳ありません。時間が取れなかったこともあるのですが、書きあぐねていたことも確かです。認識の面では同じくしうる点が多いと考えるにもかかわらず、対立することについて。tikani_nemuru_Mさんとの議論についても併せて考えていました。 ■ そもそも自由主義とは、タダ乗りを認める社会思想です。タダ乗りを認めるところに社会思想としての自由主義の意義がある。だから、タダ乗りについて指摘したところで自由主義の立場においては「それがどうした」になる。以降は個々人のモラルの問題。むろん、タダ乗りが過ぎてシステム自体が瓦解する危険性は常に孕んでいる。しかし、リソースの有限性を問う必要がない表現の問題においては、タダ乗りが過ぎた結果によるシステムの瓦解は新式のスターリンの登場でしかありません。 保守主義的な立場においては、タダ乗り

    周縁文化と世間様 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/13
    『私的領域における配慮の問題』おもいやりで問題が解決するなら苦労はない。かといって公に問題にしてもマジョリティーに押しつぶされるだけ。そこでフィクションに封じ込めて公示? ゾーニングしないと潰されるです
  • 「上の口」の汚染について - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.30: 日記 佐藤亜紀様。 遅くなりました。申し訳ありません。『生活と意見』での『エロってどんなものかしら』も拝見させていただいたうえで、「誤解」について説明させていただきます。 凌辱表現が退廃的なものだとは、私は欠片ほども考えておりません。むしろ健全そのものであり、この上なく社会的です——某大某サークルの追い出し輪姦の伝統が健全そのものでこの上なく社会的であるように(山あらば登るように酔女あらばこれを犯す、でしたか)。彼らが教員になって学童生徒を指導することほど、この社会において健全で社会的なことはない。ここで論じていたのは、そうした健全さ、社会性の高さ、が犠牲にしているもの、であった筈です。 それほど健全で社会的なら自主規制されることもない。某大の学生のインターネットでの発言が自主規制されることのないように。「世間様」の秩序の表と裏の話は了解しますが、法学的規範の議論を

    「上の口」の汚染について - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/05
    GTA(車で人を轢き殺すゲーム)がなぜ引き合いにだされるのかを理解しない相手へ説明するのだとここまで原理的に噛み砕いての説明が必要か。/人権論と表現論の交通整理が必要かも。というかなぜそれが通じないのか、が。
  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/07/03
    「嫌なものを目にしないで済む自由」と「忌まわしいものを目に付かないよう排除する」は全く正反対の概念なんだけど、それを混同するとこういう反論を食らう。公共圏において前者は成立の必要条件、後者は論外。
  • 力学と理念 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.23: 日記 佐藤亜紀様。 整理された点については異論ありません。法規制が、されてしまうだろうことについても。私も、見通しの良い話をさせて頂きます。 いわゆる匿名者による、現実の力学を前提した、規制反対論に対する戦術指南めいた指摘に対して、当初、不可解に思っていたことがありました。ヤクザに借りを作ればいいのに、となぜ誰も言わないのか、と。当然、第一に、インターネットでそのようなサジェスチョンを行うのは単なる馬鹿であり(「で、お前はどこの誰でどの方面と話が付けられるのか」という返答が1秒で返ってくるでしょう。トークポジションが問われて当然)、第二に、それは戦術指南の体裁を纏った、「表現の自由」一槍の規制反対論に対する、批判だからです。 現実の力学を主張するなら、誰もその外側には出られません。にもかかわらず批判は、力学からの距離を、自分自身を棚に上げることを、要請します。そう

    力学と理念 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/28
    条件闘争万歳。/馬鹿な理屈に対しても丁寧に理屈立てて反論してるのは凄いな。/「人権」は非欧米社会をレイプする口実じゃないの? 日本が「エロ支援国家」と断定され秋葉原や日本橋にトマホークが降る日も近いかも。
  • スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船

    来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した

    スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/26
    はてダもはてブも「表象の商業的流通」だよね、運営する[株式会社はてな]は企業だから。/ソフ倫の奥つ城にスターリンが居たわけだけど黒船イクオリティが横紙破りで個別製品直接批判。これは進歩ではあるんだろうな。
  • 自由な社会のセキュリティホール - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.19: 日記 蹂躙の肯定はこのように具体的な形を取るか、と改めて閉口したのは確かです。当然、言論の自由は個々人の傷付く心と関係がない。言論の自由を制限しうる公共の利益は個々人の傷付く心と直接には関係がない。個々人の傷付く心の問題は人権問題ではない。 これは、古典的な自由主義の原則です。個人の傷付く心の問題は、自由の問題でも人権の問題でもない。貴方の傷付く心の問題は貴方が手当てすべき問題であり、この利権で動く国家の、それも法的規制において、傷付く心の手当てを要求するなど、自由の価値を毀損する論外の行為である、と。 少なくとも、表現規制を行政サービスと捉えることを退ける自由主義においてこの基線は動かないのですが、しかし、個々人の傷付く心の問題は存在する。そして、その場所に、現存する差別構造が圧倒的な非対称性として作動している。自由で寛容な社会の差別問題とはそのことで、そのとき

    自由な社会のセキュリティホール - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/23
    それはセキュリティーホールではなく戦場。レイプ被害者もエロゲ愛好家もただひたすら一方的に叩かれる不均衡な戦場。叩くのは匿名の正義。それこそが本物のマジョリティー。
  • 泣きと抜きの政治学 - 地を這う難破船

    ⇒id:seijigakutoさん、マジで言ってんのそれ? - あままこのブログ ⇒ポルノについての個人的な意見 - WinterMuteの日記 inspired byとしてリンクしますが、ほぼ独り言として。 『CLANNAD』を私はゲームどころかアニメもほとんど見ておらず、よって何も知らないのだが、人生と真面目に力説する友人の啓蒙にはよく触れていた。父になる男の成長物語で、男になることとは女性たちとの関係の中でまがりなりにも父になることだ、と。実際、友人はそうした問題と直面していた。 私はどういう話か知らないので聞くだけだったけど、それなら『莫逆家族』と同じだな、と思って、『莫逆家族』は私はとても好きなので頷いた。『莫逆家族』なんて家父長制肯定に決まっているのだが、あれを家父長制肯定として片付ける者を私は馬鹿と見なすだろう。『莫逆家族』の世界は歪んでいますね、って当たり前の話。イーストウ

    泣きと抜きの政治学 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/23
    『新式のスターリン』は、ある種の性向のエロゲパロを自発的に作らされている、という点で既に機能してる気がする。エロゲというパッケージで泣きゲを作り、抜けないそれを「エロゲ」として賞賛する。
  • 懲罰としての去勢 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - minori kitahara column 北原みのり氏の文章を久しぶりに拝見した。「模範的被害者」「非の打ち所のない被害者」というものを世の中は求める。その場所から減点法で個別の被害者の「落ち度」や「非」をカウントする。それは権力の作動で、「犠牲者は無垢でなければならない」すなわち無垢にあらずんば犠牲者にあらず。だから世の中が一方的に押し付ける「犠牲者」という観念は、個別の被害者にとって、スティグマでしかない。 社会は観念としての「犠牲者」を必要とする。その犠牲者は無垢でなければならない。硫黄島に星条旗を立てた兵士が雄々しく戦った国の英雄でなければならないように。「犠牲者」の存在は環の一端でしかなく、その権力の環から外れた者は誰も守らない。男女の仲は文脈に規定される。関係性は、そうした男女の仲を規定する文脈をずらしていくものとしてあるが、しかし男女の仲は今なお

    懲罰としての去勢 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/21
    強姦の強姦たる所以は個人の尊厳の無視ではなく財産権の侵害、というのは文化人類学的偏見か。女性の性は当人のものという了解がこの部分の齟齬を隠してしまっている。/全ての性癖に対して「ハッテン場」が必要かも
  • 表象と欲望 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.17: 日記 性の問題は聖域ですが、暴力の問題は当然聖域ではないし、蹂躙の肯定もまた聖域ではない、というのが私の認識です。むろん「聖域」とは社会的合意の問題ですが。そのような社会的合意を採らない、という立場はあると考えます。あるいは、そのような社会的合意の欺瞞性について指摘する立場も。だからこそ、性の問題を聖域と考える私は、聖域たらしめるために、暴力や蹂躙の肯定については問題と考えます。聖域とは神聖不可侵ということではない。神聖不可侵と考えることは近代の神話そのものです。 「聖域」だからこそ、私たちはその「秘密」を「告白」することにおいて個人の尊厳を贖ってきた――そうした発想の賞味期限がとっくに切れたのが現在です。そして現在において、私たちは告白さるべき秘密をネタ化し商業化し、結果、暴力的で差別的な欲望がインターネットを媒介として世界に伝播する。そのとき、野放しにされた欲望

    表象と欲望 - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/21
    『個人の尊厳とその在処について社会が合意すること』が不可能なのが根本の問題(イスラム圏との対話不能性とか)。/倫理を法に委ねると結局はマイノリティーが弾圧されるのでフェミニズムがそれに頼るは自殺的。
  • 欲望が問われるとき - 地を這う難破船

    ⇒リベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び 流石と思ったけど――やはり私の見解とはこの点で決定的に相違する。 問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら(そういう表現者もとうぜんいるでしょう)、陵辱をテーマとした作品を作ればいいのです。 たとえ表現の自由に紐が付こうと、表現には紐が付かない。私はそう考える。Chim↑Pomのときも書いたけれど、原則論として、表現したい人は勝手に表現するのであって、その表現を社会的な文脈に位置付けるのは他者。「問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら」などという紐は、およそあらゆる表現に対して付いてはならない。だから、雉と射手の存在を同時に肯定してなお事態を収拾する法の執行について述べた。 Chim↑Pomと陵辱エロゲの相違点は、現代アートと商業ということで、だから市場の性

    欲望が問われるとき - 地を這う難破船
    kadotanimitsuru
    kadotanimitsuru 2009/06/15
    はあらゆる方向に自由であるべきで、それを社会的に位置づけるのは批評家の側の役目だよね。倫理道徳の道具にしたいならその数多の表現の中から恣意的に摘み上げ利用すればいいんであって表現者を縛っても不毛