もともと私はシャープ株式会社の社員で、自分で開発した半導体の部品を売り歩いていたんですね。そのセールス先のひとつが任天堂で、"光線銃"という商品の電子回路を受託したことがご縁で、その後、任天堂へ入ることになりました。ディスクシステム誕生の前に、まずファミコンがあるわけですが、それ以前にビデオゲーム開発の責任者をやっていまして。それで、社長が「アーケードゲームがテレビ画面でも遊べるようなものを作れ」ということを言いまして、そこからファミコン開発がスタートしたんです。 そうです。社長にファミコン開発を言い渡されたのが、ゲーム&ウォッチ全盛の1981年頃ですね。人気商品は必ずコピー商品が出て市場が飽和状態になりますから、それを見越してのことでした。ファミコンにあたるものの開発には、いろいろ考えましたよ。当時アメリカでは『ATARI2600』が大ブームでしたから、それを参考にしようかなと思ったんで