編集元:野鳥観察板より「●・ θ・●すずめが好きだぞ、ゴルァ!(36羽目)」 12 定期貼り ◆.Chun/Nhck :2008/10/25(土) 21:29:41 ID:??? 続きを読む
編集元:野鳥観察板より「●・ θ・●すずめが好きだぞ、ゴルァ!(36羽目)」 12 定期貼り ◆.Chun/Nhck :2008/10/25(土) 21:29:41 ID:??? 続きを読む
青空文庫というネーミングをいつ誰が付けたんだろうと思い返すと、ネット上の電子図書館という構想を富田さんに話したときに、その場でポンと富田さんが自分のイメージのまま勝手にネーミングしたような気がする。 世界中、何処にいても、見上げると青空がある。 青空は誰のものでもない。 みんなのものだ。 その青空に本棚がある。 そこにある本は誰のものでもない。 みんなのものだ。 そのころはまだプロジェクト・グーテンベルグのことも知らなかったし、ローレンス・レッシグなんて名前もまったく知らなかった。 だから、共有性という概念に何か深い意義を見い出した結果が「青空文庫」というわけではなかった。 ただ単純に、本を共有する場としての青空というイメージがあっただけのような気がする。 その綺麗なイメージに共感して、富田さんのネーミングにすぐに倣ったんだとおもう。 しかし、青空文庫を開設した1997年当初、青空にある本
師走に入ってはや一週間が過ぎ、いよいよクリスマスも近づいて参りましたが、非モテのみなさん怨嗟の声をあげる準備はお済みでしょうか? インターネットの世界では、「聖なる夜が性なる夜になっている」だとか「無宗教主義の日本人が異文化にかこつけてセックスセックス」だとか、毎年繰り返されるお決まりの文句が飛び交っておりますが、私はまったくの無関心でありました、つい今し方ボニーピンク姉さんの新譜を聴くまでは。 ボニーピンク姉さん(以下「ボ姉」)の新曲「CHAIN」は、クリスマスソングであります。メリークリスマスと何度も歌ってらっしゃいますので、これに至っては間違いない。「キャンドル」や「星空」だなんて小洒落たワードもちらほら聞こえて参ります。ボ姉といえば、私個人の思いこみかもしりませんが、割と硬派なイメージがありまして。商業主義的ミュージックにチキチキとカッターナイフを突きつけ、自分の思うままの歌をお歌
なんでできないの?と言ってできるようになったら最初っからできてるという話なので,もー何で!と言いたくなる時はぐっとこらえて,じゃぁどうすればできるのかってことを考えるようにしてる。 自分もたいして細かい方ではないし。というか自分の方が苦手かもしれない。 トイレットペーパーの補充を夫はしてくれない。なくなったよーっていうだけ。いや,なくなったなら上の棚に入ってるから替えてくれ。なんだけど,いちいち言うのもめんどくさいし,自分がいない時はやってくれないので上の棚ではなく二,三個はトイレットペーパーホルダーに入れるようにした。何このかわいいのwとか言われたんだけど(かわいいのがあったので買ってしまったんだよ!かわいいからいいだろ!)物珍しさもあるのか,ちゃんとかえてくれるようになった。すぐ手に届くのがいいらしい。最近なくなったらホルダーに補充してくれるようになった。これはよい。 シャンプーなどが
同棲(どうせい)していた女性にあんまんの購入を頼んだのにチョコまんを買ってきたことに激怒し金づちで殴ったとして、茨城県警土浦署は17日、傷害の疑いで、同県美浦村、ゴミ収集作業員、早川馨容疑者(64)を逮捕した。 調べでは、早川容疑者は11月1日午前1時半ごろ、土浦市内の女性(57)宅で、女性に「あんまんを買ってきて」と依頼。女性は、品切れだったあんまんの代わりにチョコまん数個を、近くのコンビニエンスストアで購入したため、「頼んだものと違う」と激怒し、女性宅にあった金づちで女性の頭を数回殴り、全治3週間のけがを負わせた疑い。 調べに対し、早川容疑者は「頭にきたのでやってしまった」と容疑を認め、「申し訳ない」と反省しているという。 11月中旬に女性が同署に相談。「今までもたびたび暴力を受けた」と被害届を出した。2人は約10年前から同棲していたという。
■日本語が滅びるとき。 『続明暗』や『私小説』『本格小説』などの作品で知られる水村美苗という作家がいるが、彼女が書いた『日本語が亡びるときーー英語の世紀の中で』が、今、各処で、話題になっているようで、その影響もあるのだろうが、「新潮」と「文学界」の12月号にも、対談(「日本語の危機とウエブ進化」)とインタビュー(「日本語は亡びるのか」)に水村美苗が登場し、「日本語」の未来について語っている。その発言は、対談者が『ウエブ進化論』の梅田望夫や翻訳家の鴻巣友季子だということからも想像されるように、インターネットに象徴される最近の情報革命による社会システムの変容の流れに沿った、つまり時局に迎合した情勢論的発言という趣もないわけではなさそうだが、いずれにしろ、日本語論としても、英語論としても、最近では、珍しく、刺激的、且つ挑発的な論と言っていいだろう。 水村美苗は、12歳のとき、父親の仕事の関係でニ
小中学校時代の友達と4人で会った。 言いだしっぺの子は子持ち、私は既婚小梨、あと独身2人。 まさかとは思ったが、言いだしっぺの子が2か月の子を一緒に連れてきた。 普通、連れてくるか?っていうか、事前に知らせといてよ、覚悟するから。と思ったが、それからも大変。 「ソファのある席がいい(寝かせられるから)」と、そういう店が見つかるまでうろうろ。 「(頼んでないのに)抱いてみる?」 粉ミルクを座席であげるのは百歩譲って良しとしても、おむつを座席で変えるのはどうよ。 「こんな長い時間外出したことないんだよねぇ」・・・どうして最初の長い外出が、他人と会うときなのか。 私たちは思い出話と近況の話に花を咲かせたいのに・・・半分以上子供の話題。私含む3人が他の話題ふっても、 結局子供の話に戻そうとする。 おまけに「○○ちゃん(私)は、子供まだ?」・・・・ほっとけ。 子持ちの子は、昔は常識あって賢明な子だっ
私は7年前に夫と死別した。12月のことで、ちょうど7年前のこの日、葬式を出した。きょうはその話を書こうとおもう。思い出話というよりは、なるべく実務的に。最近、匿名ダイアリーからはじまったのか、お葬式に関する議論が出てくる。このエントリはそれらの議論への応答でもある。 すでにブックマークコメントや別エントリでも書いたが、私自身は葬送儀礼にもそのあとの祭事にも意義を認めている。いっぽうその形式についてはそれほど伝統主義者ではない――キリスト教という日本土着の宗教でないものに共感し、一方で正式には信徒共同体の一員ではないという割合微妙な立場にいるため、伝統によった主張をしにくいという個人的な事情もある。亡くなった人はわたしと違い、キリスト教に一定の理解はあったが、本人の自覚ではあくまでも門徒だった。ただ、彼が強い信仰を持たなかったせいもあって、それで葬儀とそのあとの弔いについては、かなりわたしの
私は元ひきこもりの非コミュ女子です。 中学高校合わせた出席率は6割程度。当時からの友達は0人です。 働くようになってから高い金払ってカウンセリングに通ったお陰、 または会社で数少ない若い女だからという理由もあって(こっちがメインだと思うけど)、 飲み会で孤立するほどのレベルからは脱出できました。まだまだ空気は読めないよ! そんな私の経験上、非コミュは生まれてくる前からの宿命みたいなもので、 本人の努力如何でどうにかなるものとは到底思えません。底の見えない深い穴のようなイメージ? でも「(昔の私によく似た)非コミュの人を大切にしなければ!」という思いが強すぎて、 他の人よりも損をしているのではないかと思うことが最近増えてきました。 非コミュの人のことは、さらっと無視できるようになったほうがいいのでしょうか? 実例を2件挙げます。 おつきあい編これは1年ほど前の話。 私自身が非コミュだったもん
おい、山下拓也よ! おまえ、このままで済むと思っているのか? いまからおまえのしたことを書く。 おまえは、「本の山」の熱狂的なファンだったよな。 1日に4回も5回もアクセスしてくるんで正直、怖かったよ。 どんなやつかとおまえさんのブログも読んだ。 マーケティングの仕事ってなんだい? いまもって正直わからない。 ブログの感想は、偉そうなやつだなということ。 読んでいてむかむかする記事が多く、ぜんぶ読めなかったものも少なくない。 フリーとして大金を稼いでいるのが、こいつの過剰な自信のみなもとだと知る。 42歳。早稲田大学卒。妻あり。今年、第二子が生まれた。吉祥寺在住。 こういういかにもな成功者は嫌いだが、、向こうが好いてくれたらわたしも鬼ではない。 とにかくカネを持っていそうだ。人脈も豊富にあるらしい。 この先生に関心を持った理由である。 業界では有名らしい吉祥寺拓也こと山下拓也からこんなメー
ヨーロッパの某国でドクター3年目をやってるときに、大学のアドミニストレーションで受付をやっていた地元の女の子(ソフィア、10歳下)と軽い気持ちで付き合いはじめた。 俺がドクターあと少しで終わってやっと日本に帰れるっていうときに、遠距離3年半含めて当時4年半つきあってた日本の彼女(3歳下、国立大卒の医者で俺より稼ぎがいい)が、「キャリアアップのためにアメリカに留学します☆」とか言い始めやがったのがきっかけ。結婚して家庭もって・・・って考えていたのに。あまりに腹が立ったんで、前からちょっとかわいいなと思ってたこの子を適当に口説いてみたら、あっけなく向こうから好かれてしまった。正直びっくりした。 ソフィアは静かな女の子で、複雑な家庭環境で育ったらしく、感情の起伏が激しくて、メンヘラーっぽい。昔は相当荒んだ生活を送ったらしく、そのせいで高校もドロップアウトしたって言っていた。でも、今はすっかりまじ
1968年10月18日 日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成と三島由紀夫、伊藤整との対談です。場所は鎌倉にある川端邸で、ノーベル文学賞を受賞した翌日に特別番組として放送されたものです。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く