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ブックマーク / mubou.seesaa.net (87)

  • あなたが「書きたい」と思ったエントリーが、一番面白いエントリーだと思うのですよ。: 不倒城

    少なくとも私はそれを読みたい。「なんか書かなきゃ」で書かれたエントリーよりも、「あ、これ書きたい」で書かれたエントリーを読みたい。 「あ、これ書きたい」だけで埋めつくされたブログって、きっとすげー面白いブログになるだろうし、いつか必ず誰かが突き当たって、「あ、すげー面白い」と感じると思う。Webの読者ってホント凄い。「誰かが面白いと感じる」ものを絶対に見逃してくれない。 で、重要なのは「あ、書きたい」と思うペースであって。それは多分脳みそが息継ぎをするペースっていうか、表現欲求が空腹を感じるペースっていうか、割と生理的なもの、てきとーなものであって。24時間なんて人工的なペースで規定出来るものじゃないんじゃないかなあ、と。 これ読んで、なんとなくそう思いました。まあ、ペースなんてものはそれこそ人それぞれなんだろうけど。 私は書きたい時に書きたいことを書くし、他の人が書きたい時に書いた記事を

  • 「嫌うスタンス」にまつわる色々。: 不倒城

    ふと気付いてみると、今の私には「嫌いな人」がいない。 ここ数日妙に色々と立て込んでいて、Webでのアンテナを下げていた折。職場で例によって他部署の同僚の愚痴を聞いている時、ふと違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人を嫌いになれるんだろうなあ、と。 同じく、ちょっと仕事が立て込んでいて、現実逃避にブログをぶらぶらとしている折。多分同じ様な違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人格否定の文言を形に出来るんだろうなあ、と。 ちょっと雑然とした話になりそうなので、まず先に思ったことをまとめておく。 ・「人を嫌う為のコスト」というものがある様な気がする。そして、それは人それぞれ、結構差があるものである様な気がする。 ・私に関する限り。ろくに知りもしない人を嫌いにはなれない。そして、ある程度その人のことを知ると、結構色々と面白い部分があるので嫌いになれない。 ・それは私が「色んな人を深く

    kanimaster
    kanimaster 2008/02/13
    「嫌い」を表明する人は、他の誰かの同意を求めているのだと思う。
  • 大衆感覚とか、本のタイトルに関する感覚とか。: 不倒城

    「大衆感覚」ってやつがわからない どうなんだろう。 奇をてらわなくていいから、一般大衆にとってわかりやすい企画を立てろ。かっこつけなくていいから、一般大衆にとってわかりやすい書名をつけろ。方法論の違いなのか、あるいはジャンルの違いなのかも知れないが。 私が昔お世話になっていた編集者さんの言葉を引用すると、こうなる。 「スコープは狭ければ狭い程いい」 「平均に受けてもしょうがないんですよ。平均値って存在しない値のことなんですから」 「10人中5人になんとなく受ける題名より、10人中1人が必ず手にとる題名の方がいい。手にとってもらいさえすれば、はそこから広がるものなんです」 どっちが正しいのか、あるいはどっちが適しているのかは良くわかんない。ただ、そんな言葉を発する編集者さんにお世話になっていた身の私としては、「大衆感覚」という言葉にはあまり価値を感じない。存在しない客層を想定してどうすんだ

    kanimaster
    kanimaster 2008/02/05
    生活感覚というのもあると思います。
  • 不倒城: 面接官をやり始めて分かったことと、思ったこと。

    ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。 で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。 ○面接側の事情について思ったこと。 ・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。 ・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。 ・当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。 ・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。 ・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。 ・「弊社を希

  • 不倒城: 文系不倒城: 文系SFと理系不倒城: 文系SFの違いについて。

    SF関係の割とどうでもいい話。 理系女子と文系女子の話が、一時期一部で盛り上がっていたらしい件に遥か乗り遅れた気配があるので、正統派SFファンの流儀にのっとって、「女子」の部分を「SF」に置き換えて話題をスゴイ勢いで転換したら色々とすっきりして楽しいんじゃないだろうか。主に俺が。 なに、心配することはない。ごく一般的な置換だ。疑うなら、はてな匿名ダイアリー辺りで「女性」「女子」「彼女」「嫁」という単語を全て「SF」に置き換えてみるといい。文脈には大して影響しないから。 というか、理系SFとか文系SFっててっきり一般名詞だとばかり思っていたのだが、ぐぐってみたら全然一般的じゃなくて俺涙目。別にいいけどさ。 取り敢えず私的な定義。 ・文系SFSFという舞台・SFという枠組みではあるが、語られている主題自体はSF的なものではなく、SF要素は小道具的な使われ方をしているSF。 ・理系SFSF

    kanimaster
    kanimaster 2007/11/14
    小松左京は両方書いてますよね。
  • 不倒城、三年のまとめ。: 不倒城

    「読んでくれる人」を信頼すること。 書く時には「読んでくれる人」を気にすること。書き終わったら「読んでくれる人」のことは忘れること。 不倒城を始めて三年経った。 不倒城は、丁度三年前の昨日、第二次だか第三次だか第四次だかのブログブームに乗っかってなんとなく始めた泡沫ブログである。そして、三年経った今でも首尾一貫して泡沫ブログであり続けている。われながら見上げた一貫具合だと思う。誰か褒めてください。 何事も、三年続けば何かにはなるもんだ、と思っている。だから不倒城も、まあ何かにはなっただろう、と思っている。何になったのかはともかくとして。 三年間、書きたいことばっか書いていた様な気がする。言い方を変えると、三年間書きたいことしか書かなかった訳で、このブログに「ネタがないけど義務感で書いた」というエントリーは一つたりともない筈だ。これについては私は自信がある。 とはいえ、他人に読んでもらうつ

  • 「個人的な問題でも一般化したい病」について: 不倒城

    症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞

    kanimaster
    kanimaster 2007/10/15
    無理矢理でも一般化しようとするから、ブログは面白いと思うんだけど。
  • 合コン二元論と恋愛観。: 不倒城

    なんか、個人の問題はどうあれ、考えるネタとしては面白そうな話だなー。と。 合コンはいけないことですか? 合コンの良い・悪い自体は、完全無欠に個人の好み、人それぞれ好きな様にすればいいんでないの、というだけのことでしかない。 それを踏まえた上で。 「ある程度の年月友達付き合いをした上での恋愛 >>>>>>>>>>>>>>>> 合コンを発端にする恋愛」という意識が、割と多くの人に残っているという側面はあるんじゃないかと思う。 統計的な根拠については取り敢えず忘れて、試しに上の強調部分を前提にしてみよう。「合コンを低く評価する人」を仮定して、その理由を幾つか勝手に想像してみる。 以下、知人連中と話したり、自分の頭の中を掘り起こしたりして色々と考えてみた内容。正解が混じってるのかどうかは知らない。 1.恋愛に「背景」を求めている為。 2.恋愛は目的ではなく手段であるべき、という意識が残っている為。

    kanimaster
    kanimaster 2007/09/20
    合コンの男女交際と恋愛話を混同している気がする。
  • ある赤ん坊が産まれるに至るまでの淡々とした記録。: 不倒城

    先日書いたが、子供が生まれた。 一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。 以下の文章は、初めて妊娠と出産という場面を目の前で目撃した件に関するちょっとした記録、ただの私的な記録である。これをブログに書いておくというのは単なる私のわがままであり、別段面白い話でもないだろうことは先に言い訳しておく。 奥様が妊娠して、大きくなっていくお腹を撫でて、かなり早い段階から「助産院で産みたい」という彼女の言葉を聞いた。助産院の説明会にもついていった。それなりのリスクもありそうだとは思ったが、普段はあまり「やりたいこと」を自分から言い出さないうちの奥様が、珍しくはっきりと明示した意思であれば、特段文句はないと思った。この世になんとか

  • 「はてブの次」ならどこかにあるのかも。: 不倒城

    多分既出話なんだと思うけど、折角書いたのでエントリーしてみる。 起点になったのは、「最終防衛ライン2」様と、ymScott様のエントリ。 ブログの次が望まれているのかもしれない はてブのhotentryが面白くないのは、はてブはクリップする際の敷居、障壁、活性化エネルギーが低い。そのため、一旦注目を集めると雪だるま式にクリップされ、hotentryとなる。つまり、はてブは熱容量が小さい、熱し易く冷め易い場である。 「自分のブログに書いても誰も見ないから増田に」ってのは 「現状、はてブを始めとしてソーシャルブックマークは新規ブロガーを拾い上げる役には立ってません」と言ってるのと同じだし、実際それはかなり正しい。ふーむ。 このところ、はてなブックマークに関しての議論をあちらこちらで見かける。不倒城をブックマークしてくださる方も結構いて、ありがたいことだと思いつつ興味をもったので、最近試しに使っ

  • 匿名ダイアリーの宗教議論が面白い: 不倒城

    こういうのが読めるのは増田のいい所だと思う。宗教関連のお話は普段避けているんだが、ちらっと。 オレはエホバの証人 オレ(エホバの証人)がとりあえず応える(1) で、また面白い具合につっかかってる人もいて、それに対する突っ込みもあがってる。 http://anond.hatelabo.jp/20070620032418 http://anond.hatelabo.jp/20070620093116 この話はこの話で面白いんだが。ちょっと一般論に入る。 以前にも似た様なこと書いたが、宗教に限らず、「何を信じるか」「どんな思想を持つか」だけなら何の問題も生じはしないのだ。 問題は、「どれだけ他の思想が許せないか」「どれだけ自分の思想を押し付けたいか」という軸上で初めて発生する。 何かを強く信じる人は、それを他人にも啓蒙したくなるのだな。思考はあふれ出すし、思想は広めたくなるし、すばらしいものは人

  • 作家心理と、ファンレター。: 不倒城

    日記混じり。特に結論が出るよーな話ではない。 なんか久々に、知人の編集者さんに愚痴られた。昔お世話になったことのある方で、「ゴールデンウィークって何ですか」仲間でもある。 話はファンレターのことだった。 出版社によってやり方は色々違うのかも知れないが、彼は自分が担当することになった作家さんに、まず聞くのだそうである。「ネガティブな内容のファンレターは、そのまんま渡しますか、止めますか」 この場合、作家さんは2×2の4パターンに分類出来るそうだ。その一、「渡してくれ」と言う人と、「見たくないから止めてくれ」と言う人。その二、ネガティブなファンレターを渡されて、プラスの影響が出る人、マイナスの影響が出る人。 最初から「止めてくれ」と言う人に関しては、自分が分かっている人だから安心出来る、という。問題なのは「ネガティブな内容でも自分の糧になるから渡してくれ」という人で、かつ実際にはそれを読んでマ

  • 今日のしんざき 07/04/15: 不倒城

    サンファニートの音取りをしながらパンをいちぎる朝。今日はサンファニート集団「ガラパゴス」の練習。 最近気付いたのだが、私は「次にこれを書こう」と脳内で計画すると、何故か手が止まる傾向にある。割と短期間の思いつきで書いた方がさくっと書けるし、それなりにまとまる場合も多い。何でだろうな。「思いつき」の方が精神的助走速度が速い、ということだろうか。 私に関して言うと、大きめのエントリーに関しては書き始めた経緯みたいなことを軽く書き残してあるのだが、ブログ話とか雑文に関しては、その殆どが思いつき由来である。下手すると全部じゃないだろうか。 一方、レトロゲーム話はその殆どが「何書こう」と決めてから書いている。お蔭でなのかどうか、ペースが遅い。レトロゲームブログのつもりなんだが。 その内きちんと分類してみたら何か傾向が見えるかな。 まあ、「計画的に書くと遅くなる」という時点でチヒツァー(遅筆作家の意

  • 私のどこが好き?議論を他の話に置換して分析してみる。: 不倒城

    なんか面白そうな話ではあるんだけど。 「私のどこが好き?」と訊く女はどう答えたら一体満足なのか? 多分これは、恋愛とゆー非常に曖昧模糊かつ自己位かつ相互依存的な分野の話だから議論が紛糾するんだ。うん、きっとそうだ。 よし、試しに少年漫画のアンケート的なものに当てはめてみようぜ。 富樫「私の漫画のどこが好き?」 読者「休載しない君が好き」 富樫「ごめん無理」 読者「あぼーん」 あれ?ダメだった。おかしいな。 じゃあこれならどうだ。 板垣「私の漫画のどこが好き?」 読者「無理のある筋肉描写が好き」 板垣「キャオラッ!!」 読者「あぼーん」 あ、なんかちょっと近くなった気もするな。三行目は照れだきっと。いわゆるツンデレってヤツだ。違うかな。私はツンデレに対して何か根的な認識違いをしてる様な気がする。 レトロゲームブログっぽく、レトロゲーム分野でも考えてみよう。 任天堂「私のゲームのどこが好き

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    kanimaster 2007/04/04
    おもろい。
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

  • 毎日新聞の新特集関連で香ばしい事態が発生している件について。: 不倒城

    ネット君臨:第1部・失われていくもの/1(その1) 難病児募金あざける「祭り」 取材班から 連載がスタートしました 私が注目している点は二つ。 Webに軸足を置いている人物の発言が編集を受けて新聞に掲載されたということが起こす拒否反応と、それに対するメディアの対応。 毎日新聞のこの特集に関しては、まあ毎日新聞の立ち位置からすれば別に違和感もなし、書いてあることもメディアが通常得意とする文法通りの内容であって、特筆すべきこともないかと思う。 ただ、 ▼ネット君臨ねえ こちらでも取り上げられている通り、「がんだるふ」氏は自分のコメントが「恣意的に発言を処理」されていると書かれている様だ(このコメントがご人のものだとして)。 まず前提がある。毎日新聞側としては、がんだるふ氏のコメントを恣意的に編集して掲載するのは「ごく当然」の行為だ。何十年も前から普通だったことである。罪悪感などある筈がない。

    kanimaster
    kanimaster 2007/01/06
    マスコミの取材を受けたことのあるひとは、異口同音に言いますね。
  • ブログ観測者問題・スルー論: 不倒城

    命題その1:Web上での煽りに対し、「スルーしろ」「スルーします」と発言する人はその煽りをスルー出来ていない。 命題その2:煽りに反応する人がいなかった場合、それを指摘された煽りはスルーされていない。つまり、「全力スルーワロス」といったコメントがついた時点でその煽りはスルーされていない。 命題その3:命題その1及び命題その2から、Web上での煽りコメントは、そのコメントが残り続ける限り「スルーされた」と確定しない。 結論その1:ある煽りがスルーされたかどうかをWeb上で観測することは出来ない。 命題その4:ブロガーがスルーした煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが反応をしてくれる。 命題その5:ブロガーがスルーしなかった煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが「スルーした方がいいですよ」と助言してくれる。 結論その2:ブロガーがスルーしようがしまいが、煽りコメント

  • それはホントに「常識」か?・ポジティブ編: 不倒城

    不倒城は元来レトロゲームブログなのであるが、たまにネットの話とかブログ論めいた記事を書くことがある。 たまに、である。しんざきはそーゆー記事をたまにしか書かない。勿論元々レトロゲームブログのつもりであるという理由も大きいし、書きたいテーマが手元にないことが多いということも多いのだが、実はもう一つ大きな理由がある。 「そんなん常識じゃね?」と誰かに言われるんじゃないかなー、と常になんとなく思ってしまうからだ。 Webは広大である。自分が何かの考えを思いついた時、大抵の場合はWeb上の誰かが同じようなことを既に考え、書いていたりする。こればっかりはどうしようもない。自分が何かの考えの創出者、オリジナルである可能性は限りなく低いのだ。 ただ、「既出である」と「常識である」は当然のことながら全く違う。誰かが既に思いついたことだからといって、それが遍く人々の共通知識であるという可能性は、自分がオリジ

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    kanimaster 2006/10/07
    ウェブにおける「常識」、「既出」について。
  • mixiと日記とチェーンメールの相関。: 不倒城

    前回のエントリーを受けて、ちょっと考えてみる。既出だったら勘弁。長文なんで興味がある方だけどうぞ。 (追記)一応文末にまとめを書いておきました。お忙しい人は結論だけお読みください。 mixiでまたチェーン日記 善意が混乱招く まず、大前提として重要なのが「mixiはとっくの昔に閉鎖環境ではなくなった」という認識だろう。 株も上場した現在、既に常識だったらどうしようと思いつつ一応書いておく。 ・「mixiファイアウォール」の実質性。 かつてはmixiの「紹介のみでしか入れない」という防護壁はそれなりに機能していた、と私は思う。多分一年半くらい前までは。もう少し具体的に言うと、mixiの利用者数が100万とかその辺のオーダーを軽々と突破するくらいまでは(実際はもうちょっと前にファイアーウォール自体は崩壊していたと思うが)。 ただ、mixiの防護壁は当然ユーザーが増えれば増える程脆くなっていく訳

  • 2ちゃんユーザーの帰属意識について。: 不倒城

    以前ちらっと書きかけた、2ちゃんのユーザー意識と特殊性について。企業と2ちゃんが関わるとろくなことが起きないみたいだが、これなんでですかね、というお話。徹夜明けで眠いのでざっくりと。めっさ手垢がついた既出議論だったらすいません。 いわゆる2ちゃんねらーという層には、ある種の帰属意識というものが強い様に見受けられる。「2ちゃんねる」というもの自体に対する思い入れというか忠誠心というか、あるいは一種の所有意識の様なものが一部のユーザーの内にあるのではないかと思うのだ。 コミュニティに対する帰属意識というもの自体は別段珍しくもない。どんな単位であれ、自分の所属している組織に人は何かしらの思い入れをもつものだ。 2ちゃんねるのそれが少々特殊なのは、「思い入れ」の対象が人ではなく、完全無欠に「場」であることに起因する。 SNS、例えばmixiを使用している人で、mixiというコミュニティに帰属意識を

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    kanimaster 2006/04/27
    匿名を前提としたコミュニケーションの場。