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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (116)

  • 私小説の定義 - jun-jun1965の日記

    『週刊読書人』を立ち読みしたら、栗原さんの文藝時評で西村賢太をとりあげて、こういう自己戯画化小説を私小説と呼ぶのはどうか、みたいなことが書いてあった。 私小説という語は、このように定義なく恣意的に使われてきたわけで、漱石の『道草』など普通に考えれば私小説なのに、そうではない、と強弁され続けてきて、それはたとえば長塚節の『土』が明らかに自然主義小説なのに、長塚が自然派ではないからそうは言われなかった、と正宗白鳥が『自然主義盛衰史』で述べているとおりである。 鈴木登美『語られた自己』は、近代日の私小説言説を精査して、私小説言説は盛んだったが、結局私小説がまともに定義されたことはなかったとしている。 私小説の定義は、しかし難しく、たとえば保坂和志の『季節の記憶』のように、一見私小説のように見えて、実は保坂には子供はおらず虚構であるといった例、『若きウェルテルの悩み』のように、はっきりモデルもお

    私小説の定義 - jun-jun1965の日記
  • なんと! - jun-jun1965の日記

    駅前の餃子屋が、いつもうるさい。店の前にカセットレコーダーを置いて、宣伝の文句を大音量で流しているから、私はしばしばボリュームを最小に下げたりしている。中島ギドーのように持ち去ったりはしない(それは犯罪だろう)。 その文句の中に「なんと」が多い。「餃子なんたらがなんと400円!」などとしつこい。私はこの「なんと」という副詞が嫌いである。だから恐らく私の文章に「なんと」は出てこないと思う(*)。文学的繊細さを持つ人なら、この言葉は使わないだろう。だって、「なんと××」という表現には、俺は驚いたぞ、お前も驚け、という意味合いがあるからであって、押し付けがましいからである。 私が「なんと」が嫌だなあと思ったはじめは、実ははっきり記憶している。1989年暮れ、福武ブックスから上垣外憲一の『空虚なる出兵』が出た時、はさみこみの栞に上垣外氏の紹介文が書いてあって、日朝関係について書いている上垣外氏だが

    なんと! - jun-jun1965の日記
  • 山下晴代さんの小説を読む - jun-jun1965の日記

    山下晴代(1953− )愛知県豊橋市出身。作家。これまで活字になった小説は四編。 「男はそれをがまんできない」『すばる』1990年1月 「パッションのべつの名前」『すばる』同5月 「アフロディーテ」『すばる』同11月 「新リボンの騎士」『すばる』1991年7月 「一消費者」だなんて、早くから執筆者一覧を載せていた『すばる』には、最初から「作家」という肩書です。 しつこい奴と思われるかもしれないが、議論した相手の書いたものはちゃんと読むのである。 山下さんはウェブ上にも活字になっていない小説を発表しているが、これは西洋を舞台にしたハードボイルドみたいなもので、『すばる』に載ったのは違うのだろうと思っていたら、何か似たようなものだった。 最初の作では、いきなり、ジャーナリストのルネと、FBIの捜査官ジムが、マフィアに捕えられている場面から始まる。ジムの恋人のクッキーはCIA勤務で、元CIAで友

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    kanimaster
    kanimaster 2009/03/25
    猫猫先生の逆襲。
  • ウェブ炎上の簡単な消火法 - jun-jun1965の日記

    コメント欄を閉じる。 というだけのことで、私がもし「ウェブ炎上」とかいうを書いたら、この一行で終るな。 いたずら電話が続いたら、 電話線を抜く。 これで終りなんだが、何か問題あるのかね。 - 大河ドラマのクレジットに山口果林が「青柳」という役名で出ていたので、おお懐かしやと思って観ていたらどこで出たか分からなかった。調べたら「菊姫」の侍女だったからもう一度見たら、あ、いた、後ろのほうで一瞬だけ。 昔観ていた「ヒントでピント」は女性軍に美人が多かった。果林さんもその一人。安部公房は果林さんのところで死んだはずだけど、あれ以来影が薄くなった気がする。もっとも私は全然好きじゃない安部公房だが、今でも売れているのは凄い。むしろ生前の方が不遇感があった。 N響アワーの司会から池辺晋一郎が降りる。13年やっていたそうだ。春は異動の季節。4月になったら、いくつかの、個人的に「おお」の人事が発表されるの

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    kanimaster 2009/03/23
    「何か問題あるのかね。 」 ありません。
  • 星光子さん降板の真相 - jun-jun1965の日記

    『ウルトラマンA』の南夕子だった星光子さんが、娘さんのブログで、『A』の途中降板は突然の出来事だったと明かしている。ご自身のブログにも転載されている。37年目の真実というところか。2004年に『A』のDVDが出た時、附録に星さんも登場して「今明かされる降板の真相」とか書いてあって、しかし実際には書いてなくて怒ったことがあったが…。 視聴率低迷による路線変更ということだが、とりあえず夕子がいなくなる! とやればその回は視聴率が稼げるとか、そういう場当たり的なあれだったかもしれない。あるいはこのままで行くと最終回をどうするか、といった問題もあったわけだし。 私も今でこそ星さんのファンだが、子供の頃は特にその美しさには気づかずにいた気がする。ただあの時は円谷一で、その一年後に40歳で死ぬんだが、『ファンタスティックコレクション』の「ミラーマン」の巻で、酒井敏夫が、延々と円谷一の人間性を非難して、

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    kanimaster
    kanimaster 2009/03/17
    「合体変身はパクリ」というクレームがバロム1側から出たため、と当時は報道されていましたけどねえ。
  • 『容疑者χの献身』を読んだ - jun-jun1965の日記

    栗原さんのところで、東野圭吾の直木賞受賞作『容疑者χの献身』が論争になっていると知ったので、さっそく読んでみた(直木賞受賞作はあまり読まない)。 文庫版で読んだのだが、「准教授」などとある。元は2005年だから「助教授」に間違いないのだが、なんでそんな風に直すのだろう。2005年に出たものなのだから、これでは近未来小説になってしまうではないか。どうも最近この手の、安易な言い換えが多い。遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』に出てくる「トルコ風呂」は、まだ女が背中を流す程度のものだったのに、「ソープランド」に直してしまったから、まるでミツが売春していたようになってしまった、ということは前に書いたが、意味なく言い換えるのはやめてほしい。 それと、刑事、探偵役、犯人の三人が「帝都大学」の理学部の同期生で(犯人探しものではない)、刑事と探偵が、探偵と犯人が友人同士、というのだが、探偵と犯人は世界でも

    『容疑者χの献身』を読んだ - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2009/03/09
    犯人の心理など。
  • 「遠雷」の衝撃 - jun-jun1965の日記

    三浦展の『非モテ!』はひどいだ。まあ予想した通りというか、予想以上というか。だって三浦の単著じゃなくて四人くらいの共著。「三浦展著」じゃなくて「三浦展編」だろう、これは。マーケティングの人がこういう詐欺まがいのやり方をしてはいかんよ。 それに、斎藤留美とかいうのが書いた部分、歴史を辿って、田透とか酒井順子は出てくるのに、『もてない男』が出てこない。完全無視。あのね、あのが出るまで、男がもてない、って問題がクローズアップされたことはなかったのよ。 - なんか電車の中に最近よくあるマナー広告で、鼻をかんでそのティッシュを椅子の下に押し込むマンガがあって「家でやりましょう」とあってむかついた。鼻炎の人間にとって外出ってのがどれほど大変か(というか花粉症全盛の今では多くの人がそうだが)分かっているのか。だいたい駅でゴミ箱をなくしてしまったのがいけないのではないか。テロ対策とか大嘘。ゴミ箱なん

    「遠雷」の衝撃 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2009/03/08
    『もてない男』について。 「あのね、あの本が出るまで、男がもてない、って問題がクローズアップされたことはなかったのよ。」
  • 学問の裏道 - jun-jun1965の日記

    何かを調べていて、よく知らない人の論文に当たったら、私はまずその著者について調べる。素朴に学問を信じている人からしたら、そんなの不要だと思うだろうが、これがそうでもないし、実は多くの学者がやっていることである。というより、たとえば近世文学が専門なら、これは誰々の弟子だなということを最初から把握していて論文を読むだろう。 人文学の論文などというものは、ちょっとした表現ひとつでニュアンスが違ってくることがあるから、その著者の経歴を知っていると、ああこの人はこれ学派出身だからこっちへバイアスが掛かっているな、と分かるのである。分かりやすい例でいえば、田中優子がなぜ『週刊金曜日』の編集委員になってしまったかといえば、広末保の弟子だからである。広末は左翼であり、実証的というより文藝評論的な学者だった。しかし近世文学の世界では、まず翻刻・注釈・文校訂などをして40、50になるのが普通で、しかし田中は

    学問の裏道 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2009/03/07
     田中優子って左翼なのか。
  • 浅田真央が好き - jun-jun1965の日記

    実は今まで隠してきたのだが、浅田真央が好きである。自分でも、こんな二十歳未満の、そんな美形じゃない女のどこがいいのか、と抑圧して、新聞などに写真が出ていると、切り取っておきたいのを抑えてきたのだが、今日はテレビで観た。まるで自分の娘が踊っている(?)ようにどきどきした。 解説が八木沼純子だったが、私は彼女も好きだった。これは美人だった。当時の八木沼の愛称は「ジュンジュン」だった。その後、初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である。いやもちろん、谷崎年譜から始まったからジュンジュンではあるのだがね。 - 文藝誌の匿名時評、相変わらずダメだなあ。「侃侃諤諤」は島田雅彦でもからかっているのか知らんが、面白くないし、「相馬悠々」も微温的だし。『週刊現代』の「ナナ氏」まで微温的になってきた。どうなって

    浅田真央が好き - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2009/02/08
    「初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である。」
  • 予備校時代の恋 - jun-jun1965の日記

    保谷七緒美さんの友達だった人は、私が大学へ入った年に最初の著書を出した林真理子に似た名前だった。予備校で見かけて、何しろ男子校を出て、三年ぶりに女子のいる世界へ出たものだから、その美貌に、口を利いたこともないのに一目惚れ、しかし授業中ふと見ると壁に彼女の名前が書いてあったりしたから、ファンは多かったようだ。 確か年末ころになって、私はそのことをぺらぺら喋り、Kという奴が当人に話しに行き、私の友人は、ひでえ、あいつ小谷野を陥れようとしている、と言っていたが、Kは私のところへ来て彼女の電話番号を渡し、連絡するにしても受験が終ってからにしてくれ、という伝言を伝えた。しかし当時の私にそんな度胸があるはずもない。彼女と親しくしていた背の高い男がいて、数日後、私が誰かと話していると、そいつとは知り合いらしいその男が来て、「おう××、お前おもしろい奴と知り合いだな」と言いながら、私のほうを見て目を合わせ

    予備校時代の恋 - jun-jun1965の日記
  • 男優の名前が覚えられない - jun-jun1965の日記

    私は昔から西洋の男優が区別がつかないということは書いたことがある。最近はさらにわけが分からなくなっていて、二枚目俳優はみな区別がつかない。 さらに今日『アフタースクール』を観ていたら、面白かったのだが、十三代将軍家定役の俳優が出ていて、この人の名前は、何度覚えても忘れてしまう。きっと覚えにくい名前なのだろう。もはや私の中では「将軍」である。あと大泉洋という俳優も出ていたが、これは「なすび」かと思って、未だに私には「なすび」に見えるのだが、別人らしい。 それにしても「天地人」で長澤まさみの設定を変えたというが、はなから年代設定がおかしいのだ。原作は天正四年から始まっているというのに、ドラマでは天正元年で、主役が数え14歳(つまり13歳くらい)というのは無茶である。しかもそれが信長に会いに行くというのである。それで常盤貴子がそれよりちょっと年上、つまり15歳くらいなのである。もうむちゃくちゃで

    男優の名前が覚えられない - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2009/02/02
    “大泉洋という俳優も出ていたが、これは「なすび」かと思って、未だに私には「なすび」に見えるのだが、別人らしい。” まあ似たようなものでしょう。
  • 国民の権利 - jun-jun1965の日記

    国会図書館が、著作権が生きている著作のコピーを半分までしか許さないのはよく知られている。しかし、よほどのバカでない限り、国会図書館で全部複写しようとするのは、普通では手に入らない著作物なので、全部複写しても著作権者に損害は与えない。もし現在流通しているを全部複写したら、国会図書館の料金では、買うより高くつく。また地域図書館を通じて借り出せば複写できる。だから原理的にも現実的にも無意味な規定である。著作権法を改正すべきである。 さて、以前私は、国会図書館で、あるパンフレットの後半部を複写しようとした。館員は、「これは前に前半を複写しましたか」と訊いてきた。私は、「その質問に答える義務があると法令に定めてありますか」と問うた。館員は、ないです、と答えた。 国会図書館員は国家公務員であるから、憲法に従う義務があり、国民は国家公務員から、法令に定められていない質問を受けても答えない権利がある。宮

    国民の権利 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2009/01/28
    国会図書館で黙秘権を行使。
  • 「山椒魚」は盗作ではない - jun-jun1965の日記

    井伏鱒二の「山椒魚」、原題「幽閉」(1924)が、ロシヤの作家サルティコフ=シチェードリンの「賢明なスナムグリ」をネタとした「盗作」だということを、猪瀬直樹が『ピカレスク』で書いている。 http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/inosenaoki.html 別に私は井伏が何をしようと興味はないので放っておいた。ところが、今ごろになってふと、その「賢明なスナムグリ」を読んでみたところ、もちろん「似て」はいる。だが、筋といい主題といい、「山椒魚」とは全然違うのである。「スナムグリ」は、19世紀の帝政時代に、面倒なことに巻き込まれまいとした姑息な人間を諷刺したもので、スナムグリは自ら水の奥深く隠棲して百年生きる、という話である。 竹山哲の『現代日文学「盗作疑惑」の研究』(PHP研究所、2002)には、井伏の『ジョン万次郎漂流記』『青ヶ島大概記』

    「山椒魚」は盗作ではない - jun-jun1965の日記
  • 古屋健三「老愛小説」 - jun-jun1965の日記

    『わしズム』にも書いたのだが、昨年八月の『文學界』に載った古屋健三の「老愛小説」は、私が読んだ中では昨年度ベストの小説だった。古屋は、知る人ぞ知る慶大名誉教授のフランス文学者で、60歳になるまで著書は出さない方針で、今は70を超えているから著書も三冊、また数年前から小説も書いている。 私は「老愛小説」が芥川賞をとり、森敦(世間ではもりとん)の最高齢記録を塗り替えることを期待していたのだが、発表された候補作の中に「老愛小説」はなかった。若い女が売りものの今の芥川賞では、70超えた老人の小説など要らないということなのだろうか。残念である。それにしても、古屋の小説はもう一冊にしてもいいくらいあるはずで、是非刊行してほしいものである。 - 永田寿康のように、原因が特定できる場合はともかく、原因不明の自殺というのは、しばしば精神障害、すなわち統合失調症の疑いが濃く、統合失調症は遺伝性が極めて強いから

    古屋健三「老愛小説」 - jun-jun1965の日記
  • 伝記は電光石火で - jun-jun1965の日記

    書店へ行ったら、明治の西洋美術移入の人、岩村透の評伝が出ていた(田辺とかいう年取った人、藤原書店)。こっ、これは今橋さんがミネルヴァで書くはずの・・・。今橋さん、もう書かないだろうなあ。伝記は電光石火、まだ執筆中かなと思わせておいて出さねばいけない。 あと関民子『只野真葛』(吉川弘文館・人物叢書)も出ていたが、これは門玲子『わが真葛物語』(藤原書店、2006)に遅れをとった。恐るべし藤原書店。しかし「只野」というのは婚家の姓なので、前近代は夫婦別姓だから「工藤真葛」と呼ぶのが正しい。「只のぼろくず」みたいな印象を与え、ぼろくずのごとき女が声をあげました、ということにしたいのかもしれないが。 - 『谷崎潤一郎交遊録』が谷崎記念館から届き、なんと驚くべし、大正元年(1912)頃の谷崎の不倫相手江尻須賀のお孫さん、中村晃子による「谷崎潤一郎と祖母須賀」が載っている。それによると、須賀は堀内製紙の

    伝記は電光石火で - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/12/30
    “大正元年(1912)頃の谷崎の不倫相手江尻須賀のお孫さん、中村晃子による「谷崎潤一郎と祖母須賀」が載っている。”
  • 眉唾「タコ」語源説 - jun-jun1965の日記

    先日、「タコ」というのはいつから罵倒語になったのかと書いたら、こんな説があると教えてくれた人がいる。 http://blog.livedoor.jp/miwobooks/archives/850383.html (なお大野智と書いてあるが大野敏明) しかし当該書を見ても、出典が書いていない。巻末にある参考文献をいくつか当たったが見当たらない。第一、近世武士が使っていたというなら、それから近代をへている間にもっと豊富な用例があるはずだが、見たことがない。米川明彦『日俗語大辞典』には、嫌な男、不細工な男を罵っていう言葉。関西のことば、とあるが、用例が最近のものばかりで、関西語とする根拠も書いていない。牧村史陽『大阪ことば事典』にも載っていない。私の記憶では、1980年ころにビートたけしが「このタコ!」とやってから広まったものだ。 しかもこの大野説、いかにも胡散臭い。来なら当人に出典を訊くべ

    眉唾「タコ」語源説 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/12/20
    「太宰久雄はタコに似ているからタコ社長なのである。」 確かにそうだ。
  • 童貞と似たもの - jun-jun1965の日記

    童貞が、女体とかセックスというものに過大な幻想を抱いているということはよく言われる。むろん、その期待がたちまち裏切られる、というものではないが、やがて幻想は減退していく。 これとよく似ているのが、定職のない大学院修了者が、「専任」に対して抱く幻想である。これもまた、私のようにいきなり恫喝される場合を除けば、当初はある程度満たされる。そして、他の教員たちはみないい人で、などと言うのが普通であるが、たいてい、一年間は試用期間のようなもので、よく事情が分からないだけである。それが、二年、三年とたつうちに、雑用、会議、委員会などの仕事が押し付けられてくるのは言うまでもなく、いい人だと信じていた同僚が悪人であることが分かったりして、いったんこじれるととんでもなく面倒な世界に変わるのである。 - 前に書いたことの補強だが、丸谷才一の小説では、男が女に何か知的なことを教え、女が、へえそうだったの、という

    童貞と似たもの - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/12/14
    香山リカの新刊 『私は若者が嫌いだ!』 について。 「いやいや、題名だけで何か言ってはいけないね。いけないよ、君たちも。」
  • 『カムイ伝』に挫折した私 - jun-jun1965の日記

    田中優子の『カムイ伝講義』の書評をいくつか見た。褒めてあったのは言うまでもないが、活字での書評は信用できないのでアマゾンを見たらまだ誰も書いていなかった。 私は2000年に田中と対談したが、その際田中は、これまでマンガは全然読んでこなかったので、有名なものを読んでいると言っていた。それが、『カムイ伝』に取り組み始めたと聞いて、ああやっぱりこの人は全共闘世代なのだな、と思った。 私が学生の頃、小学館文庫で『カムイ伝』が復刊した。それで三巻まで読んで、あまりに面白くないので挫折した。のちに売ってしまった。 四方田犬彦は『白土三平論』を書いているが、『サスケ』なら面白い。しかし『カムイ伝』はダメである。呉智英さんも、これを民俗学的薀蓄で語るのだが、やはり全共闘世代であることを免れていないと思う。 まあ単純に、筋が面白くないから面白くない。その根源を尋ねると、徳川時代というものが面白くないのである

    『カムイ伝』に挫折した私 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/11/25
    「自民党総裁選、のようなものがあると、脊髄反射のように「茶番」と言うバカがいる。もう30年間茶番茶番と言い続けているのだ。ところがそういう連中に限って、自分では何ら真の劇を起こすことなどできないのだ。」
  • 変身忍者嵐×快傑ライオン丸 - jun-jun1965の日記

    私は小学校3−4年のころは特撮ファンだったが、『変身忍者嵐』は観なかった。同世代の関東地方の人なら分かるだろうが、『ウルトラマンA』の裏番組だったからである。ちょうど同じ頃に、『快傑ライオン丸』の放送も始まったので、いずれも時代劇の等身大変身ものということで、当時予告を見て驚いたのを今でも覚えている。 で、『ライオン丸』のほうはもちろん観ていた。で、今になって『嵐』をDVDで観始めたのだが、これは『A』の裏番組なので視聴率では苦戦したというが、内容的に、『ライオン丸』に負けているなと思わざるをえない。だいたい嵐のコスチュームはまるでチンドン屋である。あんな派手派手しい忍者があるものか。それに比べて、ライオン丸のデザインは美しかった。また変身シーンも、嵐は「吹けよー嵐! 嵐!」と叫ぶだけで、リズム感がないし、形としても工夫が足りないし、一回に二度も変身して、その都度、「ハヤテの脳が異常振動を

    変身忍者嵐×快傑ライオン丸 - jun-jun1965の日記
  • 共著 - jun-jun1965の日記

    著者名列挙も困るが、論文集に寄稿しただけのものを「共著」と自称他称するのはやめてもらいたいものだ。「共著」というのは、せいぜい三人か四人で書いて、表紙に自分の名前が載っているもの。目次を見ないと名前が出てこないなんてのは、「共著」じゃないです。 - 『リチャード三世は悪人か』のアマゾン・レビューに対して、具体的にどこがどう間違っているのか教えてくれ、と書いてだいぶたったが、相変わらず分からない上、また無責任なレビューが増えている。これまた、「余談が多すぎる」とだけで、他の体がどう「雑」なのか、書いていない。こういうのは「書き逃げ」というに等しい。私は他人のを批判する時は、どこがどうおかしいのか具体的に書いている。何ら具体的な例示もなく、間違いだらけだなどと書くのは卑怯である。 いや、学者の中にも時おりいるのだよ、こういう、バカにするだけしておいて、どこがいけないのか言わないというやつが

    共著 - jun-jun1965の日記