「隧道」も「トンネル」も意味は同じで、使われた時期の違いからなんとなくのイメージの違いが持たれている*1。 狩留賀町は「隧道」の名が目立つ二つのトンネルに挟まれた位置にあり、実際に「すいどう」と読むか「ずいどう」と読んでいるのかはさておき、「隧」の字に馴染んでいるのかもしれない。 猪山隧道の南口にある猪山隧道バス停は、呉市営バスの天応・川尻間の路線バスが通る。にしき堂の看板が目印。 [rakuten:hiroshima100sen:10000587:detail] 現場の表示*2は「猪山遂道」になっている。呉市営バスの路線図などでは「隧道」。「すいどう」の読みから「遂道」の誤字になったと考えたいところだけれども、バス停の作り方にもよりますか。 *1:原田一男『トンネルの話』2003 *2:平成21年に見たもの
広島市中区「八丁堀」バス停。ローマ字表記の配置は「Hat」「cho」「bori」で分割。当然といえば当然の分けかた。 区切りかたよりはむしろローマ字表記が幾通りかあって。 正式な表記についてはこちら、 東京メトロ銀座線に乗車し、社内の路線案内を見て駅名のローマ字表記について疑問... - Yahoo!知恵袋 で確認しつつ。 見た目にしっくりくる綴りと、キーボードで入力しやすい綴りとは食い違う 成分無調整牛乳: つづりに対するこだわり ので、検索*1してみると何種類かの組み合せの実例が見える。揺れるだろう要素は四つ。 検索文字列 促音 拗音 長音 ラ行音 含むページ 含むurl hattyobori tt yo o r 43 8 hattyoubori tt yo ou r 688 248 hattyoboli tt yo o l 0 0 hattyouboli tt yo ou l 0 0
先の地図の三つの河川。可愛川の支流「多治比*1川」に注ぐ「後相合*2川」は「山部*3川」と合流したもの。 前項で辿ったように、山部川方面は山部村で、遡ると印内峠を抜けるが、後相合川の源流まで辿ってもその先も相合村。風越山はまだ北にある。そういう後背地を成す地形なので「後○○」。 同様の地名では、『角川地名大辞典34』の「小字一覧」で高田郡をみるだけでも8例。 吉田町相合後呂ヶ谷*4 *5 高宮町来女木後谷*6 白木町三田後畑*7 白木町三田後安田山*8 白木町志路後迫*9 甲田町浅塚後平*10 甲田町上甲立後平*11 甲田町下小原後林*12 「後」を「うしろ」と読んでもらう為に送り仮名「ろ」を付すことがある。「後呂ヶ谷」のように。 片仮名「ロ」を付けて検索するとgoogle:"後ロ山"、山形県酒田市の大蕨字後ロ山などが出てくる。 一方、漢字の「口」を付けるとgoogle:"後口山"、「うし
『角川日本地名大辞典34』では、前項で挙げた「虹山」の直前に書かれている。 にしやま 螺山<安佐北区> 広島市北郊、安佐北区可部町勝木にある独立峰。標高475m。山は古生層からなり巨石が多く、頂上からは可部町地区一帯や特に南を曲流しながら流れる太田川の眺望が良い。北麓の大毛寺は花崗岩になっていて緩斜面の発達が良く、大規模な住宅団地が広がっている。 前々項に使った『国郡志御用につき下調べ書出帳』では「西山」と書かれる。語源は「可部の西に見える山」でよさそうだ。 では、同様に「螺山」の表記を持つ地名はないものかと、google:"螺山" -"可部"で検索してみる。 同じ「にしやま」の読みは愛媛県砥部の「辛螺山」が見えるくらいで、ほとんど「螺」は別の読みで使われている。 多くは「○螺山」のかたちで「ラ」の音読みとなる。佐賀の「青螺山」や中国の地名(「螺山」「紅螺山」)などがある。訓読みでは兼六園
メインコンテンツに移動 検索 すべて 本文あり 詳細検索 タイトル 内容記述 著者名 著者所属 著者ID 出版者 刊行物名 日付 巻 号 開始ページ 終了ページ DOI 各種ID 資源タイプ 出版タイプ 助成機関名 プログラム情報 機関 学位授与機関 学位授与番号 検索 並び替え
2008/09/08 欠画 カテゴリ:カテゴリ未分類 「御諱恵・統、御名睦之三字、自今欠画不及候事 壬申二月 太政官」(明治五年(1872)「続波多野家文書」) 御諱の「恵」と「統」、御名の「睦」の三字は、今後「欠画」するに及ばない。 「避諱(ひき)とは、目上の者の諱を用いることを忌避する、中国など東アジアの漢字文化圏にみられる慣習である。二字名の場合にどちらか一字を忌避・タブーとするため特に偏諱(へんき)といい、日本では二字名がほとんどであるために、偏諱が一般的である。……明治から昭和には日本でも避諱が採用されたことがある。仁孝天皇(恵仁)、孝明天皇(統仁)、明治天皇(睦仁)の諱の内、「恵」、「統」、「睦」がそれぞれ欠画とされた。」( 「Wikipedia」) 【闕画・欠画】(『広辞苑』) 漢字の画を省くこと。特に天子または貴人の名と同じ漢字を書く時、はばかってその漢字の画を欠くこと
広島のちょいと懐かしいロゴタイプを羅列してみる 昭和40年の夏、わが広島市の様子。 やや中央の△地帯が平和公園。 左上端に旧広島市民窮場が見える。 原子爆弾投下後、絶望の焼け跡から立ち上り、 たったの20年でここまで復興/発展を遂げた広島はすごい。 昭和40年のわが広島市の中心部、八丁堀。 昭和58年、わが広島市の様子。平和記念公園上空。 上端に旧広島市民窮場が見える。 一時代前のJR広島駅南口のスケッチ。 この頃、「駅ビル展望浴場」という銭湯が屋上部に設けられていた。 中区上八丁堀にあったホテル 昔のひろでん会館(広島市西区)のチラシ広告からパクった旧ロゴタイプ。 レールの断面とBolt(稲光マーク)を合わせてデザインされた、これより 一代古いシンボルマークを目下探し中。 広島のデパート、福屋百貨店旧ロゴタイプ。 「ララ♪ ふ~く~やぁ~♪」 とかいうテーマソングがあり、 広島のモンはた
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く