最後に仁和寺の歴史と伽藍を紹介する。 仁和寺は、真言宗御室派総本山の寺院である。山号を大内山と称する。正式名称を旧御室御所跡仁和寺という。 仁和寺は光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、年号をとって仁和寺と号した。宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」の別称がある。 平安時代の中期から鎌倉時代にかけて皇室の尊崇と貴族の庇護を受けた仁和寺は大きく栄えたが、応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく焼失した。 寛永11年(1634年)徳川幕府3代将軍徳川家光の寄進により伽藍が整備された。また、寛永年間の皇居建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築