手島益雄 『婦人の慰問使』 東京, 愛国婦人会, 明治38(1905)年, 123p. <本文> かつて、奥村五百子(1845-1907)という猛女がいた。 若い頃は尊王攘夷運動に加わり、明治になってからは婦人運動に熱心に取り組んだ。また、朝鮮に学校を建てたり、日清戦争の際には皇軍慰問使に加わって清国に渡るなど、かなりエネルギッシュに活動していたようだ。そして、1901年、戦死者の遺族や戦傷者の救護などを行う愛国婦人会(会長:岩倉久子)を設立する。 日露戦争終了後の1905年7月7日、61歳の奥村は会員の野中禰知子・田代治子、記者の手島益雄を伴い、愛国婦人会の慰問使として大連の地に降り立った。日本軍の兵士に日本の婦人を代表として謝意と婦人会の活動を伝えて軍人の勇気を鼓舞し、また戦死者の墓に詣でる。これが、この慰問使の目的である。 一行は、旅順・遼陽・奉天とめぐり、その目的を果たしていく。本
米ワシントン州のハンフォード核施設の廃棄物埋め立て場から回収されたプルトニウムが、世界で初めて兵器用に精製されたものであることが明らかになった(NewScientist記事・本家記事)。 ハンフォード核施設では、第二次世界大戦から冷戦末期まで兵器用プルトニウムが製造されており、1989年から汚染除去作業が行われている。施設の廃棄物埋め立て場には汚染物質などが無差別に投棄されていたと言われている。この埋め立て場で2004年に古い金庫が見つかり、中からガラス瓶に入った400mlのプルトニウムが回収された。分析したところ、このプルトニウムは兵器用プルトニウム-239の最古のサンプルであることが明らかになった。 サンプルが保存されていた金庫は放射能汚染が確認されたため1945年に密閉され、1951年に廃棄されたと記録されていたが、その後この金庫の行方は分からなくなっていた(金庫の汚染原因は保存され
文京区は29日、区内にゆかりの深い森鴎外(1862~1922)の資料を展示する本郷図書館鴎外記念室(千駄木1)を建て替え、「森鴎外記念館」(仮称)として、生誕150周年の12年度までに整備する方針を明らかにした。 62年にオープンした記念室は、鴎外が30歳から住んだ屋敷「観潮楼」の跡地にあり、自筆原稿や文具などの遺品約2900点と、鴎外文学の研究図書や資料約7900点がある。老朽化のため昨年4月から休館していた。 新記念館は3フロアで床面積1300平方メートルの規模で、展示資料を引き継ぐ。 鴎外の生誕地である島根県津和野町に同名の記念館があるため、区は今後、名称を検討する。【井崎憲】 〔都内版〕
週刊新潮の襲撃実行犯の話があり、読んだ。次回がさらに面白そうではある。 ⇒asahi.com(朝日新聞社):本社阪神支局事件 実行犯を名乗る男、週刊新潮に手記 - 関西ニュース一般 この男性は05〜06年、朝日新聞へ「襲撃事件の実行犯」と名乗って手紙を送ってきており、朝日新聞は当時、男性に会って取材した。今月、週刊新潮編集部から、男性の「証言」が事実と合致しているかどうか問い合わせを受けたが、面会内容や取材結果から「本事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」と回答している。 また男性は朝日新聞記者の取材を受けた時の状況についても触れ、「(記者が)喧嘩(けんか)腰で怒鳴る」などと書いているが、そうした事実はない。 「朝日新聞は当時、男性に会って取材した」は新潮の記事をさしているのか、朝日新聞として新潮記事に合わせて「そのとおりだ」という証言をしたのか。率直にいうと朝日新聞はこういうこと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く