1970年代から東京の音楽シーンを切り拓き続けてきたアーティストがキャリアを振り返る
今から20年前、ベルリンの壁崩壊に先立つこと6カ月。のちの共産陣営の「大なだれ」につながる小さな亀裂がハンガリーで生まれた エーリヒ・ホーネッカーは、それが議長としての最後のメーデーになるとは考えてもいなかった。 1989年5月1日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家評議会議長だったホーネッカーは、東ベルリンの観閲台に立ち、四方を埋め尽くす兵士たちの行進と、自由ドイツ青年団(政権政党だったドイツ社会主義統一党の青年組織)の旗を見つめていた。太陽は輝き、いかにもおじいちゃんといった風情のホーネッカーの白髪は柔らかな風になびいていた。 共産陣営の国々はこの日、各地でマルキシズムとその軍事力のたたえる毎年恒例の行事を行っていた。だが、共産圏を破壊することになる暴風は徐々に迫っていた。 その数カ月後に次々起きた共産主義を終焉させる出来事のなかでも、特筆すべきは89年11月のベルリンの壁崩壊だろう。
70~80年代に発表された日本のポップスが、海外で大きな注目を集めるようになって久しい。かつて国内を席巻した、煌びやかで非現実的な音楽は、丹念に作り込まれたストリーミング世代のポップスとも共鳴している。この現象を米ローリングストーン誌はどのように捉えているのか? 関係者の証言も交えつつ、アメリカ側の視点からシティ・ポップ再評価の真相に迫った。 日本のタワーレコードでCDの山を前にしていたAndy Cabicは、ふと予感めいたものを感じた。フォークロックのバンドVetiverのフロントマンであり、2000年代半ばにはデヴェンドラ・バンハートと共にツアーを回ったこともある彼は、山下達郎やシュガーベイブ、はっぴいえんど等を取り上げたコーナーの前で足を止めた。数時間にわたってそれらの作品を試聴した彼は、新鮮でありながらどこか懐かしいその音楽の虜となった。当時アメリカで流行していたソフトロックやAO
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