タグ

戦争に関するkaoruwのブックマーク (32)

  • 終戦の日、熱海の「もうひとつの靖国」を訪ねた - 石川智也|論座アーカイブ

    終戦の日、熱海の「もうひとつの靖国」を訪ねた 「戦争責任」と「追悼」にまつわる、ふたつの場所 石川智也 朝日新聞記者 令和最初の「8・15」 令和最初の「8・15」。全国戦没者追悼式での安倍首相の式辞には7年連続で近隣諸国への加害への言及や「反省」の文字がなかった。 一方、新天皇は平成時代の表現を受け継ぎ「深い反省」を表明した。 もっとも、その「おことば」の全文を子細に読んでみると、この「反省」は、誰のどのような行為と結果に対してのものなのか、主語も目的語も判然としない。 ちょうど74年前の正午、ラジオから流れた昭和天皇による肉声が「敗北」ではなく「時局ヲ収拾」と述べ、「戦争を始めた天皇」がいつの間にか「戦争を終わらせた天皇」に換わってしまったのと似たレトリックがある。 「8・15」は国を挙げての鎮魂の日であり、さきの大戦について思いを馳せる日とされている。しかし、過去を冷静に見つめ責任の

    終戦の日、熱海の「もうひとつの靖国」を訪ねた - 石川智也|論座アーカイブ
    kaoruw
    kaoruw 2022/12/23
    静岡県熱海市の礼拝山興亜観音。「1948年の処刑後に米軍が持ち去りどこにも存在しないはずの7人の遺灰が、ここに眠っている」「ここ10年ほど、かつてとは違う人影がぽつりぽつりとあらわれるようになっている」
  • これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠 「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡 | 47NEWS

    Published 2021/08/15 07:00 (JST) Updated 2021/08/16 11:56 (JST) 太平洋戦争末期、米艦に零戦機などで突っ込み、時に〝軍神〟とあがめられたり、時に「無駄死にだった」と切り捨てられたりもした特攻作戦の悲劇。出撃前の特攻隊員には覚醒剤「ヒロポン」が与えられていた。この問題は真正面から研究された様子がないが、大阪の元中学教員の相可文代さん(71)は、勤労奉仕で覚醒剤入りのチョコレートを包む作業に従事した女学生の実体験を知ったことをきっかけに独自に調べ、このほど冊子にまとめた。 覚醒剤と知らされず服用し命を散らした若者らの悲哀と、上官や国家体制の無責任さ。志願制とは名ばかりの死への強制の中で、最後には薬物も使った特攻作戦はまさに「統率の外道」(大西滝治郎海軍中将)だ。「祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に

    これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠 「チョコ包むの見た」証言から元教員が追跡 | 47NEWS
  • シベリアに眠る父の埋葬地は、ゴミ捨て場と化していた【71年目の死亡通知】(上)

    それは、「71年目の死亡通知」だった。 2016年6月のこと、岩手県保健福祉部から突然、大きな茶封筒が送られてきた。開けてみると、厚生労働省からの「お知らせ」で、ロシア政府から提供されたシベリア抑留者に関する資料と日側の保管資料を照合した結果、父親(増子浩一)のものと思われる資料が確認されたという前置きがあって、こう記されていた。 1.埋葬地 プリモルスク地方(沿海地方) 第4865特別軍病院・第1墓地 2.氏名 マスノ コイチ 3.生年月日及び階級 明治40年 兵 4.死亡年月日 昭和20年12月30日 そのうえ、驚いたことに、「お知らせ」には、ロシア語の資料の写しと、日語に翻訳した「死亡証書」と「埋葬証書」まで添えられていた。 遺骨代わりの木片が入った骨箱を渡され、幼いころから父の戒名と没年が刻まれただけのからっぽの墓石に手を合わせてきた私にとって、それは初めて知る父の死についての

    シベリアに眠る父の埋葬地は、ゴミ捨て場と化していた【71年目の死亡通知】(上)
  • ソ連兵の相手に差し出され、戦後”キズもの”と誹謗中傷を受けた…“戦争と性暴力”を勇気と覚悟をもって告白した日本人女性と、その負の史実を刻んだ遺族たち | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ

    「黒川開拓団のようなことは二度と繰り返してはいけない。次の世代のみんなに伝えていきたい」。終戦直後の中国・満州でソ連兵の性の相手を強いられた女性たちがいた。その歴史に真正面から向き合い、封印されてきた史実を刻んだ人たちがいまる、二度と戦争を繰り返さないために、後世に伝えるために。 1931年の満州事変後、中国東北部を占領し、満州国を建国した日政府。「100万戸移住計画」を閣議決定、村に補助金を出すなどして積極的に推し進めた。結果、全国各地から800以上の開拓団、およそ27万人が入植した。しかし"開拓"とは名ばかりで、多くは中国人が開墾した土地を安い値段で立ち退かせていた。そして岐阜県・旧黒川村から渡った600人余りが暮らしたのが、満州国の首都・新京とハルビンの間にある陶頼昭だった。

    ソ連兵の相手に差し出され、戦後”キズもの”と誹謗中傷を受けた…“戦争と性暴力”を勇気と覚悟をもって告白した日本人女性と、その負の史実を刻んだ遺族たち | 国内 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ
  • 祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず | 西日本新聞me

    10月初旬、秋晴れの長崎市・平和公園は、さながら修学旅行生ラッシュの様相だった。平和祈念像前で写真撮影を終えた小学生たちに、女性ガイドが像の由来を説明していた。 台座と合わせ高さ約13メートル。青銅製の巨大な祈念像は南島原市出身の彫刻の大家、故北村西望が長崎市から制作の委託を受け、被爆10周年に当たる1955年8月に完成させた。以後、8月9日の平和祈念式典は毎年、祈念像前で開催。像は被爆地「祈りのナガサキ」の代表的なイメージとして世界的にも知られる。 ただ、11月に長崎を訪問するローマ法王フランシスコは、81年2月に来崎した当時の法王ヨハネ・パウロ2世に続き、祈念像には立ち寄らない。 偶像崇拝禁止? ヨハネ・パウロ2世の来崎時の長崎市長でカトリック信徒でもあった故島等氏は、キリスト教が偶像崇拝を禁止していることなどを根拠に、法王が平和公園を訪問しなかった原因は祈念像にあるとの見方を示して

    祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず | 西日本新聞me
    kaoruw
    kaoruw 2019/11/29
    知ってるべきなのに今まで知らなかった話っていろいろあるわけだよな…
  • 【祐実総軍】 軍事遺跡データベース

    ★軍事遺跡データベースは一部の都道府県のみ公開です! 最終的には全都道府県の戦争遺跡を掲載する予定ですが 気が遠くなる程の膨大な量ですので時間がかかります。 (製作状況は、総軍ブログを見てくださいねっ★) ★ただいま、リニューアル更新中につき新旧ページが 混在しております。 ★2024.01.15 神奈川県内の遺構を削除 大磯町(3遺構) ★2023.02.19 神奈川県内の遺構を追加 横須賀市(73遺構) ★2023.02.16 愛知県内の遺構を追加 田原市(34遺構) ★2023.02.15 千葉県内の遺構を追加 館山市・南房総市 (17遺構) ★2023.02.14 広島県内の遺構を追加 広島市(5遺構) ★2023.02.13 山口県内の遺構を追加 周南市(24遺構) ★2023.02.12 神奈川県内の遺構を追加 横須賀市(49遺構) ★2023.02.09 広島県内の遺構を追加

  • 東京湾要塞(神奈川、千葉、東京戦争遺跡徹底調査)

    東 京 湾 要 塞 神奈川、千葉、東京の戦争遺跡 三浦半島は、戦争遺跡の宝庫です。横須賀は、東京湾要塞地帯の中心であり、明治維新以降、我が国初の近代要塞である観音崎砲台をはじめとする陸軍施設、横須賀鎮守府を中心とする海軍施設など、陸海軍の様々な施設が設置された日の最重要な軍事拠点でした。 また、太平洋戦争末期には、土決戦に向けて半島全域が要塞化されました。一歩間違えば、沖縄戦と同じ惨劇がこの三浦半島でも繰り広げられた可能性があったのです。 「戦争遺跡は平和の語り部」です。サイトでは、これらの戦争遺跡(ハード&ソフト)を後世に伝え残していくために、東京湾要塞内及び其の周辺地域をくまなく調査し、その歴史と現状を紹介します。軍事に関する文物をも含めた500ページを超える総合的な軍事サイトです。 更新情報

  • 空前絶後の「奇書」から知る、あの軍人の意外な評価と素顔(辻田 真佐憲) @gendai_biz

    日中戦争さなかの1939年に刊行された『軍人わしが国さ』をご存知だろうか。人物評論家の伊藤金次郎が、日陸海軍の軍人約2000名を論評した、空前絶後の著作である。 東条英機にせよ、山五十六にせよ、日中・太平洋戦争期の軍人の評価は今日おおよそ定まっている。だが、戦争当時のかれらの評判はかならずしも明らかではない。 そこで『軍人わしが国さ』をひもとくと、意外なことがわかる。いまでは悪名高い軍人が絶賛されていたり、その逆もあったり、あるいはまったく違いがなかったりする。 戦時下ゆえに書きにくい面もあっただろうが、それを割引いても、めっぽう面白い著作である。 東条英機は「電気仕掛けみたいな人物」 試みに、東条英機についてみてみよう。 いうまでもなく、東条は、太平洋戦争開戦時の首相・陸相である。戦後A級戦犯として処刑されたことなどもあって、現在では戦時下の諸悪の根源であるかのような見方さえある。

    空前絶後の「奇書」から知る、あの軍人の意外な評価と素顔(辻田 真佐憲) @gendai_biz
    kaoruw
    kaoruw 2017/08/02
    1939年(昭和14年)という既に日中戦争が始まっている状況で刊行された軍人評価本。
  • 靖国「A級戦犯合祀」の黒幕にされた男〜靖国問題"発生"の舞台裏を明かす(週刊現代) @gendai_biz

    過酷な「実務」になぜ耐えられたのか ――戦中は陸軍高官として全国から召集された兵士を戦地に送る作業を担い、戦後は官僚として復員や遺骨収集、さらに戦死者の靖国合祀や千鳥ケ淵墓苑の創設に尽力した美山要蔵。伊藤さんがこのたび上梓された『靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男』は、その足跡を辿りつつ、いわゆる「靖国問題」がどのように生じたのかを解き明かした長編ノンフィクションです。 小泉純一郎政権の時代に、靖国問題がクローズアップされたことが書執筆のきっかけでした。 そもそも、靖国神社が問題視されるようになったのは、A級戦犯が合祀されてからです。そこでまず、靖国神社内部でA級戦犯合祀に動いたのは誰なのか取材しました。 しかし合祀は、靖国神社が単独で勝手に行えることではありません。手続きとしては、国が合祀にふさわしいと判断した戦死者を「祭神名票」に記載し、靖国神社に通知して、この名簿に基づき

    靖国「A級戦犯合祀」の黒幕にされた男〜靖国問題"発生"の舞台裏を明かす(週刊現代) @gendai_biz
    kaoruw
    kaoruw 2017/04/10
    伊藤智永インタビュー「靖国と千鳥ケ淵 A級戦犯合祀の黒幕にされた男」
  • 知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

    知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった! 戦争・麻薬・カネ 文/辻田真佐憲(近現代史研究者) 芸能界の薬物汚染と太平洋戦争 近年、有名人の薬物事件があとを絶たないが、これは何もいまにはじまったことではない。歴史を振り返れば、太平洋戦争の敗戦直後から、芸能界に薬物汚染は広まっていた。当時よく使われたのは覚醒剤、いわゆる「ヒロポン」である。 漫才師で、のちに参議院議員に転身した下村泰は、1984年6月の国会質疑において、ヒロポン中毒に陥った歌手たちの奇行を、次のように赤裸々に証言している。 いわく、楠木繁夫は、ギャラの契約をせず、「ヒロポンを一升瓶で何くれたら幾日間行く」といって仕事をしていた。 いわく、霧島昇は、ヒロポン中毒が進み、1曲歌っては「幕を閉める」といったり、アンコールまでいっているのに「アンコールまだだ」といったりして、司会の自分

    知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~芸能界「薬物汚染」の源流はこんなところにあった!(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)
  • http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/resyakubaku/yonohana.htm

    kaoruw
    kaoruw 2016/11/08
    「八王子裏高尾町の旧甲州街道蛇滝口バス停から約50メートルほど離れた所に、太平洋戦争終結間近の昭和20年8月5日に米軍機による列車銃撃事件が発生。列車銃撃による国内最大の犠牲者が出た場所です」
  • スマラン事件 - Wikipedia

    スマラン事件(スマランじけん)とは、太平洋戦争終結直後の1945年10月15日から10月19日にかけてジャワ島スマランで起きた、インドネシア軍と日軍の武力衝突である。日軍が保有する武器の引き渡しを巡って対立が生じ、インドネシア側民兵が拘束した日の民間人多数を処刑、日軍が戦闘の末にインドネシア側を制圧した。インドネシア側に1000〜2000人、日側にも民間人を含め200人以上の死者・行方不明者が出た。インドネシアでは五日間戦争(Pertempuran lima hari)として知られる。 オランダ領東インド(蘭印)は、太平洋戦争初期に日軍が占領した後、日の統治下にあった。蘭印の中心地であるジャワ島には停戦前の連合国軍の上陸は無かった。インドネシアの独立準備は進められていたものの、実現していなかった。 1945年8月に太平洋戦争が日の敗戦に終わると、蘭印ジャワ島駐屯の日軍も連

    スマラン事件 - Wikipedia
    kaoruw
    kaoruw 2016/04/11
    1945年10月15日から5日間ジャワ島スマランで起きた、旧日本軍とインドネシア独立派の武力衝突。日本軍の武器の引き渡しを巡り対立が生じ、インドネシア側に千〜2千人、日本側にも2百人近い死者が出た
  • NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~|NHK 戦争証言アーカイブス

    NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~|NHK 戦争証言アーカイブス
  • 【両陛下の慰霊訪問】で直視すべき、フィリピンの許しと日本の道義的責任

    人戦没者だけでなく、現地の犠牲者をまつる「無名戦士の墓」を慰霊訪問された両陛下。フィリピン側戦没者の慰霊は、両陛下の希望で実現したという。(写真は、両陛下の訪問を伝えるフィリピン主要紙「フィリピン・スター」のHP) 今上天皇陛下は、私たち戦後生まれの国民にとって、良い歴史の先生でもあるように思う。日頃忘れがちな、あるいは知らない事柄について、陛下の言動を通して知ったり考えたりする経験をした人も多いのではないか。筆者もその一人である。 日軍の加害の実態 戦後70年の昨年は、とりわけそういう機会が多かった。たとえば、新年のご感想では「満州事変に始まるこの戦争歴史」について学ぶ重要性を説かれ、米国などとの太平洋戦争だけでなく、中国での戦いから学び直す必要性を示された。4月のパラオ・ペリリュー島ご訪問は、太平洋戦争末期の激戦について、多くの国民が学ぶ機会となった。また、年末の誕生日記者会見

    【両陛下の慰霊訪問】で直視すべき、フィリピンの許しと日本の道義的責任
  • 欧州Inside 歴史に沈黙する「ナチス従属国」 忘れられた戦争犯罪 ベルリン支局 赤川省吾 - 日本経済新聞

    歴史認識や領土を巡って不協和音が絶えない日中韓とは対照的に、欧州では外交関係に戦時中の対立構図が持ち込まれることはほとんどない。戦後70年を迎えた今年もドイツ政府は各地の追悼式典で戦時中の残虐行為への謝罪を繰り返し、ドイツ企業は強制労働の実態を含めた自らの暗い過去を告白した。敵対関係にあった枢軸国と連合国の和解が進み、日では戦後処理のモデルケースとされる。しかし、そんな欧州で関係者が口をつぐみ

    欧州Inside 歴史に沈黙する「ナチス従属国」 忘れられた戦争犯罪 ベルリン支局 赤川省吾 - 日本経済新聞
    kaoruw
    kaoruw 2015/11/11
    ナチスドイツの管理下にあったチェコの企業。ソ連衛星国の代表・東ドイツが「社会主義によって過去を克服した」という宣伝でナチ関係者を積極的に登用したことも歴史を振り返る機会を失わせたと。
  • Amazon.co.jp: 私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 (光人社ノンフィクション文庫 337): 島田覚夫: 本

    Amazon.co.jp: 私は魔境に生きた 終戦も知らずニューギニアの山奥で原始生活十年 (光人社ノンフィクション文庫 337): 島田覚夫: 本
  • Amazon.co.jp: 海上護衛戦 (学研M文庫 S お 2-1): 大井篤: 本

    Amazon.co.jp: 海上護衛戦 (学研M文庫 S お 2-1): 大井篤: 本
    kaoruw
    kaoruw 2015/08/21
    「海軍で海上護衛総司令部参謀をつとめ、シーレーン(海上交通線)確保の最前線に立っていた著者がその戦略を綴った護衛戦の貴重な体験記」
  • Amazon.co.jp: プロパガンダ戦史 (中公文庫 い 122-1): 池田徳眞: 本

    Amazon.co.jp: プロパガンダ戦史 (中公文庫 い 122-1): 池田徳眞: 本
    kaoruw
    kaoruw 2015/08/16
    「各国のプロパガンダを分析」「アメリカは事実がないと宣伝できない。ドイツは論理に溺れて理屈ばかり。イギリスは謀略型、相手に影響を与えるようにものごとを陳述する巧みなプロパガンダを展開」
  • 【戦後70年】諜報、情報収集力の重要性痛感 元陸軍少尉「敵を知らずに戦争突入した」 近衛元首相長男「教訓」次世代に託す(1/3ページ)

    終戦から70年を迎えた15日、東京・靖国神社は深い祈りに包まれた。「負けるべくして負けた戦で、多くの有為な人材を失った」。陸軍少尉として土決戦に備えているとき、終戦を迎えた和田泰一(やすいち)さん(90)=東京都品川区=は、悔しさを胸に戦後を生きてきた。静かに手を合わせながら「今日の繁栄があるのは英霊のおかげ」とかみしめ、次世代の人たちに祖国の未来を託した。(池田祥子) 日露戦争当時の武器 70年前と同じように、朝から蝉時雨が降り注いでいた。15日早朝から、長い九段の坂を上って人々が靖国神社(東京都千代田区)に参った。社頭に続く長い列の中に和田さんの姿もあった。 昭和20年8月15日。鹿児島・志布志湾で土決戦に備えていた。陸軍士官学校(第58期)を卒業後、少尉に任官して約2週間。陸士での作戦立案の課題は、勝つためではなく「何日もたせるか」が主題だった。 鹿児島でも武器の一部は明治時代の

    【戦後70年】諜報、情報収集力の重要性痛感 元陸軍少尉「敵を知らずに戦争突入した」 近衛元首相長男「教訓」次世代に託す(1/3ページ)
    kaoruw
    kaoruw 2015/08/16
    「近衛文麿の長男で元陸軍中尉の文隆氏」『「戦況悪化は著しいようですが見通しはどうなのでしょうか」。文隆氏は即答した。「勝負はついた。誰かが止めなければいけないが、陛下以外にはいらっしゃらない』
  • 【銀幕裏の声】終戦の葛藤に迫る「日本のいちばん長い日」 政界・軍部重鎮が一堂に会した「座談会」秘話(1/3ページ)

    戦後70年目の夏を迎えた。8月8日、全国一斉に封切られる大作「日のいちばん長い日」は昭和20年8月15日、日が国際社会の中でどうやって終戦を迎えたのかを克明に描いたヒューマンドラマである。42年に映画化された岡喜八監督版では三船敏郎、笠智衆、松幸四郎(八代目)ら当時の大物俳優を配役。今回の原田眞人監督版も役所広司、山崎努、木雅弘、松坂桃李らオールスターキャストで挑んでいる。わけあって1作目の原作者名は大宅壮一さんとなっているが、実は両作とも半藤一利さんの原作だ。当時、文芸春秋の編集者だった半藤さんが企画し、司会を務めた座談会から、この2映画は生まれた。(戸津井康之) 半藤氏の執念が実現させた驚愕の座談会 昭和38年6月、東京・築地の料亭で、ある座談会が開かれた。出席したメンバーの顔ぶれを見て驚かない者はいないだろう。 元内閣書記官長の迫水久常、元陸軍大将の今村均、阿南惟幾陸軍

    【銀幕裏の声】終戦の葛藤に迫る「日本のいちばん長い日」 政界・軍部重鎮が一堂に会した「座談会」秘話(1/3ページ)
    kaoruw
    kaoruw 2015/08/16
    「結局、その後の日本の再建に必要な人たちの多くが、戦争の責任を取って自害していたんですね…」