乱乱小屋 5. 実録・映画界の黒幕 笹井末三郎は、京都千本三条のやくざ千本組初代荒寅こと笹井三左衛門の三男として生まれる。 父親の荒寅は、浜仲士を束ねる「かたぎやくざ」(定職を持ち、博打をしないやくざ)として、全国にその名を知られていた。 末三郎は、幼少期より、文学や詩を好み、同志社中学時代には、様々な雑誌に投稿したり、武者小路実篤や西田天香らに師事しようとしたこともあるらしい。生来のはにかみや故に、女性のペンネームで投稿にいそしんでたところ、それを見た男性読者が間違えて訪ねてくることもままあった。その中の一人に、大杉栄の同志、中村還一がいた。その時、知り合った中村に、無政府主義を教えられ、運動に参加することとなった。1920年(大正9年)、第一次「労働運動」第6号の和田久太郎の小稿に、末三郎の名前が、初めて運動家として登場している。 その頃の笹井家は、兄が土建業、本家が材木運送業を営んで
久しぶりに、血湧き肉踊る映画を見た。単にアクション・シーンや群集シーンの迫力だけを言っているのではない。民族、宗教。家族愛、恋愛、愛国心。友情と裏切り。自由と平等。激動の歴史と変革の兆し。おおよそアメリカ映画で好まれるほとんどの題材が盛り込まれているゴージャスな作品である。 しかし、この映画を存分に楽しむには、最低限のアメリカの歴史や宗教知識くらいは知っていないとキツイかもしれない。ファースト・シーンを見て、「ああ、WASP対アイリッシュの対決だな」と看破できた日本人は多くなかったであろう。さらに、ビルのアムステルダムに対する思いも、セリフに頼らずに演技と演出で表現しているので、伝わりづらい部分がある。 いくつかの掲示板をのぞいたが、あまり評判はよくないし、議論もあまり盛り上がっていない。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(以下『GONY』)は単なる血の気の多いギャングの抗争映画ではない。失
「目録」とは、いわゆる免許皆伝の書のことであるが、本書には、その印可の対象者の氏名が記されていないので、雛形のまま保存された形になっている。 ちなみに、当中村家二十三代万五郎政敏は、「神道無念流」流祖福井兵右衛門より奥伝の印可を受け、上清久村(現久喜市)に道場を開いた剣術・戸賀崎宗家初代知道軒熊太郎暉芳及び同二代有道軒熊太郎胤芳父子を師として剣の研鑽を積み、奥伝を得て後は、委譲された師の別号「(二世)有道軒」の重責を背負って、東方村(現越谷市)の現在地 ―― その西南隅に道場を開設、弟子千人を抱えたと言われている。「天保三壬辰年」(1832年)とあるのは、その道場における印可であることの証で、「有道軒」及び「政敏」―― 二つの白文方印と花押とがある。 本書に、若干補足すれば、「五加」は、重語「五加伍(=五)行」と同義の語で、ここでは「神道無念流」―― その術の表徴としての五つの形のこと。「
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