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2014年1月17日のブックマーク (3件)

  • 「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実/樋口毅宏|新潮社

    タモリ論』(新潮新書)を上梓してから五ヶ月が経過した。おかげさまで書は書店に並ぶ前から増刷がかかり、小説家を業としている私にとって初めてのベストセラーとなった。 反響は予想以上のものだった。タレントやテレビプロデューサー、放送作家といったテレビの作り手側から、お笑いに詳しいと自任するマニアまで、賛否両論の声を頂いた。これまで小説を七冊書いてきたが、身に余るほどの称賛の一方で、貶す人はとことん罵倒するので、デビューから四年、その手の免疫はできていた、と思っていた。しかし今回ばかりは桁が違っていた。ツイッターで見過ごせない誹謗中傷をしてくる人に憤りを覚え、直接相手にはしなくても、それとなく反論したこともあった。小さいな俺と思った。 その間、幾つもの取材に応え、ラジオにも出演した。テレビ局から出演依頼があったが、弱者を嘲笑する、もっとも嫌いなタイプのバラエティ番組だったため断った。

    「笑っていいとも!」と有吉佐和子、三十年目の真実/樋口毅宏|新潮社
    karatte
    karatte 2014/01/17
    『タモリ論』ブックオフでも見かける機会増えたから、買ってみるべか
  • 小野田寛郎さん死去、終戦知らずルバング島30年間潜伏 自然塾で育成に尽力 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    小野田寛郎さん死去、終戦知らずルバング島30年間潜伏 自然塾で育成に尽力 産経新聞 1月17日(金)9時40分配信 戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間潜伏を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。 遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。 50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年に

    小野田寛郎さん死去、終戦知らずルバング島30年間潜伏 自然塾で育成に尽力 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
    karatte
    karatte 2014/01/17
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  • これはいい丸太だな…「彼岸島」お馴染みの武器がTシャツに

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    これはいい丸太だな…「彼岸島」お馴染みの武器がTシャツに
    karatte
    karatte 2014/01/17
    いつ終わるんだこのマンガは……