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Interviewとhackerに関するkasahiのブックマーク (4)

  • メディア・アーティストの市原えつこ氏が「一緒に仕事をしたい」と思う理系像とは?

    大根を触ると喘(あえ)ぎだす装置「セクハラインターフェース」や、ヒト型ロボットPepperの胸部を女性の乳房にアレンジした「ペッパイちゃん」の生みの親である、メディア・アーティストの市原えつこ氏。彼女が手がける作品はセンセーショナルなものが多く、しばしばネット上を賑わせている。 数人でチームを組んでプロダクトを作り出している市原さんだが、自身はアートディレクション……すなわち作品コンセプトを生み出す立場であり、複雑なコードも書けなければ回路を設計することもできない。しかも、平日はIT企業でウェブデザインを生業とする、ごく普通の会社員でもある。そんな奇想天外なキャリアを歩む市原さんに、自身のこれまでの半生と今後の展望、彼女の目線から見た“理系のリアル”について語ってもらった。 [ PROFILE ] 市原えつこ(いちはら・えつこ) 1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部表象メディア

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  • 第3回 宮川達彦―最先端のWebエンジニアのキャリア | gihyo.jp

    先を歩むエンジニアへのインタビューを通してエンジニアのキャリアについて考える連載、今回は古くからPerlコミュニティで活躍し、最近ではWebテクノロジ情報発信のポッドキャスト「Rebuild」が話題の宮川達彦さんにお話を伺いました。宮川さんは、筆者のクックパッドの同僚でもあります。 [撮影:平野正樹] プログラミングに興味を持ったきっかけ ─⁠─最初にプログラミングやエンジニアリングに興味を持ったのはいつでしょうか? 宮川:父親がプログラマだったので、コンピュータは小さいころから家にあったんですけど、プログラミングはしておらず、純粋にPCユーザとしてゲームとかで遊んでいました。プログラミングのきっかけは、東京大学に通い始めて、趣味でホームページや掲示板を作っておもしろいと思ったことですね。そのあと3年次に、理学部情報科学科を選択し学びました。それと前後して、大学の友達から「オライリー・ジ

    第3回 宮川達彦―最先端のWebエンジニアのキャリア | gihyo.jp
  • 「ITベンチャー社長に聞く!」: 技術を武器に、世界で通用するサービスを作りたいプリファード・インフラストラクチャー社長 西川徹氏(前編)

    技術を武器に、世界で通用するサービスを作りたい プリファード・インフラストラクチャー社長 西川徹氏(前編) 東京大学郷キャンパス近くにプリファード・インフラストラクチャー、通称PFIのオフィスはある。「この前までは社員が6人も入ったらいっぱいの小さなところだったんですが、社員も増えたので移転しました」と、25歳の若き社長西川徹氏は笑う。 10名いる同社のメンバーは全員、東大か京大の卒業生か在学中。最年少は22歳で大学院生、最年長でも25歳という若い会社だ。しかし、この会社にはすごい技術と夢があった。全文検索エンジン「Sedue」、連想検索エンジン「reflexa」など、プログラミング技術を活かしたサービスを次々に生み出し続けている。社員は全員技術者のベンチャー企業、PFIのできた理由や技術にかける夢を社長の西川徹氏に聞いた。 ● コンピュータ漬けだった小中高時代 小学校4年生の頃、機械好

  • Webエンジニア武勇伝 第24弾 蓑輪太郎(ひげぽん) 氏 | サイボウズ・ラボ株式会社

    今回は、ひげぽん(higepon)こと、サイボウズ・ラボの蓑輪太郎さんにお話をお聞きしました。蓑輪さんがブログで、「Webエンジニア武勇伝」の宮下尚さん記事を取り上げていただいたのを発見しまして、是非、インタビューをということでお願いし、今回の企画が実現いたしました。IPAで未踏ソフトウェアに採択され、スーパークリエータの認定もされているにも関わらず、謙虚で当に人柄が素晴らしい蓑輪さんのお話を存分にお楽しみください。取材は、ユニークさで知られるサイボウズ・ラボのミーティングルームをお借りいたしました。 蓑輪太郎 氏 慶應義塾大学 理工学部 物理学科 卒業 某大手企業のシステム開発会社 入社 グループ会社向けの Web サービスの開発を担当 2002年: - 趣味でオープンソースOS Monaの開発を始める。 - OS開発の知識が一切ない状態から多くの人に助けられ開発を進める 2005年:

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