寄り添わず きみはきみの足で 僕は僕の足で 歩いて行こう 疲れたときは 少しゆっくり 元気なときは 膝を上げて 立ち上がれないほど 苦しいときは 声をかけてください 寄り添わず きちんと手を握るから
あんたは自分が一生で一番たくさん袖を通した服がなんだかわかるかい? あんたがいつ死ぬか知らないが、ともかく、今まで一番たくさん袖を通した服を。 おれには、たぶんこれだろいうという室内着がある。おれが十七歳か十八歳のころに買った室内着だ。今はなき、というか、いつまであったか知らないが、藤沢のトポスで買った……服だ。おれは衣服というものに詳しくないので、これをなんと分類していいかわからない。パーカー? かもしれない。ともかく、茶色い、薄すぎるわけでもなく、厚すぎるわけでもない、服だ。 トポスで、いったん通り過ぎたと思う。あまりに地味な服だった。だが、通り過ぎてしばらくして、「あれ、室内着によくないか?」と思って、戻って買った。室内着なのに、フードがついている。 十七歳か、十八歳というところには自覚がある。顔を合わさなくなって二十年経つ父親に、「おまえのそれは、いいルームウェアだな」と言われた覚
『氷と炎の歌』を先に読んでいると感じる違和感 最近、アマゾンプライムでゲームオブスローンズを観ている。 いまさら言うまでもなく、これは極めてすぐれた映像作品だし、これに多くの人が熱中しているのもよくわかる。 だが、原作小説『氷と炎の歌』シリーズを先に読んでいると、ゲームオブスローンズには小さな違和感を感じないでもない。 その違和感とは、「登場人物のビジュアルが思っていたのと違う」ということだ。 七王国の玉座〔改訂新版〕 (上) (氷と炎の歌1) 作者: ジョージ・R・R・マーティン,目黒詔子,岡部 宏之 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2012/03/31 メディア: 文庫 購入: 2人 クリック: 64回 この商品を含むブログ (35件) を見る 『氷と炎の歌』の最初の巻『七王国の玉座』では、アリアは「馬面のアリア」と呼ばれていて、剣を振り回すのが好きな女の子という設定になってい
近くの小さな絵画店 見たことのない絵があった。 「浜辺の少女」と名のついた とても綺麗な水彩画の中 きみはぼくを見つめていた。 まだ桜の舞う春の季節なのに きみは麦わら帽子をかぶっていた。 毎日きみに会いに行く いつもかわらぬきみがいた。 学校での出来事 悲しいことや楽しいこと いろいろ話しても いつでもきみはおなじ微笑みをくれた。 もうセミの声が聞こえる真夏の日なのに きみはさわやかな風に吹かれていた。 肌寒い秋のある日 きみだけは暖かい日を浴びていた。 きみのいる水彩画はいつもかわらないけれど 額は新しいものにかえられていた。 落ち葉舞う乾いた風のせいか きみの微笑みは心なしか寂しげだった。 悲しい予感がした日 きみのいる絵が消えていた。 どこへ 誰のもとへ さよならもいえないまま 絵の取り払われた壁が 白くむなしくぽっかりしていた。 とても冷たく寒々しい 今にも泣き出しそうな冬の空な
言えよ 好きなら好きと 嫌いなら嫌いと 言えよ 悲しかったら 悲しいと言え 嬉しかったら 嬉しいと言え 百万言ついやしても伝わらない そんな想いも 口に出せよ サルが喋らないのは 臆病だからだ やつらは奴隷だ 俺たちの先祖は偉大だ 神から言葉を奪った 神の支配から逃れるために そこからが地獄の始まりだ 楽園なんかくそ食らえ 言葉は武器だ 言葉は力だ 言葉は希望だ 言葉は愛だ だから言えよ 言えよ 好きなら好きと 嫌いなら嫌いと 言えよ だから言えよ 言えよ 好きなら好きと 嫌いなら嫌いと 言えよ 苦しかったら 苦しいと言え 楽しかったら 楽しいと言え 百万回言っても伝わらない そんな想いも 俺は何度でも叫ぶ 大好きだ 愛している
寓話をグツグツ煮て出てきたものがアフォリズムだとしたらそんなものは捨ててしまおう。隠喩と換喩にしか言葉は還元できないのだとしたら、それは圧縮と置換の言い換えなのでそれは夢の作業と同じなのだ。あなたがもし詩を書こうと思うのならば、お願いだからその枷を破ってほしい。ただの精神作用に過ぎないものはアルゴリズムとランダム性だからだ。私の書くものがそこに落ち込まないように広場を用意してほしい。あなた達と手を取り合うこともなしに、私一人で泣き叫ぶ場が必要になるだろう。あなた方は空に開いた穴に吠えることになる。私は正気を失っていなければ、それは正気ではないのだ。だからアフォリズムは誰のことも指し示さないまま虚無に帰る。 つまらない手癖のような哀歌を綴ることの痛みを忘れ去るために、正確なリズムで言葉は並べ替えさなければいけない。最良の言葉の最良の配置は最悪の言葉の最悪の配置に勝てるのか。偉大な詩人たちはお
疲れている。 この疲れは、精神疾患と関連している抑うつや倦怠とは違う。それはおれの身体をよく知っているおれがそう言っているのだから、そうなのだ。 というわけで、この疲れは……単なる疲れ? どういっていいかわからない。むしろ、おれの身体をよく知っているおれだからこそ、精神疾患と関連した疲れを把握できていない可能性もある。 というわけで、うんざりしているので、とくに書くこともない。 新しいノートパソコンをセットアップ(というほどたいしたことでもないのだが、昔に比べて)しても、さて何をしようということもない。 気温が下がってきて、ロードバイク(おれのすばらしいコルナゴ)に乗ろうかとか、ちょっと走ろうかという気もしない。 たとえば、上の写真はなんだろうか。iPhoneから適当にアップしたものだ。撮ったときは、なにかおもしろいと思ったのだろう。なにがおもしろいのか。お面手ぬぐいが2枚ついてくるところ
【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】 ※絓秀実氏の(とくに『革命的な、あまりに革命的な』第9章で赤瀬川原平を絶賛した部分の)文体模写(一部まるパクリ)です。正確には、文体模写と丸写しの中間、“替え歌”ぐらいでしょうか。内容に関しては、私自身もところどころ自分で何を云っているのか分かりません(笑)。 「なごやトリエンナーレ」事件を、それを担った者たち自身もおそらくは(肯定的であると否定的であるとにかかわらず)参照していると思われる赤瀬川原平らのかつての一連の「反芸術」運動の文脈において(のみ)捉えることは、赤瀬川らが、例えば「反芸術」としての模型千円札の「芸術」たるゆえんを述べることで無罪を主張し、「反芸術」を従来の「芸術」の文脈に回収してしまう限界を露呈したことに比して、「なごやトリエンナーレ」の担い手たちがあくまで自らの有罪性を引き受けようとしているという決定的な差異から目をそらし、
10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続で落選した古市さんがいろいろ言われている。 候補作は単行本で出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。 参考文献については、前回だったか、候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。 で、選評である。 まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。 そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい” “候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る” 続いて川上弘美。“結論からいいます。わたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのま
こんにちは、磯崎愛です。 突然のお知らせです。 ただいま病気療養中で椅子に座ることができずパソコン操作が難しいため、 長いこと続けてきた小説サイトをいったん休止といたします。 今まで本当にどうもありがとうございます! 唐草銀河 http://karakusaginga.blog76.fc2.com/ 再開の予定とかはそれこそわたしが知りたいよ!てな感じでして、すみません。 あと、どうしてかサイトに入れなくてアレなんですが(ホントにどうして!?)、 まあ最近は月二回更新で前みたいには閲覧がなかったので、トップに告知なくても大丈夫かな、と。 サイト自体は消したりはしないので、ていうか消すこともできない!(笑えない) それから、いつ始めたのか忘れちゃったんですが、 週一更新三年間とかやったので、 自分としてはわりと満足です!!! そして、病気のほうはちゃんとお医者さんに行ってクスリもらってるので
goldhead.hatenablog.com ただし、上位勢の評価については変わらない。ダノンキングリー本命で、サートゥルナーリア、ヴェロックスが上位。 で、 代わりに、二頭入れる。 ロジャーバローズとエメラルファイトである。 ということで、ロジャーバローズ優勝、二着ダノンキングリー、三着ヴェロックスで、馬連、ワイド、三連複的中。 どうだ! と、胸を張って言えるわけではないが、まあ、獲ったで、というところである。ダノンキングリーが頭であれば最高だったのだが、そこまではいかない。そこがおれの奥ゆかしさというところであろう。 日本ダービー(G1) レース結果 | 2019/05/26 東京11R レース情報(JRA) - netkeiba.com それにしても、なんだ、ロジャーバローズを拾えたところは、我ながら大きい。メイショウテンゲン、ランフォザローゼスなどと言っていたところからの転向であ
『君は月夜に光り輝く』『ちょっと今から仕事やめてくる』など映像化も相次ぐ日本最大級の新人賞・電撃小説大賞。本年度、応募総数4843作品の中で頂点に輝いたのは、美味しくて泣ける幽霊ごはん物語だ。ひなびたシェアハウスを舞台に次々と起きる怪異現象、やがてそれらの〈不思議〉は、切なくも温かい感動へと着地する――。 村谷由香里 むらたに・ゆかり●山口県出身、福岡県在住。学生時代より執筆活動を開始して、2018年、『ドミトリーで夕食を』で第25回電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞。受賞作を改題・改稿した本作で小説家デビューを飾る。 書きながら、テーマは〈家族〉なのだと気づいていった 第25回目を迎える日本最大級の新人賞・電撃小説大賞。応募総数4843作品の中から頂点となる〈メディアワークス文庫賞〉を受賞した『ふしぎ荘で夕食を~幽霊、ときどき、カレーライス~』が、現在大好評発売中だ。 家賃4万
「……でっかいまーら、かなまらー!」 少し遠くから祭り囃子が聞こえる。 私は公園のベンチで、一人の老人と話していた。いや、老人というにはまだ若々しい。矍鑠、という言葉がふさわしいのであろうか、白髪をたたえたその男の眼光は鋭い。 「マラは……カネでなくてはならんのだよ」。 男はそう言った。 私は、わいせつ石膏の村の人間だ。わいせつ石膏を代々作り続けていた村の人間である。そのような村は、日本各地の僻地に、そしてときには街のど真ん中に存在している。代々受け継いできたわいせつ石膏……女陰の石膏を作りつづける。そう宿命づけられた村、なのである。 しかし、私は村から出た。祖父の、父の跡を継ぎ、型職人になる道を選びたくはなかった。広い世界に出て、見聞を広めたい、そう思った。だれも引き止めるものはいなかった。去る者は追わず、それがわいせつ石膏の村の、昔からの気風だった。 そして、私はジャーナリストの端くれ
(※この話は史実を参考にしたフィクションです) 戦後七十年以上が過ぎ、従軍経験のあった人々の殆どが鬼籍に入ってしまった。 従軍した当時の大人ではなく、我々が戦争の惨禍の中で、流され、苦しむしか無かった子どもたちにヒアリングの対象者を移したのもそういった理由による。 駅の子、街の子と言われ、都市部を彷徨った戦災孤児たちも現在、多くが八十代を迎えている。 彼らが戦争を知る時代の最後の証言者である。 我々が戦災孤児だった人々から当時のヒアリングをしている、ということを知り、連絡してきた中に以外な人物がいた。 池脇源太郎。かつて、関東一円を拠点とした池脇組の組長だった人物である。暴対法のあおりを受け、十五年ほど前に組は解散しているが、現在において、裏社会との関わりが完全に切れているかは不明である。 池脇組はバブル期には地上げ屋として知られていた。池脇は名言はしなかったが、証言の中で語られるブンちゃ
作家 高橋弘希さんの寄稿 朝日新聞には、A賞受賞時にもエッセイを寄稿した。一般の読者は知らぬと思うが、とゆうか私も知らなかったが、A賞を受賞すると各新聞紙へのエッセイ寄稿が慣例である。 しかし「私がA賞を受賞して」というテーマで、何紙にもエッセイを書くので、すぐにネタが尽きる。結果として本紙に寄稿したエッセイは「私がA賞を受賞して」ではなく「私が竜王を諦めた理由」になってしまい、本紙文化部からは完全にひんしゅくを買ったものと思っていた。 しかしそこは懐の広い本紙である。この度、再びエッセイの依頼がきた。一月初旬の掲載なので、干支(えと)について記せ、あるいは亥(いのしし)年なので猪突(ちょとつ)猛進をテーマにしても可、とのことだ。 亥と言えば、私は過去に秩父で猪鍋(ししなべ)を食べたことがある。豚肉とは違い、脂身に軽さがあり、しかしながら淡泊とも言い難い芳醇(ほうじゅん)な味わいがあり、大
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