聖イグナチオの言う「慰め」とは、神の御臨在を感じているとき、神の愛につながっているときの心の状態、と言えばよいだろうか。神の愛を感じ、満たされ、より愛に引き寄せられていく… 神や隣人への愛が湧き上がる、その方向に引き寄せられる、平安や満足や喜びがある… 神がそこにおられて、善なる働きをなしてくださっていることがわかる… そんな状態。言い換えれば、次の問いを問うとわかりやすいかもしれない。 - 今日、何が私を愛に引き寄せ、また、より愛に満ちた行動や心に導いてくれただろうか。 - 今日、いつ私は最も感謝を感じただろうか。 - 今日、何が私に喜びや希望をもたらしただろうか。 逆に、イグナチオの言う荒み(すさみ)とは、慰めのない状態。神の愛から離れ、神の御臨在や神の御手の働きを感じられず、恐れや不安や苛立ちやざわざわした感じがある状態。自分が神の愛に生かされているという現実を忘れている、切り離され