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2018年9月15日のブックマーク (8件)

  • 1582年創業の老舗和菓子店、115年ぶり新商品発売:朝日新聞デジタル

    伝統菓子「朝鮮飴(ちょうせんあめ)」で知られる熊市中央区の老舗和菓子店「園田屋」が8月、115年ぶりの新商品「れもん飴」を、店とネット通販限定で発売した。 1582年創業。加藤清正が朝鮮出兵で保存にしたとされる朝鮮飴に、レモンの皮を加えた。軟らかいおのような感触に、さわやかな酸味が広がる。 漫画家でもある19代店主・園田健一さん(55)が主導して開発。箱の美少女イラストも自ら描いた。「老舗の新しい挑戦をぜひ見て欲しい」と話す。

    1582年創業の老舗和菓子店、115年ぶり新商品発売:朝日新聞デジタル
    kash06
    kash06 2018/09/15
    おおう、ガンスミ! ガンスミの人なのか!
  • 自由意志、存在するだろ

    ちょっと待ってくれよ。確かに人間は状況に応じてパターンマッチで反応する高機能AIって側面はあるけどさ。 でも、次の瞬間にどうするか、コーヒーを飲むか紅茶を飲むか、は自由に選ぶことができるよな。 それを他人に証明するのは不可能かもしれないけど、自分自身ではそれは解ってるよね。 我思う・ゆえに我あり。疑うことのできない前提のはずだ。

    自由意志、存在するだろ
    kash06
    kash06 2018/09/15
    神は最初から意思のないモノとして人類を創造されず、喜んで選ぶ事の出来る自由意志を持つ存在として人類を創造されたらしい。という話しか私には出来ないので、増田やブクマのような広い知識がないので語れない。
  • 『ワニワニパニック』開発者からグループ会長にまで上り詰めた男が語る、ナムコ激動の40年。創業者・中村雅哉との思い出、バンダイ経営統合の舞台裏【バンダイナムコ前会長・石川祝男インタビュー:ゲームの企画書】

    ──石川さんが統合を推進した最大の理由は何だったのでしょう? 石川氏: それは単純な話で、「バンダイはおもちゃ作りやキャラクター(IP)を活用できるノウハウをたくさん持っているから」ですよ。 「それらをウチ(ナムコ)のゲームと組み合わせれば、面白いものができそうだな」と思ったわけです。「統合すると、どちらかの会社が吸収されてしまう」とか、当時はいろいろなことを言う人がいましたけれど、統合すれば「ウチが『ガンダム』のゲームを作れる!」というような単純な発想からです。 小山氏: 石川さんが推進していた理由が、いまはじめてわかりました。 石川氏: 経営がどうとか、資関係がどうとかということよりも、私が当時のナムコ側の開発担当の役員でしたからね。「統合すれば、いろいろな製品が作れそうで面白そうだな」と思ったと(笑)。最終的には中村もわかってくれました。 ──当時、アーケードゲーム開発部門の相木さ

    『ワニワニパニック』開発者からグループ会長にまで上り詰めた男が語る、ナムコ激動の40年。創業者・中村雅哉との思い出、バンダイ経営統合の舞台裏【バンダイナムコ前会長・石川祝男インタビュー:ゲームの企画書】
    kash06
    kash06 2018/09/15
    “バンダイのいろいろな部署だけでなくサンライズとも交流したのですが、その際「『アイドルマスター』のアニメを作ってあげる」と言われたので「やった!」と思っていたら、ロボットアニメになっていて……(笑)”
  • 『ワニワニパニック』開発者からグループ会長にまで上り詰めた男が語る、ナムコ激動の40年。創業者・中村雅哉との思い出、バンダイ経営統合の舞台裏【バンダイナムコ前会長・石川祝男インタビュー:ゲームの企画書】

    大きな口を開けて迫ってくる、何匹ものワニをハンマーで撃退する──登場以来、プレイ中に味わえるスリルが老若男女問わずに人気を集める『ワニワニパニック』が誕生したのは、1989年のことである。 『ワニワニパニック』 ©BANDAI NAMCO Entertainment Inc. 以来、じつに29年もの長きにわたってロングセラー商品となった国民的エレメカを企画・開発した男は、その後『アイドルマスター』ではエグゼクティブ・プロデューサーとして作品を支え、2006年にはバンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)の代表取締役社長に就任。 2009年にはバンダイナムコホールディングスの代表取締役社長として、激動のエンタメ界を突き進む巨大な船の舵取りを任されていた。 その男の名は、石川祝男。 2015年よりバンダイナムコホールディングス代表取締役会長に就任した石川氏は、バンダイナムコ

    『ワニワニパニック』開発者からグループ会長にまで上り詰めた男が語る、ナムコ激動の40年。創業者・中村雅哉との思い出、バンダイ経営統合の舞台裏【バンダイナムコ前会長・石川祝男インタビュー:ゲームの企画書】
    kash06
    kash06 2018/09/15
    デコトラで冠二郎に演歌を歌ってもらった話から1行後の「でも、そこから」で繰り出されるのが「のちの『アイドルマスター』に繋がるんですよ」の急展開が凄い……それ以外の警察沙汰も面白すぎる。
  • メルカリで「ベルマークの呪い」から解放された主婦が語る、幼稚園に「メルカリ産のベルマーク」を毎月納めてコスパ改善した話|アプリマーケティング研究所

    メルカリで「ベルマークの呪い」から解放された主婦が語る、幼稚園に「メルカリ産のベルマーク」を毎月納めてコスパ改善した話 フリマアプリで色々なものを買っている、2名のユーザーにインタビューしました。 目次: ・メルカリでベルマークを買って「幼稚園に納めている」 ・買い物の手間や家計的に無理するよりはコスパがいい ・メルカリ産のベルマークは「なぜ出品されているのか」 ・小学生の親が持っていた「2冊目の教科書ニーズ」の話 ・メルカリで「壊れたコントローラー」が売れた理由 ※このシリーズは定性調査を通じて、ユーザー行動や隠れたニーズを学ぶことを主目的としています。全体を正確に調査したものではありません。1、メルカリで「ベルマークの呪い」から解放された主婦が語る、幼稚園に「メルカリ産ベルマーク」を納めてる話愛知県のヨネダさん(27歳 主婦) よくつかっているアプリを教えてください。メルカリで「ベルマ

    メルカリで「ベルマークの呪い」から解放された主婦が語る、幼稚園に「メルカリ産のベルマーク」を毎月納めてコスパ改善した話|アプリマーケティング研究所
    kash06
    kash06 2018/09/15
    今回は、奥様が闇から救いに、という素晴らしい構図の例のイラストちゃん。良い。
  • 殿様4代が描いた猫絵、今でも人気 お金に困って量産?:朝日新聞デジタル

    江戸時代に新田郡下田嶋村(現・群馬県太田市下田島町)に屋敷を構えた新田岩松氏の当主が4代にわたり描いた「新田絵」が、市立新田荘歴史資料館で展示されている。120石の殿様の絵は、いわゆる美術品ではないが、当時から人気が高く、静かなブームは今も続いている。24日まで。 資料館によると、展示している20点の絵は、18世紀末の江戸時代後期から明治にかけての温純(あつずみ、義寄)、徳純(よしずみ)、道純(みちずみ)、俊純(としずみ)の当主4代が、養蚕農家の求めに応じ、蚕室に貼るネズミよけとして描いた。 新田岩松氏は、江戸住まいを免れる一方で大名に準じ参勤交代がある「交代寄合(よりあい)」格の旗。「120石と極小の旗にとって参勤交代は大変に金のかかる務め。経済的な困窮もあって絵を量産したのだろう」と市教育委員会の須永光一・歴史施設課長は見る。 「絵の殿様―領主のフォークロア」の著書がある

    殿様4代が描いた猫絵、今でも人気 お金に困って量産?:朝日新聞デジタル
    kash06
    kash06 2018/09/15
    うおお、新田岩松氏こんな絵でやり繰りしてたのか…! 新田氏の家系図を結局徳川家に渡さなかったのよね、確か。
  • インチキ貴族 鳥貴族について大いに語る - タケルンバ卿ブログ

    どうも、インチキ貴族のタケルンバです。 鳥貴族の株価チャート見て決算情報漏れ過ぎてて笑う。貴族繋がりでタケルンバ氏のコメントが待たれる。— まなめ (@maname) September 12, 2018 某王子からインチキ貴族に鳥貴族について書けとな? いいでしょう。ちょっと書いてみますか。 結論:至極まっとうな経営判断 株価を下げてるのはこのニュースの見出しがすべてだとは思うんですよ。 新規出店を止める。そうなると将来的な利益も減るわけで、そういった将来的な利益を織り込む株価は下がると。まあそういう理屈。そういう株主視点。 しかしですね、ひとりの飲関係者として見ると、至極まっとうな経営判断だと思うんですよ。その最大の理由は人手不足。 「鳥貴族」の経営とそのカムレード事業 ◎大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・愛知県・岐阜県・静岡県・東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県に 現在635店

    インチキ貴族 鳥貴族について大いに語る - タケルンバ卿ブログ
    kash06
    kash06 2018/09/15
    卿、久しぶりに見たら、面白いところから話題を振られて、面白い記事を書いていた
  • 定家が宮仕えにため息 碧南の美術館で日記の一部発見:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

    小倉百人一首の撰者(せんじゃ)として知られる歌人藤原定家(一一六二~一二四一年)がつづった日記「明月記」の原の一部が愛知県碧南市で見つかった。これまで確認されていなかった記述があり、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歴史的な歌人の横顔がうかがえる。 明月記は定家が十八歳から七十四歳までの日記で、宮廷の社会や文化、所感を記した。冷泉家時雨亭文庫(京都市)が原の大部分を所蔵し、二〇〇〇年に国宝に指定された。原から離された断簡(断片)が各地に伝わり、山形、島根各県では県指定文化財となっている。 見つかった断簡は、一四年に碧南市藤井達吉現代美術館に寄贈された「石川三碧(さんぺき)コレクション」に含まれていた。同市浜寺町でみりん醸造「九重味淋(みりん)」を営む石川家の二十五代、三碧(一八四四~一九二三年)が収集した掛け軸や屏風(びょうぶ)など約百点の総称で、寄贈前は江戸時代に建てられた蔵で保

    定家が宮仕えにため息 碧南の美術館で日記の一部発見:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)