タグ

2011年4月2日のブックマーク (5件)

  • 高山登「遊殺-2011」:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

    だいたい1月から3月にかけては世間では閑散期と言われているが、じつはいい作品を見るには適している時期である。その理由は、美術館が夏から秋にかけては大量動員を目指した企画を求められがちなのに対して、この時期はそうした期待から自由にそれぞれ独自の企画を立てられるからで、今年も地域の作家を紹介する展覧会や国内作家の個展が集中して見られた。 荻野僚介と町田良夫(「ニュー・ヴィジョン・サイタマ4」埼玉県立近代美術館、2011年1月29日〜3月21日)、プレイと立花文穂(「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」国立国際美術館、2011年3月8日〜6月5日)など眼を惹くものも多かったが、なんと言ってもこの原稿を書いているのはまだ東日大地震の余震が続くなかであり、なにか取り上げるとすると高山登がコンセプトスペース(群馬県渋川市)で行なった「遊殺-2011」の記憶が、どうしても頭の片隅に強く

    kasuho
    kasuho 2011/04/02
  • 「原爆を視る」展の開催中止に伴う、図録用原稿の公開 - 凸と凹の間

    2011年3月11日は務校におり、揺れの強さから東海地震かと思った。間もなく「東日大震災」と呼ばれ始め、津波・余震・原子力発電所の事故に伴う、ライフラインの確保・停電・飲物の摂取制限・風評・買い占め・疎開といった多重的な不安に対して、そんなに高くもない情報リテラシーを駆使した分だけ疲れるようにもなった。 このような疲れの抜き方を身につけ、また生存と復興を引き受け出した頃、いろんなことが「中止」や「延期」になり始めた。大学で言えば、卒業式や入学式であり、新年度の授業開始を一ヶ月遅らせた大学も出てきた。先の見通しが立ちにくい「東日」の事情に配慮してのことである。 こういう状況だったので、ある種の予感はあった。というのも、「ハト=モダンデザインの蒸発:戦後日の平和ポスターにおける形象の系譜」という原稿を、東京都目黒区美術館で開催予定の「原爆を視る1945-1970」展(平成23年4月9

    「原爆を視る」展の開催中止に伴う、図録用原稿の公開 - 凸と凹の間
    kasuho
    kasuho 2011/04/02
    「原爆を視る」展図録掲載予定だった原稿、加島卓「ハト=モダンデザインの蒸発:戦後日本の平和ポスターにおける形象の系譜」のPDFが公開されています。
  • 東日本大震災:宇都宮美術館、3週間ぶり開館 彫刻数点、倒れ損傷 /栃木 - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災の影響で休館していた宇都宮美術館(宇都宮市長岡町)が1日、約3週間ぶりに開館した。当初は3日までの会期だった企画展「荒井孝展」を5月15日まで延長。同美術館が所有するシャガールの作品などコレクション展は同29日まで、それぞれ無料で公開される。 足利市出身の日画家、荒井孝は繊細な色彩感覚が特色。企画展では代表作「祈り」のほか、約100点を展示する。 同美術館は地震の影響で、彫刻数点が倒れ、損傷。停電もあり、3月いっぱい、休館していた。館内に義援金箱を設置し、被災地や被災者への義援金を募る。問い合わせは同美術館(電話028・643・0100)。【中村藍】

    kasuho
    kasuho 2011/04/02
    「約3週間ぶりに開館」復旧ほんとにお疲れさまでした。
  • 沖縄タイムス | [館長人事]えっ どうして?なんで?

    [館長人事]えっ どうして?なんで? 政治 2011年4月2日 09時30分(4時間41分前に更新) 県立博物館・美術館の2代目館長に、元衆院議員で公明党県部顧問の白保台一氏が1日付で就任した。仲井真弘多知事の独断らしいが、どうにもしっくりこない人事だ。 とにかく意表を突くような登用である。 就任直前まで公党の幹部で、文化活動、実績について知られていない人物だからだ。文化行政の経験がない人がなぜ? というのが関係者を含めた多くの印象だろう。 日では公設の博物館、美術館の館長は、官僚の天下りだったり、経済界重鎮の名誉職だったりする。公的支援を受けやすいとか、寄付を集めやすいといったことなど、運営面で都合がいいからだ。 白保氏は天下りでも経済界の重鎮でもない。外部起用とはいえ、畑が違いすぎて違和感がある。 仲井真知事は白保氏の起用について、「専門的な仕事は他の職員がやる。(白保氏は)中国

    kasuho
    kasuho 2011/04/02
    「天下りでも経済界の重鎮でもない。外部起用とはいえ、畑が違いすぎて違和感がある」
  • asahi.com(朝日新聞社):会津若松へ長州・萩から義援金 旧敵でも「ありがたい」 - 社会

    福島県会津若松市は2日、山口県萩市から震災の義援金2200万円の目録と、保存や下着類、ランドセルなどの支援物資を受け取った。幕末の戊辰戦争で両市にそれぞれ拠点を置いた会津藩と長州藩は激しく対立。今もわだかまりを抱える関係にあるが、震災を受けて萩市が支援を申し入れた。  萩市の槌田郁利・総合政策部長らが会津若松市役所を訪れた。同市の菅家一郎市長は「歴史的な課題もあるなか、萩の皆さまの温かい支援はありがたい」と応じた。物資は会津若松市内にいる避難者や、同市に集団移転する福島県大熊町の住民への支援に役立てられる。  萩市は福島県の富岡町や大熊町、須賀川市から被災者計10人を受け入れており、市民や企業が「東日地震災害を救援する萩市の会」を結成して募金活動などに取り組んでいる。萩市の地元JAは会津若松市の避難所での炊き出しや、萩市内での会津産野菜の販売を計画しており、過去の対立を乗り越えて福島県

    kasuho
    kasuho 2011/04/02
    これはすごい。