神聖ローマ帝国の初代皇帝について、世界史の授業などで耳にしたことがあるのではないか。そう、オットー1世である。 11月新刊『ドイツ誕生』では、ドイツをつくった男として知られるオットーの激動の人生から、ドイツ国家の成立までを紹介している。 今回は、オットーが行った第3次イタリア遠征について、本書の第10章を一部抜粋してお届けしよう。 ポー平原の野戦 九六五年一月、オットーがイタリアを引き上げてからたったの数週間足らずでイタリアはまたもや不穏な情勢になってきた。 まず、三月一日、教皇レオ八世が亡くなった。ローマ市民は次の教皇にハンブルクに流されているベネディクト五世の復位を願った。もちろんオットーはこれを拒否する。教皇選出が遅れる。 この混乱を利してパヴィア伯ベルンハルトらの貴族が蜂起した。彼らはコルシカにいるアーダルベルトをイタリア王に担ぎ出した。アーダルベルトの弟グィードもこれに呼応して
文学通信|多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出す出版社 日本語・日本文学の研究書を中心に、人文学書全般を刊行する出版社、文学通信のブログ。 文学だけにこだわらず周辺領域も含め、意欲的に刊行していきます。 出版活動と同様に、webでも積極的に活動することで、多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出していきたいと思います。 〒113-0022 東京都文京区千駄木2-31-3 サンウッド文京千駄木フラッツ1階101 電話03-5939-9027 FAX03-5939-9094 info@bungaku-report.com インボイス登録番号:T4011501023591 Tweet Share on Tumblr 2022年3月1日公開 地域の歴史や文化の、何をどう守り伝えていけばいいのか。 最新の研究と実践からその方法を紹介する入門書。 自治体、博物館、文書館、図書館、また地
終戦から75年以上を経て、いまも国内には戦時に使用された施設の跡が残っている。その中には空襲跡のような被害の歴史だけでなく、日本が積極的に戦争を推し進めていた加害の記憶もある。本土決戦に備えて「大本営」司令部や仮の「皇居」の移設まで予定していた長野県松代市の地下壕群など、3か所の「戦争遺跡」を訪ねた。(取材・文:神田憲行/撮影:小禄慎一郎/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 《「外相、もうあと2千万、2千万の特攻を出せば、日本は、かならず、かならず勝てます!」》 《「いや、もうあと2千万、日本の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば――」》 これは「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、1967年)という映画に出てくる大西瀧治郎海軍中将が、日本の降伏を止めようとして外務大臣に迫るせりふだ。SNSでは映像の一部とともに紹介されることも多いので、見たことがある読者もいるだろう。末期にあ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く