読み方に関するkawaikyoのブックマーク (14)

  • それを個性とはよばない - 北烏山だより

    中学で国語を教えていたころ、時折、保護者から言われた。 「うちの子は個性的なので、先生の読みとはちがっていて、テストで○がもらえなくて」 そのたびに、それは個性とはよばないのです、誤読しているのです、と思った。 いうまでもなく、ここで言っている「先生の読み」とは、 この作品はここで感動しなくちゃいけない、とか、 ここからこういう道徳的な価値を見出さなくちゃいけない、という話では断じてない。 この作品は、当然、こう読めなくてはいけない、ということは、 たとえ文にハッキリ書いていなくても、厳然としてある、とわたしは思っている。 そこのところが読み取れていない、ということは、 国語力、読解力が不足している、ということなので、 そこでとんちんかんなことを言うのは、「個性」でもなんでもない。 そういう部分に対して、 「なるほど、おもしろい見方だね」と言って肯定していくことは、教育ではない。 それが

    それを個性とはよばない - 北烏山だより
  • Liber Studiorum: オマエは語るな!

    dankogai くだらねー。 心底くだらねーと思うわ。じゃあオレが語るか - 書評 - おまえが若者を語るな!書「おまえが若者を語るな!」は、タイトルどおり「おまえ」、すなわち「中高年」に「若者を語るな!」と言ったところで紙幅が尽きてしまった。 確かに、著者による各者の各論に対する批判は間違っちゃいない。ジジババどもの若者論ときたら虚言・妄言だらけだ。それらに「間違っている」と言い返すのも、また間違っちゃいない。 しかし、読者が金を払ってまで読みたいのは、そんなことじゃない。 著者の、論なんだよ。「読者が何に金を払いたいと思うか」が、なんでアンタに分かるのかね? 私は、このを買って満足してますけど? 単にアンタが期待してたようなじゃなかったっていうだけの話でしょ。 自分の判断を勝手に一般化するなって。 「著者の論」って言うけど、「おまえが若者を語るな!」っていうのだって立派な「著

  • 読者は解説に何を望むのか? - 三軒茶屋 別館

    ひとめあなたに… (創元SF文庫) 作者: 新井素子出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 2008/05/29メディア: 文庫購入: 6人 クリック: 35回この商品を含むブログ (54件) を見る 創元SF文庫から刊行された新井素子『ひとめあなたに…』の巻末には東浩紀の解説が付いてるのですが、これがあまりにどうしようもなくて笑ってしまいました。何が書いてあるのかといえば、まずは解説者の自己紹介です。そして、新井素子の作品がどれだけ好きでどれだけ特別な存在なのかといったことにかなりの紙数が費やされます。で、そこからようやく現代思想とか情報社会論、さらには解説者お得意のセカイ系といった単語が出だして、さて何を論じるのかと思ったら、 ぼくはまさにいま、この文庫と同じ東京創元社から刊行されている小説誌『ミステリーズ!』で、その新しい新井さん理解を主題にして原稿を書いている。 (中略) というわ

    読者は解説に何を望むのか? - 三軒茶屋 別館
  • #42. NATROM - 「信じぬ者」と瀬名さんとパライブの頃

    kikulog 記事一覧 カテゴリー別記事一覧201410 2014/10/22 江勝氏の死去 201409 2014/09/12 生協の「書評対決」の書評 201407 2014/07/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」サポートページ 201406 2014/06/04 「いちから聞きたい放射線のほんとう」訂正箇所 201404 2014/04/23 朝日新聞に書評が出るようです [kikulog 647] 2014/04/09 理研CDBの騒動について [kikulog 646] 2014/04/07 博士論文中での剽窃について [kikulog 645] 201403 2014/03/17 「いちから聞きたい・・」のあとがき [kikulog 644] 2014/03/03 論文: Structural flexibility of intrinsically disord

  • フィクションの読み方? | 族長の初夏

    「わらしべ長者」の面白さ (NaokiTakahashiの日記)物々交換経済における財テク成功物語として射幸心を煽るところが面白いのか(現実からの/現実への影響を重視する読み方)、あるいは、反復拡大のストーリー構造がレトリック的に面白いのか(物語の技術に注目した読み方)。これを「フィクションの読み方」として一般化すると、 A: 登場人物になりきって(自分の立場に置き換えて)読む B: メタ的に(構造分析的に)読む っていうふうになるのかなあ。僕自身はたぶんBに傾いた読み手なんだと思います。構造いじりとかメタっぽいのとか大好き。でも普通に「物語体験」をしたいだけならAに特化したほうがいいんだろうな。 (追記)上と関連して 物語と現実 (NaokiTakahashiの日記) おおむね理解。ただ、 > 物語が物語として機能するのに、現実というバックボーンは必要とされない ここだけよくわからないか

    フィクションの読み方? | 族長の初夏
  • おいおい - 一本足の蛸

    ラテンアメリカ文学から影響を受けたという奔放な文体と衝撃的な展開を併せ持つこの傑作こそ、桜庭にとってのメルクマールといっていい。 これを読んだとき、おやっと思ったのだが、ラテンアメリカ文学といえば、『伝奇集』と『エレンディア』しか読んだことがないので、その場では『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のタイトルの誤記だけ指摘しておいたのだが……。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080119-00000009-maiall-ent 『砂糖菓子〜』ではなく『少女七竈と七人の可愛そうな大人』ですね、ラテンアメリカ文学の影響を受けたというのは。とはいえ「奔放な文体」と「ちょっと違和感のある文体」では意味が逆のような気がします。 フォローありがとうございます。ここら辺は一々確認しながら書いているわけではないのでいいかげんな部分もありますが、じっさい桜庭一樹の小説を読

    おいおい - 一本足の蛸
  • 2007.12.23 - 日記

    書評を請け負ったマキューアンの「土曜日」が届いたので、朝の後で冒頭を読む。格別好きな作家とは言えないが、日常生活とその背景となる社会を語る、ごりごりした感触とそれが齎す緊張に溜息を吐く。そうそうそう、これなんですよ、全部そうとは言わないけど日の現代を扱った小説を読む時、私がしばしば不満に感じるのは。読み手に緊張を与えない弛緩した文章で、読み手に緊張を与えない弛緩した日常が語られる。どんな日常生活も読み手にとっては他人の生活であり、知らない世界なのだという意識の欠落と言おうか、しだらなさと言おうか、「まっそんなかんじー、わかるよねー」と言おうか、だらっとジャージ着て近所のコンビニに買い物に行くような書き方と言おうか。ジャージ着て出るのはいいけど、ジャージ着て出たという意識くらい持ってくれないと、芸能人が内輪なトークを繰り広げる怠い番組を延々見ているようでつらい。もう少し緊張感のある書き方

    2007.12.23 - 日記
  • taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 本格ミステリ・クロニクル300 / 探偵小説研究会

  • 今さらながらの、「新本格ミステリ」について - 押入れで独り言

    ミステリの歴史を見ると、多くの「バッシング」が見られる。とくに昭和30年代にはハードボイルドに対する風当たりが強かったようで、(正確にはハードボイルドではないものの)大藪春彦へのバッシングには手厳しいものが多かった。九鬼紫郎の著した『探偵小説百科』には、事典でありながらスピレーンや河野典生の項には、罵倒に近い説明が書かれている。こうしたものが、商業誌を含めて広く流布していた。だから、「新格」だけが、歴史上とくに激しいバッシングを受けたわけではない。新しいジャンルが登場するときは、多かれ少なかれ、まずたたかれる。しかし、一見マニア受けするような作風に見える「新格」ミステリに、わたしを含めた昔からのミステリマニアが「バッシング」をしたのは、そういった「新しいもの」への拒否反応だけだったとは思えない。 「新格」と呼ばれた作品を、当時のミステリマニアはどう評価したのだろう。もちろん「当時のミ

    今さらながらの、「新本格ミステリ」について - 押入れで独り言
  • 風の証言 - 押入れで独り言

    『十角館の殺人』の新装改訂版文庫に、綾辻行人が「新格バッシング」について書いているらしいことを、Webサイト「ミステリっぽいとプログレっぽい音樂」 http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=1403 で知った。で、確認したら、たしかに当時のことを書いている。 それによると、「すでに活動を休止した某探偵小説愛好会の一部メンバー」がバッシングの急先鋒であり、彼らはその年の新人たちを会報の「斬る!」と称した座談会報告で、片っ端からこき下ろしていたという。 なるほど。 もちろん、この「すでに活動を休止した某探偵小説愛好会」とは、わたしも所属していた「怪の会」であり、会報とは「地下室」のことである。その年の新人の作品を評する「五賞を斬る!」は毎年の恒例行事であり、いまも形を変えて継続している。ここ数年の内容はここで読める。

    風の証言 - 押入れで独り言
  • taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 十角館の殺人 新装改訂版 / 綾辻 行人

  • 千鳥かなめなどレイプしてくれるわ~~ - Je n’avais pas l’intention d’aller � la mer.-HINAGIKU SAID ”LIVE OR DIE”

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

    千鳥かなめなどレイプしてくれるわ~~ - Je n’avais pas l’intention d’aller � la mer.-HINAGIKU SAID ”LIVE OR DIE”
  • 小説は小説家にしかわからない - 萩の塵拾い

    日の東京新聞の大波小波にめちゃおもしろいことが書かれていた。 まとめ引用すると、保坂和志と高橋源一郎が去年の「文藝」冬号(古っ!)で、「小説小説家にしかわからない、評論家はもういらない」と発言したのに対し、笙野頼子が「評論家でもちゃんと西洋哲学を理解している評論家ならいい読みはいくらもできる」(爆笑!)と反論し、さらに文藝評論家の田中和生が「そもそもポストモダンの教訓とは、読むことが書くことと同義であることにあったのではないか」と疑義を呈しているという。で、大波小波の書き手は、保坂や高橋は、評論家から長篇が評論の対象にされない憤だろう、と言い、評論家が書き下ろし評論の一冊も上梓すれば、前言撤回間違いなし、と皮肉を言う。さらに、書き手は、「三島由紀夫や中上健次がかかる傲慢な言辞を吐かなかったのは、評論家に相手にされているという確信を抱いていたから」と言い、続けて、高橋や保坂の作品が評論

    小説は小説家にしかわからない - 萩の塵拾い
  • 貧しい「誤読」 - Close To The Wall

    仲俣暁生ブログで、どうも先日の私の批判記事に対する応答らしき部分を含んだ記事がアップされていた。 【海難記】 Wrecked on the Sea - 読書の自由について 一読、これには頭を抱えてしまう。どうにも批評家としての自殺行為にしか見えない。こんな人を批判して良いのだろうかという迷いもあるのだけれど、一応、言うべきことは言っておく。 まずこの文章において、高橋と保坂の読み方に勝手に小説家の読み方を代表させて「分析的に読む読者(小説家)」などとしている時点でおかしい。保坂の読みは分析的といえば分析的だが、だからといって他の小説家はそうではないし、保坂のように小説を読む小説家が多数かと言えばそうではないと思う。どちらかといえば、小説から何を受け取り、何を考えたか、というような読み方を披露する人が多い気がする(なんとなくね)。 そして、この高橋保坂コンビの読み方を勝手に敷衍することで、「

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