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  • 毎日新聞のインタビュー - 内田樹の研究室

    3月5日の毎日新聞朝刊にインタビューが載りました。 お読みでないかたのためにオリジナル原稿をアップしておきます。ちょっと紙面とは文言が変わっているかも知れませんが大意はそのままです。 ー中国韓国との関係改善が進まず、米国も懸念しています。 内田 長い歴史がある隣国であり、これからも100年、200年にわたってつきあっていかなければならないという発想が欠けている。安倍政権は外交を市場における競合他社とのシェア争いと同じように考えているのではないか。韓国中国との「領土の取り合い」と経済競争における「シェアの取り合い」は次元の違う話だということを理解できていないように見える。 昨年12月の靖国神社の参拝も、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移転先の名護市辺野古への埋め立てについて沖縄県知事との話し合いがついた直後に行われた。米国に「貸し」を作ったので、今度は米国が厭がることをする「権利」が発

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    kazu64 2014/03/05
    内田先生、久し振りによいことを言った。
  • 言語を学ぶことについて - 内田樹の研究室

    2002年に文科省はグローバル化する世界を生き抜くためには英語運用能力が必須であるとして、「英語が使える日人」の育成のための戦略構想を発表した。それから10年経った。日の子どもたちの英語運用能力が上がったという話は誰からも聞いたことがない。 大学サイドから見ると、新入生の英語力は年々劣化を続けていることは手に取るようにわかる。進学にも、就職にも、英語力は絶対に必要であると官民あげてうるさくアナウンスされているにもかかわらずその教育成果は上がらない。なぜか。 英語力の必要が喧しく言われるようになってからむしろ英語学力が低下したという事実は一見背理的であるが、考えれば説明がつく。 教科を習得したときの「報償」が学習開始時点であらかじめ開示されているからである。 報償があらかじめ示されると、学習意欲は損なわれる。考えれば当たり前のことである。 「ここまで到達すれば、こんないいことがある」とい

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    kazu64 2013/03/19
    内田さんらしい鋭い論考だ。
  • 田中大臣の不認可問題の影にあるもの - 内田樹の研究室

    田中真紀子文科相は秋田公立美術大など3大学の2013年度開校を不認可とした問題について6日に大学設置認可に関するあらたな検討委員会を発足させる意向を表明した。 文科相の諮問機関である大学設置・学校法人審議会の見直しをこの委員会で行い、改めて3大学の設置認可を判断することとして、来春の開学への可能性を残す考えである。 大臣は設置審議が「許可されてから工事をするならわかるが、ビルが建って、教員も確保してから、認可申請をするというのは筋違いだ」と批判した他、設置審議会の構成が委員29名中22名が大学関係者であることを咎めて、「多くのジャンルの方の意見を聞きたい」とした。 不認可という爆弾を放り投げてみたものの、世論の袋叩きに遭って、あわてて引っ込めたということである。 政治的にはそれだけの単なる失策に過ぎないが、この失策の背後には大学教育をめぐる質的な問題点がいくつも透けて見える。 ひとつは文

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    kazu64 2012/11/09
    「四年長く学校に通っているうちに、思いがけないきっかけで爆発的に知性的活動が活発化するということは少なくない。それは大学教員として確言することができる。」全体の主旨には賛同できなけれども、この一文だけ
  • 日本維新の会のこれから - 内田樹の研究室

    維新の会が28日に発足した。 同日制定された党規約では、党の意思決定や代表選出について、国会議員と地方議員に同じ力を与えた。 党の重要事項は「執行委員会」で決定するが、代表、副代表、幹事長、副幹事長、政調会長、総務会長で構成される委員会のメンバーの大半は代表が選任する。 国会議員は副代表・副幹事長として執行委員会には加わるが、議決には代表を含む過半数の賛成が必要。 このほか、国政・地方選挙の候補者選定、公認、推薦、比例代表名簿順位の最終決定権は代表に帰属する。 ほとんど橋下徹大阪市長の「個人商店」のような政党である。 この記事を読んで、維新の会のこれからの様子がなんとなく見えてきた。 維新の会の「おとしどころ」がわかったような気がする。 いったいどのへんに「おとしどころ」があるのか、こういうことは事後的に「あのときに私はそう予見していたのだ」と言っても所詮「後知恵」である。 あとで賢し

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    kazu64 2012/10/04
    内田先生、ひさかた振りに鋭い予言。
  • 教育の奇跡 - 内田樹の研究室

    『みんなのねがい』(全障研出版部)という媒体に教育について寄稿した。 「いつもの話」ではあるが、教育についてビジネスマンのような言葉づかいがあまりにメディアに瀰漫してるので、「教育はビジネスの言葉づかいでは語れない」という原理的なことを確認するために書いた。 「教える」という営みの質についてもっとも洞察に富んだ言葉を残したのは、フランスの精神分析家ジャック・ラカンである。ラカンは(やがてフランス中の知識人がエコール・ノルマルの講堂を埋め尽くすことになる)その伝説的なセミナールの最初の時間にこう述べた。 「教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所に連れてこられると、すくなくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(・・・) 無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知

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    kazu64 2012/03/19
    言わんとすることはわかるが、パンドラの箱はいつかは開くのではないか。
  • 劇化する政治過程・カオス化する社会 - 内田樹の研究室

    今朝の日経発表の世論調査によると、野田佳彦内閣の支持率は36%で、11月末から15ポイント急落した。 不支持は14ポイント上昇の56%で、9月の内閣発足以来はじめて支持率を上回った。 内閣発足から3ヶ月で支持率が30ポイント以上下がったのは2008年の麻生内閣以来。 とくに福島第一原発の事故について首相が16日に原子炉の低温停止状態を受けて「事故収束」を宣言したことについての不満が高く、「納得できない」が78%で、「納得できる」の12%を大きく上回った。 争点の消費増税については、15年頃までに段階的に10%まで引き上げる政府案に賛成が38%、反対が53%。前回調査より賛成が7ポイント下落、反対が6ポイント上昇。 興味深い数字である。 なぜ、これほど急落するのか、私には理由がよくわからないからである。 たぶん政権発足3ヶ月でできることは「せいぜいこの程度」だろうと私は思っていた。 日米関係

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    kazu64 2011/12/27
    久しぶりの更新は暗い予感。階層化する日本。
  • 『百年目』のトリクルダウン - 内田樹の研究室

    子守康範さんのMBSラジオ『朝からてんこもり』に三ヶ月に一度出演している。今回は「冬の出番」。 日曜に迫った大阪ダブル選挙の話は放送の中立性に抵触するデリケートな話題なので、微妙に回避。 子守さんが今朝の新聞記事から、ユニクロの柳井会長兼社長の「グローバル人材論」を選んだので、それについてコメントする。 柳井のグローバル人材定義はこうだ。 「私の定義は簡単です。日でやっている仕事が、世界中どこでもできる人。少子化で日は市場としての魅力が薄れ、企業は世界で競争しないと成長できなくなった。必要なのは、その国の文化や思考を理解して、相手と音で話せる力です。」 ビジネス言語は世界中どこでも英語である。「これからのビジネスで英語が話せないのは、車を運転するのに免許がないのと一緒」。 だから、優秀だが英語だけは苦手という学生は「いらない」と断言する。 「そんなに甘くないよ。10年後の日の立場を

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    kazu64 2011/11/25
    誰だって、その「百年目の時代」に生きていたいのですが...。「国民経済」の思想がどこまで普遍性のあるものなのかを早く見極めたい
  • 教育基本条例再論(しつこいけど) - 内田樹の研究室

    『赤旗』の取材。大阪のダブル選挙と教育条例について。 教育条例に反対する「100人委員会」の呼びかけ人に私が入っているので、意見を徴しに来られたのである。 教育条例に反対する人たちにはいろいろな立場があり、私のような「教育への市場の介入と、グローバリスト的再編そのものに反対」という原理主義的な反対者はおそらく少数(というかほとんどいない)のではないかと思う。 マスメディアと保護者のほぼ全部と、教員の相当部分は「学校教育の目的は、子供たちの労働主体としての付加価値を高め、労働市場で『高値』がつくように支援すること」だと思っている。 私はそのような教育観「そのもの」に反対している。 この100人委員会にも、私に原則同意してくれる方はほとんどいないだろうと思う。 メディアでも、教育条例の区々たる条文についての反論は詳しく紹介されるが、私のようにこの条例を起草した人間の教育観(「学

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    kazu64 2011/11/02
    内田さん、最近どうしたのかなあ。極論に振れすぎるように思う。これが素なんだろうけど、素をそのまま表に出すなら言論人ではなく、政治家になった方がいい。
  • グローバリストを信じるな - 内田樹の研究室

    Againの定例経営会議で箱根湯に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日の行く末について話し合った。 EUの先行き、日のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。 いったいアメリカは自由貿易によって日に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか? この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。 「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、「なぜアメリカがこれほど強硬に日のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。 まさか、アメリカが自国の国益はさておき日の国益を守るために完全な市場開放を日に求めているのだ

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    kazu64 2011/10/26
    共感できる部分もあるけれど、これじゃあ、氏がいつも批判する「陰謀史観」にみえるよね。
  • 雇用と競争について - 内田樹の研究室

    フェリスへの行き帰りの新幹線車中で、下村治『日は悪くない、悪いのはアメリカだ』(文春文庫)を読む。 先日、平川克美君に勧められて、これと『日経済成長論』を買った。 下村治は明治生まれの大蔵官僚で、池田勇人のブレーンとして、所得倍増計画と高度成長の政策的基礎づけをした人である。 1987年のだから、24年前、バブル経済の初期、アメリカがレーガノミックスで「双子の赤字」が膨れあがり、日では中曾根首相が「国民一人100ドル外貨を消費しよう」と輸出過剰を抑制しようとしていた時代のである。 24年前に書かれた経済分析のが、四半世紀を経てなおリーダブルであるということにまず驚かされる。 リーダブルであるのは、(リーマンショックによるアメリカ経済の崩壊を含めて)下村が指摘したとおりに国際経済が推移したからである。 これだけ長い射程で日米経済のありようを見通せたのは、下村のものを見る眼がきちん

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    kazu64 2011/10/21
    下村治の本、アマゾンで注文しよう。
  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

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    kazu64 2011/10/19
    8割は共感、共鳴。残りの2割は、自分にも動物の血が流れているということか。60歳位なんたら10割共感になれかな?
  • 秀才について(再録シリーズその2) - 内田樹の研究室

    東北関東大震災から二週間が経った段階でこの原稿を書いている。被害の規模はまだ確定していない。原発事故の先行きも不透明である。それでも、東電と政府の初動に問題があったことはほぼ確かとなった。「海水投入による廃炉」を初期段階から検討していたら、被害はここまで拡大しなかっただろう。国民の多くはそう思っている。なぜ、その決断ができなかったのか。私はこの「遅れ」のうちに日型秀才の陥るピットフォールを見る。 秀才は判断が遅い。ことの帰趨が定まったあとに「勝ち馬に乗る」ことで彼らは成功してきた。その成功体験が骨身にしみついているので、彼らは上位者の裁定が下る前にフライングすることを病的に恐れる。ひとたび「正解」や「勝者」が示されると、素晴らしいスピードでその責務を果たすけれども、「どうふるまっていいかわからないとき」にどうふるまうべきかは知らない。つねに正解してきたせいで、危機的局面においてさえ、秀才

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    kazu64 2011/08/27
    秀才は「正解」がないと動けない。それは「知的体力」=ようわからんけども、「これが大事」という勘が働く、がないからであろう。
  • 原発供養 - 内田樹の研究室

    昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「

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    kazu64 2011/04/08
    福島原発の処理に取り組む際に精神的ルールは「荒ぶる神の鎮魂を願う祈り」だという。処理の現場に人が、祈りの儀式の式守になるのか、汚物処理の押しつけられ役になるのかで、モチベーションと仕事の精度は変わるは
  • ル・モンドの記事を訳してみました - 内田樹の研究室

    ル・モンドの4月1日の記事を訳出してみました。 サルコジ来日についての解説です。 クールですね。 「在日フランス人たちの反応のあまりの迅速さに対して、多少の留保があったことを私は理解している。」と共和国大統領は述べた。 「だが、これははっきり申し上げねばならない。『予防の原則』を適用することはフランス政府の義務であったということである。東京にぜひともとどまらなければならないもの以外のフランス人たちに対して出国を勧奨した決定の責任を私は引き受ける。」 ここでいう『多少の留保』とはどういうことであろう。 大使館はよれば、それは在日フランス人たちの中には、フランス外交官たちの反応が迅速すぎるというものがあり、一方には緊張感が足りないというものがあったということを意味しているそうである。 だが、フランス外務省にとって、それは日のメディアのことである。日のメディアは外国人たちのあまりにすばやい離

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    kazu64 2011/04/05
    私はフランスをことさらに非難しようとは思わない。ただフランスと戦友的関係(ともに死線を越える)には、けっしてなれないだろうなと確信する。
  • 読者からのメール - 内田樹の研究室

    内田樹先生 お忙しい中、お返事当にありがとうございます。 一主婦として、この状況に立ち向かう術がなく、無力感に襲われていました。 夫は現在、避難を希望しているのにも関わらず、勤務先が営業している為に避難出来ない状況です。 上司・並びに会社側は、行政判断の30キロ圏外であるため、避難の必要がないとの判断を下しています。 自主的に避難すれば解雇となるでしょう。 こうしている間に最悪の事態になったらと思うと、当に怖い。 夫同様に、人と家族が避難を希望しているのに、勤務先の判断で留まっている方が沢山おられるのではないでしょうか。 行政判断の区域になるまでは、人の意思に関わらず避難出来ない異常な状況なのです。 30キロ圏外の方が県外へ避難されたニュースを見る度に、この僅か20キロが恨めしくさえ思えます。 原発・放射能に関して、個人で感じ方が違うのは無理のない事です。 問題は、今回の様な異常事

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    kazu64 2011/03/22
    人間は厳しい局面に直面すると、こういう二元論に自ら陥ってしまう。自分で作りだしたダブルバインドである。ただ本人は責められないだろう。
  • 賛美歌と国歌について - 内田樹の研究室

    高橋源一郎さんが賛美歌と国旗と国歌についてツイッターで書いている。 私はほとんどの政治的論件について高橋さんと意見を同じくするけれど、この問題については、ちょっとだけ「う~ん」と唸ってしまったところがある。 もちろん、どのような政治的イシューについても「私は正しい、お前は間違っている」という語法では語らない、というのは高橋さんと私が共有する原則なので、以下に書くのは高橋さんの考え方への異議ではなく、同一の問題についての「別の見方もあるよ」というふうに読んで貰いたいと思う。 私は賛美歌と国旗国歌は同一の水準では論じられないと思う。 もちろん、高橋さんも同一の水準では論じていない。 賛美歌や校歌を歌うことについて違和感を覚えるというひとりの同僚の所論を紹介し、そこから高橋さん自身の国旗国歌論へ転じているのであって、その先生の所論に同意しているわけではない。 でも、私はこの先生の意見には簡単には

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    kazu64 2011/03/05
    自由を希求する市民の「権利」を大事にする思いと思想・信条を異にする人々で構成する社会に参画するために求められる「契約」を尊重する思いは、けっして矛盾しない。
  • 方便について - 内田樹の研究室

    鳩山前総理の「方便」発言へのメディアのバッシングが続いている。 普天間基地の県外移転構想が破綻したときに、前総理が口にした「海兵隊の抑止力」という言葉がその場しのぎの方便だったと、琉球新報へのロングインタビューで答えたことへの批判である。 海兵隊の沖縄駐留には抑止力などという軍事的な理由付けはなかった、ということを外交交渉の当事者がカミングアウトしたのである。 このことがどうして批判の対象になるのか、私にはその理由がよくわからない。 現に、琉球新報の解説記事は、この発言が基地問題の質を露呈させたとして、一定の評価を与え、単なる失言問題に矮小化しようとしている中央のメディアに対してあらわな不信感を示している。 鳩山前総理がインタビューで暴露したのは (1)海兵隊の沖縄駐留には軍略上の必要性はない (2)前総理の県外(できれば国外)移転構想に複数の閣僚と官僚たちが激しく反対した という二点で

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    kazu64 2011/02/25
    日米がイーブンパートナーではないということを受け容れない限り、沖縄で起きていることは説明できない。
  • PISAのスコアについて - 内田樹の研究室

    AFPによると、OECDが12月7日に公表した国際学習到達度調査(PISA=Program for International Student Assessment)結果で上海が世界のトップに立った。 国別のトップは韓国とフィンランドだが、初参加の上海が全科目で首位を独占した。 アジアのほかの国・地域も極めて良い成績を収めた。韓国は読解力部門で2位、数学で4位、科学で6位にランクイン。香港、シンガポール、台湾、日も好成績だった。 OECDの教育専門家は「質だけでなく機会の平等も重視する教育思想がアジア大陸の成功をもたらした」と分析している。 西洋諸国の専門家が高く評価する教育システムを持つフィンランドは、欧州勢でトップの成績で、読解力部門で3位、科学で2位、数学で3位につけた。 また、報告書によると、すべての国で、女性の方が男性よりも読解力の成績が良く、その差は学校教育1年分だった。この

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    kazu64 2010/12/09
    結論はぼやけているが、西欧知識エリートの教育観がよくわかる。「文芸の共和国」(République des lettres)=「文化資本を潤沢に享受している人々」の国境を越えた集団
  • 『七人の侍』の組織論 - 内田樹の研究室

    どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。 これはなかなか興味深い問いである。 前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。 その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。 どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。 あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。 必ずいる。 全員が標準的なアチーブメントをする集団など

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    kazu64 2010/11/24
    そういう共同体がいちばんタフで、いちばんパフォーマンスが高い。
  • エクリチュールについて(承前) - 内田樹の研究室

    エクリチュールについて(承前) ロラン・バルトのエクリチュール論そのものが、そのあまりに学術的なエクリチュールゆえに、エクリチュール論を理解することを通じてはじめて社会的階層化圧から離脱することのできる社会集団には届かないように構造化されていた・・・というメタ・エクリチュールのありようについて話していたところであった。 同じことはピエール・ブルデューの文化論についても言える。 『ディスタンクシオン』もまた、(読んだ方、あるいは読もうとして挫折した方は喜んで同意してくださると思うが)高いリテラシーを要求するテクストである。 おそらく、ブルデュー自身、フランス国内のせいぜい数万人程度の読者しか想定していない。 自説が理解される範囲はその程度を超えないだろうと思って書いている(そうでなければ、違う書き方をしたはずである)。 だが、「階層下位に位置づけられ、文化を持たない人には社会的上昇の

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    kazu64 2010/11/06
    この文章も同じです。