マンツーマンのマークに対応できない 守田が問題視したのは、最終ラインからのビルドアップだった。相手にマンツーマンではめられ、3バックがプレッシャーにさらされたときのために、予めボランチの守田や遠藤航が下りて4対3の数的優位を作り出すシミュレーションをしていたが、実際のピッチではうまくいかないケースが目立った。 守田が下がった際に遠藤が本来いるべきポジションにおらず、遠藤が下がった際に守田がいないシーンもあった。結果、最終ラインから効果的な配球ができなかった。 「サリー(サリーダ・ラボルピアーナ)して、4枚で構えて、ビルドアップして、2次配置も用意しておかないと、マンツーマンで当てられた時に深さを出せなくて、全部(人を)当てられてしまう。それで実際、呼吸できなかったですし、サウジ戦で、日本の課題がバレたと思う。4バックとか、2次配置、ローテーションでもいいですし、そういうことをやっていかない
最初は1〜2記事のつもりで書き始めたのに、書き始めたら合計1万字超えになってしまった。 ということで主に2023年の出来事を①、2024年の出来事を②で紹介したが、③ではこれらの出来事を踏まえ、町田叩きはなぜ起きているのかのまとめを行いたい。 なぜ町田ゼルビアは叩かれるのか?1.「新参者の快進撃に嫉妬してる」から強すぎる存在が嫌いというのはよくあることである。 アンチ巨人は典型例だし、相撲での朝青龍や白鵬への批判でも強すぎて面白くないという要素も大きかった。 まして町田はプロ未経験の高校サッカーの監督がJ2で優勝し、初のJ1でも優勝争いと、とにかく目立つ結果を残してきた。 新参者が目立つから気に入らない、強いから気に入らない、嫉妬されるという要素はあるのだろう。出る杭は打たれるという諺の通りである。 この指摘は町田に触れたコラムでもよく指摘されることである。
はい、こんにちは、私です。 カタールW杯はアルゼンチンの優勝で終わりました。御覧になった方は知っているとは思いますが、あまりに、あまりに素晴らしい試合でした。自分が見たサッカーの試合ではベスト3に入ります。試合前のストーリー、試合内容、監督の采配、試合後のアルゼンチンの熱狂、それら全てが素晴らしい、本当に素晴らしい試合でした。 あまりに素晴らしい試合だったので、備忘録もかねて試合のレビューを残しておこうと思いました。未だにあの試合の余韻が抜けてません。それほどの試合でした。 一生のうちに、数試合しか見れないであろう、そんなスポーツ史上に残る試合であったと思います。 試合前のストーリー、メッシの旅の終わりとムバッペ伝説の始まり 先にこの試合の前のストーリーの話から始めたいと思います。 カタールW杯はサッカー界を長い事牽引し続けた二人のスーパースター、そして今後長らくサッカー界を牽引するであろ
あのPK戦はひどかった。トーキックしか蹴れない素人がプロ相手にPK蹴ってみて止められたような感じだった。 昔の日本代表はPK戦に強かった。2004年アジアカップなどが未だに記憶に残っているが、W杯だと2戦2敗。 原因は単純。これまでW杯でPKを外した人は全員「高校サッカー未経験者」である。今回外した3人が全員そうであり、2010年の駒野も例外ではない。今回決めた浅野は高校サッカー経験者、2010年に決めた3人も高校サッカー経験者、つまり部活組。 W杯PK戦に限っては「ユース組の成功率0%、部活組の成功率100%」であるのだ。これは偶然とは言えないだろう。 なぜユース組と部活組で違ってくるかについてだが、部活組は学校の看板を背負ってサッカーしており、特に高校サッカー選手権におけるPK戦は生殺与奪がかかるシーンだ。プレッシャーは半端ない。 ユース組は別に所属チームの看板は背負っている感はない。
どうもこんにちは、私です。 こないだのコスタリカ戦はレビュー書くような内容がないのでサボりました。 実際に失点の原因は「吉田がいつもの奴をやった」だけですし、攻撃面でも「引いてがっちりブロック作られて点取れない」のはアジア予選でもしょっちゅうなので本当に書く内容がないです、あの試合。当ブログとして言えることは「残り時間が少ない時は迷わず大きくクリアしろ」という事くらいです。もっともカメルーン対セルビアの試合でカメルーンの二失点目はカメルーンのDFが残り時間少ないのに中途半端なクリアしたのをセルビアに拾われて失点してたので、ああいうミスはサッカーにおける事故で一定確率で起きちまう奴なんですけどね。 そういうわけですので、本日はちと趣向を変えまして、現在の日本代表の攻撃の話をしていきたいと思います。 コスタリカ戦で本田さんが言ってた奴 abema.tv ここではコスタリカ戦の動画へのリンク貼っ
私の推しはサッカー好きだ。しかもかわいい、頭がいい、に加えて重度のサッカー戦術オタクで、あらゆるサッカー番組に引っ張りだこらしい。私にはやべっちFCくらいしかわからなかった。内田篤人と仲良く喋ってるのもすごいんだと。へえ。 推しが言ってることはさっぱり理解出来ないけど好きなことを仕事にして随分楽しそうにしているので出演した番組は見られる分だけ全部見た。サッカーに興味は湧かなかった。でもどんどん周りの人を唸らせる推しのことは尊敬した。日常にちょっとだけ支障をきたす程度にサッカーに時間を割いてるらしい。寝てる?寝てなさそう。 2年追いかけてもサッカーへの解像度はさっぱりあがらなかったけど、どうやら推しがこのワールドカップでビッグ仕事を掴んだという話があった。20試合もゲスト登場する?アイドル仕事と並行できる?心配ではあったけど本人は大層な夢を叶えるところでアドレナリンがギンギンのようなので応援
4年ぶりの更新になりますが、twitterでレビューやってくれという要望が多かったので4年ぶりにサッカーレビューでもやってみようかと思います。 正直な話、最近のネットのサッカー系レポートについてはもう文章の時代じゃなくて動画の時代になってましてね、youtubeとかでサッカーの解説動画作ってる人も多くて、そっちが50万再生とか稼いでる時代なので「もう文章でサッカーの解説する時代じゃねぇなあ」と思ってるんですよ。文章で解説やってもW杯でもせいぜい2~3万ですし。 ここ数年、ネットも動画時代で動画配信できねえ奴は用無しなんじゃねーかと思ってる所もありましてtwitter位しかやってませんでした。自分は時代の流れに完全に取り残された男です。 これも時代の流れですからね、しょうがないです。愚痴ってもしょうもないので、本題に入りたいと思います。 この試合の動画についてですが、abemaで全部動画でみ
アベマサッカー @ABEMA_soccer 「ワールドカップは本当に何が起きるかわからない」 キックオフまで残り45分...! ABEMAでは直前特別番組を放送中⚡️ 本田圭佑GMが日本代表ロッカールームからコメント! このあと22:00から、 #ABEMA では本田圭佑の公式戦初解説で ドイツ戦を無料生中継👀 #ABEMAでFIFAワールドカップ #daihyo kazuchannel1218【女子アナ&女子ボートレーサーFan】 @kazuchannel1218 11/18の #報道ステーション から。 ABEMAで #FIFAWorldCup の解説をする本田圭佑氏に「あえて #FIFAWorldCup の"キーマン"をあげるとしたら?」という質問に対して「あえてっていうのは1人なんですか?」と答えたのちに「僕はじゃあ3人あげさせてもらうと」と言ってキーマンを5人あげていた件。 p
日本がワールドカップで優勝する以上の番狂わせ――。ヴァンフォーレ甲府の天皇杯(第102回全日本サッカー選手権大会)制覇は、そう表現しても大げさではない出来事だった。甲府は1-1(PK5-4)でサンフレッチェ広島を退けて日本一の栄冠を手にするとともに、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得。さらに1億5000万円の賞金も得ている。 10月6日に発表された最新の世界ランクを見ると、サッカー男子日本代表は24位。甲府はJ2の18位(10月17日現在)で、J1の18チームを加えれば上から数えて36位だ。普通に考えれば日本サッカーの頂点には手の届かないポジションだろう。 歴史をさかのぼれば2部からの天皇杯制覇は2011年度のFC東京、1982年度のヤマハ発動機、1981年度の日本鋼管といった例がある。しかしこの3チームはいずれも既に翌シーズンの昇格を決めていた。つまり今回の甲府とは“下剋
1972年、大分県中津市生まれ。工学院大学大学院中退。99年コパ・アメリカ観戦を機にサッカーライターに転身。J2大分を足がかりに2001年から川崎フロンターレの取材を開始。それまでの取材経験を元に15年よりウエブマガジン「川崎フットボールアディクト」を開設し、編集長として取材活動を続けている。 ルヴァンカップ25年目の真実 2016年、Jリーグが主催するカップ戦「ヤマザキナビスコカップ」が、突然、「ルヴァンカップ」へと名称が変更された。シーズン途中での大会名称の変更は前代未聞の出来事だ。その舞台裏を探るとともに、ルヴァンカップ(旧ヤマザキナビスコカップ)がサッカー界に与えた大きな影響について、短期集中連載でお伝えする。 バックナンバー一覧 公益社団法人日本プロサッカーリーグ(通称Jリーグ)は、二つの主要な大会を主催してきた。一つがリーグ戦で戦われる「Jリーグ」、そしてもう一つがカップ戦の「
昨年、ジュビロ磐田への期限付き移籍が話題を呼んだ遠藤保仁選手と、リアルな描写と感動のストーリー展開で大人気のサッカー漫画『GIANT KILLING』のコラボが注目されている。 『ジャイキリ』の読者であった遠藤選手が、主人公の達海猛や椿大介をはじめとするキャラクターたちと自分を重ねながら、サッカー選手としての人生を振り返った『GIANT KILLING 名シーンで振り返る 戦い抜くメンタル』。サッカー選手には心・技・体、すなわち「メンタル・テクニック・フィジカル」に加えて、「脳=思考力」も必要だと、遠藤選手は話す。 漫画の名シーンとともに、“遠藤流”の「戦い方」を紹介しよう。 「日本代表になる」 その次の目標は、『代表に選ばれ続ける』こと。 『代表には遠藤がいないと』そう思わせるよう努力した。 椿はA代表になってもなかなか自信を持てずにいますが、僕の小さい頃からの大きな夢と言えば、やっぱり
日本サッカーは成長しているのか。Jクラブを率いて4年目を迎えるロティーナ監督に聞いた 【(C)J.LEAGUE】 スペインの知将ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督が率いるセレッソ大阪が好調だ。監督就任2年目となる今季、チームはアグレッシブなサッカーを展開して上位につけている。昨季5位のC大阪は今季それ以上のステップアップが期待されており、まずは上々の前半戦となった。これも指揮官の手腕の賜物(たまもの)と言えるだろう。 そのロティーナ監督の目に、現在の日本サッカーはどう映るのか。来日4年目を迎え、指導法に変化はあるのか。また、日本サッカーは成長しているのか。日本人のメンタリティーについて……。ロティーナ監督には3年前にもインタビューを行っている。当時からの進化を聞いた。(取材日:9月14日) ――9月13日に行われたビジャレアルとウエスカのラ・リーガ開幕戦で、久保建英と岡崎慎司による日本人対決
2017年、Jリーグシーズンが始まって何か寂しいと思っている人はいないだろうか。 これまでシーズン中の毎週末、必ずテレビで見ていた顔がいなくなってしまった。 10年間、ずっと見続けていた顔だった。 「そこ見てたのか!」と言いたくなるような試合のポイントや オフザピッチの話題を語っていた平畠啓史はどこに行ったのか。 チャンネルを変えてもその姿を見ることはない。 周りのいろいろな人の話を聞いても 「平畠欠乏症」に悩んでいる人たちがたくさんいた。 個人的にもとても寂しい。 もちろんまだずっとスタジアムに来ている。 相変わらずにこやかにサッカーファンの心を癒し続けてくれている。 またすぐ画面でも見たいと心から願っている。 サッカーをやっていたからこそわかるプロの凄さ ありがたい話、スカパー! さんで、アフターゲームショーとかマッチデーハイライトを10年やらせてもらってたんで、試合に行くとサポーター
小学校から高校まで全国大会で優勝し、 法政大学ではキャプテンとして総理大臣杯に優勝。 その後、日産自動車、横浜マリノスで活躍する。 1979年ワールドユースでは日本の唯一のゴールを決め 日本代表としても印象深いゴールを決め続けた。 水沼貴史氏の経歴は栄光に満ちている。 飄々と輝かしい日々を語ってもらえるのか。 そんな予想とはまるで違った話が出てきた。 信じられない苦行と燃え尽きてしまった日々。 華々しく活躍する同期の選手を見ながら 唇をかんだ日々もあったそうだ。 そんなところからどう立ち直ったのか。 決してスパルタを肯定しているのではない。 だが水沼氏が激しい時代を過ごしながら 感じていた2つの本質は記録しておきたい。 練習が苦しかったユース代表時代 僕が過ごした一番辛い時期は、間違いなく、1979年、日本で開催されたワールドユースのときです。それしか出てこないです。日本代表選手になって、
働き方・ライフスタイル 柿谷曜一朗(セレッソ大阪)「ミスは誰にでもあるしミスをしてはいけない人はいない」 # 森雅史 2019年12月12日 柿谷曜一朗(かきたに よういちろう) 1990年1月3日大阪府生まれ。C大阪(セレッソ大阪)下部組織出身のフォワード。高校2年生、16歳でプロ契約を結ぶ。2009年に徳島ヴォルティスに期限付き移籍。2012年にC大阪へ復帰し、その年にJリーグ優秀選手賞を受賞。2014年にスイス1部リーグのバーゼルへ移籍。2016年に古巣のC大阪へ復帰した。日本代表では国際Aマッチに18試合出場し、5得点をあげている。 日本代表で初出場した選手がミスをして失点した。ハーフタイムにベンチから飛び出した柿谷曜一朗は一目散にその選手に駆け寄り声をかけた。 日本代表で初出場した別の選手がパスをミスした。味方はその後10分以上パスを回さない。すると途中出場した柿谷は無理矢理その
>>さくマガのメールマガジンに登録する あなたは過去の実績が認められ管理職になった 自分の上司はカリスマで数々の業績をあげている そんな人物の下で若手を伸ばそうとしていたとき あなたは社長に呼び出された 社長はカリスマ上司が辞めると明かした そしてあなたに部門全体を指揮しろと言う 次のビジネスチャンスまで時間がない 部署に戻ると部下は不安そうにあなたを見る そんな経験をしたのが水沼貴史だ コーチから監督になり、またコーチに戻るまで 水沼はどんな思いを抱いていたのか そして今の「やりたいこと」は何か 水沼貴史(みずぬま たかし) 1960年5月28日埼玉県生まれ。 浦和南高校から法政大学に進学し、1979年、日本で開催されたワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)では日本で唯一のゴールを挙げた。1983年に日産自動車へ入団。1984年からは日本代表としても活躍して、1995年に現役引
もう知らない人も増えたことだろう。昔、Jリーグにはもう1つクラブがあった。 1998年、日本のワールドカップ初出場の影でJリーグ誕生から続いていた「バブル」は急速に終わりを迎えた。「オリジナル10」と呼ばれるJリーグ創設時のメンバーで、横浜と九州全域をホームタウンとした横浜フリューゲルスが活動を終了することになったのだ。 フリューゲルスは横浜マリノスが吸収合併し、「横浜F・マリノス」が誕生する。だがダービーで争ってきた2チームの合併に発表当時は大規模なフリューゲルス存続運動が起きた。クラブ関係者はスポンサー探しにやっきになったが、一向に救世主は現れない。そんな中、選手たちは街頭で署名活動を行い、試合終了後には「フリューゲルスを助けて!」と書いた横断幕を持って場内を歩いたりした。 状況に進展が見られないまま、リーグ戦は終りを告げる。残っているのは天皇杯だけ。ノックアウト方式のため、負けるとフ
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