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socialとthinkに関するkei-sのブックマーク (6)

  • リアルの加速化からバーチャルのリアル化へ - アンカテ

    最初、印刷は筆写を加速したものに過ぎなかったけど、たくさんの印刷物が行き交うようになると、それが公共圏となり最終的に国民国家を生んだ。国民国家の中核には言論によって維持される「民族」という幻想があって、それは言論のプラットフォームが無いと維持できないものだ。 機械は、最初、その時存在するリアルを加速する為だけに使われるが、それが一般化して自律的に動きはじめると、それが今までとは別の形のリアルを生み出す。 コンピュータネットワークは、これまで、それ以前に存在したリアルを加速する為に使われてきたが、そろそろ、これまで存在しなかった別のリアルを生み出すフェーズに来ているのではないだろうか。 メールは文書による伝達を加速しただけのものだったから、「宛先」とか「送信元」とか「タイトルと文」とか「添付」とか「配信(配達)」とか、アナロジーで説明できたけど、twitterはそうではない。twitter

    リアルの加速化からバーチャルのリアル化へ - アンカテ
  • 志の高い企業、ふつうの人 - 思っているよりもずっとずっと人生は短い。

    メモ。 志の高い人を雇いたがるのは、志の高い企業のするべきことなのだろうか。志の高い企業は、ふつうの志の人を雇い、高い志を持たせるような企業ではないだろうか。あるいは、ふつうの志の人を雇い、ふつうの志のまま、よい仕事をさせるような企業ではないだろうか。 優れた人を雇いたがるのはよいことなのだろうか。それは極論すれば、優れていないひとはどうでもいい、ということなのではないか? そのような企業で働きたいと思うだろうか? そのような企業で働きたいと思う人ばかりの社会で生きていたいと思えるだろうか? ふつうの人が9時から6時まで(または10時から7時まで)、ふつうにプログラムを書いていればふつうに生活ができる、という世界の実現は困難なのだろうか。 今のソフトウェアエンジニアリングはふつうの人に辛すぎる。ここで言う「ふつうのひと」とは、たとえば「基的に自分でを買わない」「就業時間以外はプログラム

    志の高い企業、ふつうの人 - 思っているよりもずっとずっと人生は短い。
  • ポスト・フラットのはなし その2 (better)

    ポストフラットとは何か。この言葉が示す対象はまだ世の中にない。だから具体例が出せず判りづらい概念かもしれない。反面、同時代を生きている人には感覚的に理解しやすい言葉だとも思っている。 この言葉がどういう意味なのかを単純に説明すると、ポストは「後」という意味だから、ポストフラットは「フラットの後」ということ。ではフラットとは何かというと「平ら」だが、ここでは平らな時代、つまり今、現代のことを示している。だからポストフラットは「現代の後」の時代、今の次に来る時代のことである。 ポストフラットな時代とは何かを語る前に、当は「平らな時代=現代」が真実かを検証するのが筋かもしれないけども、今回はそれは後回しにして必要だと感じた時に説明する。なので、とりあえず以下の前提は既に共有しているものと仮定する。 現代の文化は総じて「フラット型」であり、それを支える各人の行動様式は「新自由主義」的だった

  • ポスト・フラットのはなし その1 (better)

    ポストフラットというキーワードを意識したのは二〇〇六年七月だったと思う。自分のミニコミを作っていた時に思いついた概念で、渋谷の喫茶店で大谷能生さんにその妄想を話したことがある。当時サイトのトップページに唐突に「post-flat」と単語だけアップしたのを覚えてる人はいるだろうか。 更に具体的に言語化したのは翌二〇〇七年の五月~六月で、大谷能生さんのイベントでその話をしようと思ってまとめていたのだ(しかし筋から離れすぎるのでポストフラットの話は3分程度で終わった)。そしてその後『週刊アスキー』の書評欄で簡単な言葉の紹介をして、以降は知り合いにしか話していない。 その「ポストフラット」について、二〇〇八年ならウェブに書くのがちょうどいい気がしてきたし、もう一年以上、何をするにも頭を横切る思考の基盤になっていて、そろそろ自分の中にだけ閉じ込めておくのも我慢できない、飽きた、という個人的判断

  • ポスト・フラットのはなし その3 (better)

    ポストフラットを説明するのに、少しだけ確認しておかなくてはいけないフラット型社会──くり返すが現代のこと──の特徴がある。それは「大きな物語」と呼ばれるような思考、「何かが始まると何かが終わる」という価値観が適応できない出来事が多くなってきていることだ。 というのは、フラット化を目指している現代は「何かが始まっても前の何かも続いていく」という累積と並列化の世界だからだ。古いモノと新しいモノを同時期に体験できる──というより既にタイムスタンプの違いでしかない──、レアなモノもそうでないモノも簡単にアクセスできる、プロも素人も同じ制作機材を使える、同じ空間にいる、同じものが共有される……。そこにあるのは単なる個人史(個人視?)だ。「大きな物語」があるように思えたのは、または物事が順番に登場したように見えていたのは、自分の視野に入る「小さな物語」の塊であって、視界に入らなかった出来事や物語がこの

  • 「実名」と「特定」は別のものだ:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    メールアドレスのご連絡 久しぶりのエントリーだが、まずビジネス上の緊急連絡から。 ドメインのレジストラ移管のトラブルで、わたしがいつも使っているsasaki@pressa.jpのメールアドレスが不達になってしまっています。「佐々木からメールの返事が来ないけど、どうなってるんだろう」と思われた方は、お手数ですがsasakitoshinao@gmail.comまで再送していただけませんか。DNS浸透期間が完了するまで、この状況はしばらく続いてしまいそうなのでよろしくお願いいたします。 匿名と特定の関係を考える さて先日、ビットメディアの高野雅晴社長と話をしていて、匿名/実名の話になった。高野社長は以下のようなマトリクスを提示して見せてくれた。 匿名と特定のマトリクス 実名 匿名 特定 実名ー匿名というのは、今さら言うまでもない。日人なら誰でも持っている氏名を、明かしているかどうかということだ

    「実名」と「特定」は別のものだ:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
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