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ブックマーク / www.dreamcaptor.site (18)

  • マンションでの喫煙トラブル! - ヒロニャン情報局

    私は40代前半の会社員で男性です。 既婚者でもあり、夫婦二人暮らしをしています。 そして、私達は結婚した当初から賃貸マンションに住んでいるのですが、そんな中些細なことからトラブルへと発展していったのでした。 私は喫煙者であるので、家ではベランダに出て喫煙することが日課となっていました。 ところが、そんな時私はいつものようにベランダに出ては喫煙をしていると、何と上の階の人も喫煙をしてたのですが、そのままタバコの灰を下へと捨てたり、または最後にはその吸っていたタバコさえ下へと投げ捨てるのでした。 そして、更にはその喫煙の際に絡んだ喉の唾を下へと吐き捨てるのでした。 私はあまりにも驚いて、愕然としました。 また同時に怒りがこみ上げてきて、にも相談して管理人さんに連絡をしたのです。 すると、即座に対応して頂いたのでしばらくは落ち着いたのでした。 ところが、そんなある日私はまたベランダに出て喫煙を

    マンションでの喫煙トラブル! - ヒロニャン情報局
  • 最悪な旦那 - ヒロニャン情報局

    自分の従妹が結婚した相手が最悪でした。 離婚に至るまでの経緯を聞いても腹が立つほどで裁判を起こすことも辞さない覚悟でしたが、その旦那の家族がやの付く職業をしているとの噂で泣き寝入りとなりました。 従妹と旦那の出会いは大学のサークルで少し悪そうな感じだったのですがワイルドな感じに惹かれてお付き合いを開始したそうです。 派手な格好に奇抜な髪型をしていたので叔母達は交際に反対だったらしいのですが聞き入れて貰えず、結局大学卒業前に妊娠が発覚して結婚となりました。 妊娠から出産までの間は休学して卒業時期が遅れ、子育てもあるからと夢だった教師を従妹は諦める事となりました。 最愛の旦那と子供が生まれて幸せそうだったのでソレもありかなぁって感じで周囲の人間も彼を選んで良かったねと認めだしていたのですが、子供が生まれた矢先、大学を卒業してからの旦那の豹変振りが凄かったです。 まず、就職した建築会社を二日で辞

    最悪な旦那 - ヒロニャン情報局
  • 洗濯中に大動脈解離・大動脈瘤になって瀕死の状態に - ヒロニャン情報局

    私は50代、専業主婦の女性です。 4年前に自宅で大動脈解離・大動脈瘤になり、瀕死の状態になりました。 後で主治医から言われたのですがその時の致死率はなんと70%という確率だったそうです・・・。 その言葉を聞いて、自分が今こうして命があるのは奇跡なんだと思ってしまいました。 その日の午後はいつものように家族の衣類を洗濯をしていました。 ベランダで鼻歌を歌いながらとても気持ちい天気の下、気分良く洗濯物を干していたのです。 するとみぞおちの所に、ズドンというような衝撃が走ったのです。 体験した事のないような痛みです。 え、何、これ?って感じでした。 その衝撃たるや言葉になりません。 何かとてつもない大きなハンマーか何かで殴られてしまったような感じです。 思わず私はベランダに一人かがみ込んでしまいました。 最初はすぐにこの痛みも治るだろうと思ってたんです。 だからしばらくその場でジッとしていれば大

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  • 貧乏な自分への苛立ち - ヒロニャン情報局

    私は、小さい時から貧しい家で過ごしました。 浪費家の父は借金を繰り返し、私も母もかなり苦労をしました。 私の夢は、母に少しでも良い暮らしをさせてあげることでした。 そのために、自分のできることを精一杯やろうと決めて、これまでがむしゃらに頑張ってきました。 少しずつ経済的に上向きになり、私と母はやっと父から離れて暮らすことができるようになったんです。 二人だけの生活は、最初こそ不安でしたが、借金のことを考えなくても良い生活は、私と母にとってはこれ以上ないほど嬉しいことでした。 ですが、裕福とは言えないため、生活は慎ましやかなものでした。 クリスマスやお正月が来ても、世間一般の人がするような、豪華な料理プレゼントを贈ることもできませんでした。 母はなにも言わずに、いつもニコニコ笑っていてくれますが、テレビの中で豪華なおせちやケーキを見ながら、「良いね。美味しそうだね」と言われる度に、胸が締め

    貧乏な自分への苛立ち - ヒロニャン情報局
  • 夫からの800万の借金の告白 - ヒロニャン情報局

    私は、現在は専業主婦をしていますが10年ほど前はかなり酷い貧乏な生活をしていました。 15年ほど前に中古の戸建てを購入し、住宅ローンや子供の教育費などをきついながらも普通に生活をしていくことができていました。 そのまま生活をしていくことができていたのであれば貧乏な生活とはいえなかったのかもしれません。 貧乏な生活を送る転機は12年ほど前に突如訪れます。 夫からの借金の告白。それも額は800万円もあり、月の支払いは15万にも及んでいて生きていけない。助けて欲しいとのことでした。 私は目の前が真っ暗になるような感じを受けました。それまででもきつくて倹約に努めていたのに15万なんて大金は毎月支払っていくことなど確実に無理な状況でした。 私はすぐにパートに応募し、月に10万程度のお金を稼ぐようにしましたがそれでも5万円はどうしても捻出できなかったのです。パート収入と私が申し込んだ借金で二年程度は昔

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  • 物を持たない暮らしに憧れて - ヒロニャン情報局

    私がミニマリストを目指したきっかけは、子供が生まれた事です。 それまで片付けや整理整頓などがあまり得意ではなく、元々物は少ない方でした。 子供が生まれると気になるのが衛生面。 寝返り、ずりばい、ハイハイと、床をコロコロ転がる娘を見ては、せっせと床拭きをしていました。 ある日目に留まった雑誌の見出しに衝撃を受け、私のミニマリスト生活が始まりました。 『それ、当に必要?』その見出しの下には、実際にミニマルに暮らしている人の写真が。 玄関マットも、ラグもソファもない。 あるのはダイニングテーブルと椅子と子供のおもちゃが少し。 なんて見晴らしのいいスッキリした部屋なんだろう! 私はその日から、物を見直すようになりました。 まず手をつけやすい敷物類。 どう考えても、毎日洗えるものでもなく、衛生的にちょっと問題ありませんか? 敷いておく必要もたしかに無い。 思い切ってラグと、玄関マットを捨てました。

    物を持たない暮らしに憧れて - ヒロニャン情報局
  • ミニマリストはシンプルな服が好き - ヒロニャン情報局

    ミニマリストとして、生活をしていると自分がどんどん変わることに気づきました。 その一つとして、なんといっても服が変わることがわかります、どんどん処分をするようになり、当に大切な服だけを残すようになりました。 その結果、シンプルな服にすることにより、とても自分の生活が楽になりました。 ここでは、そのことについてご紹介します。気になる人は、参考にしてみてくださいね。 ・余分な服は捨ててスッキリ ミニマリストの生活としては、やっぱりタンスなども不要と思うことがあります。 タンスに入っている服について今一度見直すことにしました。 すると、ほとんど使っていない、着ることがないものもあります。 いつかは着るだろうと思っているんですね。 しかし3年ぐらい使っていないものもたくさんありました。 そこで、不要と思う服について全て処分をすることにしました。 それはまずフリルがある服や、デザインが奇抜なもので

    ミニマリストはシンプルな服が好き - ヒロニャン情報局
  • 知人のミニマリストの部屋は、広いのにソファーもなければ座布団すら置いてないのです。 - ヒロニャン情報局

    私は元々からミニマリストになりたかったわけでは実は無いのです。 以前にお恥ずかしい話ですが少しお金に困った時期があったのです。 そして、その時にネットオークションやメルカリで大量に物を売っていったのでした。 すると、思った以上にお金になったので、それからは当に要らなくなったものはドンドン売るようにしていったのです。 すると、ふと気ずいた時には私の回りには当に何もなくなっていたのです。 当に生活できる物だけが残った感じでした。 また、元々お金に関してはすごくケチと言うか一応自分で言うのもなんですが、倹約家ではいたつもりです。 その為、お金に関してはある程度の貯蓄はあったのですが、とある事情で無くなってしまったのです。 ですので、急遽物を売ることになったのです。 そして、しばらくして私はまた生活も落ち着いてきたのですが、ある時ミニマリストと言う人と友人の紹介で知り合ったのです。 その人は

    知人のミニマリストの部屋は、広いのにソファーもなければ座布団すら置いてないのです。 - ヒロニャン情報局
  • 後輩にまんまとはめられました。 - ヒロニャン情報局

    私のしくじり体験談は、後輩の罠にうっかりはまってしまい、上司に睨まれてしまったことです。 まだ20代の頃。私は、印刷会社に勤務していました。 仲の良い後輩も出来て、上司からの評判も良くて、毎日が充実していました。 ですが、ちょっと困ったことがあったのです。 それは、上司が流行りのギャグをやっては、ウケを狙うのです。 面白かったら、もちろん良いのですが、中途半端に覚えているみたいで、正直面白いとは思えなかったんです。 ですが、上司が一生懸命やっているのに、全く笑わないというわけにはいかず、私たちはお義理で笑っていました。 ストレスにはなっていたのですが、これも円滑に仕事をするためと我慢していました。 そんなときに、後輩の女の子に事に誘われたんです。 ちょっと遠くにある定屋さんでしたが、美味しいと評判でしたし、たまには良いかと思い、出かけることにしました。 定屋さんにつくと、いきなり後輩

    後輩にまんまとはめられました。 - ヒロニャン情報局
  • 夫がリストラになってしまって家計は火の車になっています。 - ヒロニャン情報局

    私は毎日生活が苦しい為、金運を呼び起こそうとしています。 トイレ掃除をしたりお風呂掃除、玄関掃除をしたり庭の掃除をしていますが、なかなか金運は訪れてくれません。 金運が訪れてくれるどころか夫がリストラになってしまって今まさに家計は火の車になっています。 現在私は子育て世代で子供が2人います。 子供に当てる教育費や塾代がかさんでいます。 習い事なども1人の子供が2つ習っていますので習い事代もバカにはできません。 私達夫婦は夫がリストラされるまでは共働きでした。 今までにも全然贅沢などをしてきてなかったのですが、それでも子供の成長と共にどんどんお金がなくなっていきました。 毎月給料日前になるとお金がなくなってしまいますので、実家の両親のところに遊びに行って何とかしのいでいます。 両方の実家の両親のところに行きます。 両方の両親も孫が来るのでとても喜んでくれます。 お金の大変さももちろんの事です

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  • 夫は17歳給料は10万、私は専業主婦お金が無さすぎでした。 - ヒロニャン情報局

    私は、十代の頃に結婚して、夫もまだ17歳だったので、仕事もあまりないし、私の親の反対を押しきって結婚したので、自分の実家にも頼れず、夫の家は貧乏すぎたので、辛い生活へと落ちて行きました。 産後保育園が決まらず、私は専業主婦で収入がありませんでした。夫の給料は、良くて10万、無いときは7万円でした。幸い市営住宅に入居できたので、親子三人なんとか暮らしていました。 環境は、風呂が無かったので、昼間のうちに赤ちゃんを連れて夫の実家に風呂に入りに歩いて行きました。 片道30分はあったと思います。車もなかったので、ベビーカーと歩きで通いました。 エアコンはなかったので、洗面器にお水を張って、流しで体を冷やしていました。 電気は、毎月2000円程度でしたが、払えず、毎月何日か止められていました。 ロウソクを使ったり、キャンプのランタンを使ったりしていました。 収入の主な使い道は、費でした。夫は、建設

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  • 新聞配達をして学生ローンを組んで、専門学校の学費を工面しました。 - ヒロニャン情報局

    私は現在会社員ですが、高校を卒業した後、親の反対を説得して放送系の専門学校へ進学しました。 その際「自分のやりたいことをするんだから、ここから先はお金は出さない」と父に言われ、学生ローンを組んで、借金して学費を工面しました。 なので、新聞配達のバイトをしながら、昼間は学校へ行き、夕方に夕刊、折込をして、朝は3時から朝刊配達をしていました。 月6万づつ返していくという契約で、もし返しきれなかったら休学してでも働いて返してもらう、という契約でした。なのでなるべく給料は返済にまわすようにしました。 そこから貧乏生活が始まりました。新聞配達なので汗をかきますが、極限まで風呂場でささっと洗う程度で、ちなみに住み込み寮だったので、風呂トイレは共同でした。けっこう何回かは、「うっ・・・」と鼻をつままれることもありました。意外と自分の臭いってわからないものなんですね。 喉が渇いても、ジュースも当時は110

    新聞配達をして学生ローンを組んで、専門学校の学費を工面しました。 - ヒロニャン情報局
  • はじめは詐欺だとは思わなかった - ヒロニャン情報局

    私は現在40代の女性です。 私が去年経験した詐欺の経験談をお話ししたいと思います。 私のようなケースは結構多いかもしれませんが、話しておきたい気持ちがとても強いため紹介させていただきます。 はじめは全く気がつかなかった 私が詐欺にあったのはいわゆる「振り込め詐欺」のような感じではなく、一見詐欺だとは思えないような感じでした。 私の場合、はじめはネット上で自分のWEBサイトを開設したい気持ちがあり、そのサポートとして申し込んだ会社に詐欺にあいました。 私は自分のお店をWEB上に出店するのが希望だったのですが、全くの未経験だったのではじめは何をどうしたらいいか全く分からない状態でした。 そんな時に、「アフェリエイトをサポート」のような紹介文でその詐欺会社を発見。 発見するために見た求人サイトも信用がありそうだったので、迷わずに応募したのです。 その会社は、「いずれは必ずアフェリエイトで稼げるよ

    はじめは詐欺だとは思わなかった - ヒロニャン情報局
  • どけちな節約をして生活費を浮かして貯金をしています。 - ヒロニャン情報局

    どけちな節約生活をして少しでも生活費を浮かして貯金をしています。 節約生活の中でどのような事を実践しているかですが、まずは水道代の節約を実践しています。 残り湯を洗濯機のすすぎ洗いの水に使ったり、無料でもらえる水をお風呂に足したりしています。 僅かではありますが、水道代を月々節約する事が出来ています。 次に電気代節約をして毎月の費用を抑えています。 コンセントにプラグを差しっぱなしにしていると待機電力を使ってしまいます。 日頃、使わない家電に関しては、コンセントからプラグを抜いておいて待機電力が発生しないようにしています。 僅かな電力も発生しないように節約しています。 次にクーポンや優待券を積極的に使って、飲や購入費を節約しています。 雑誌に付いているクーポンやオンラインクーポンなどを利用して、割引を活用して節約をしています。 現在は、フリーペーパーやスマートフォンアプリやインターネッ

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  • 生活費を徹底して節約する知人 - ヒロニャン情報局

    そこまでやるか、と思うほど徹底して節約する知人がいます。 出費の中でも多くの割合を占めるものが費です。 つまり費を節約できれば、手元に多くの金額を残すことができます。 知人の実家は田舎の方にあり、両親が田畑で米や野菜を栽培しています。 今は夫婦2人の生活なので、育った米や野菜を夫婦だけでべ切ることができません。 また、一人暮らしをしている子供のことも心配です。 そういったこともあってなのか、定期的に米や野菜を送ってくれるのだそうです。 知人宅のベランダでは野菜が育てられています。 ミニトマト、バジル、ニラなどは簡単に育てられるようです。 私はベランダで野菜を育てるのは難しそうと思っていたのですが、知人によると意外と簡単に育てられて、それなりに収穫ができていると話していました。 実家から送ってもらう米や野菜とベランダで育てている野菜であるていど事を賄うことができますが、これだけでは野

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  • イタい店長の下で働きました。 - ヒロニャン情報局

    20代なかばで大阪に住んでいた時の話です。 私は彼氏の故郷の近くに住むことになり、それまで勤めていた仕事退職。 ドラッグストアでパートをすることになりました。 そこの会社、とりわけ店長が最悪でした。 5年以上経ちましたがはっきり思い出せるほどです。 店長がいわゆる「意識高い」系で、「気持ちがあればなんでもできる」を地で行く人。 年齢が近いとのことで彼の何かを刺激してしまったらしくパートの契約の日に売上目標や粗利益、現状、この店での夢や野望などおよそ初日のパートが聞くような内容でないことを自慢げにスピーチ。 私の頭は???でいっぱいになりました。 シフトに入った2日目も、 意識の高い店長は商品の場所すら定かではない私にさっそくイチオシ商品をお客様にお勧めして売ってこいとのこと。 泣きそうになりながらオススメに行ったのを覚えています。 そして1か月もたたないうちに、お店のメイン売り場の担当者

    イタい店長の下で働きました。 - ヒロニャン情報局
  • ブラック企業で働いていたときの貧乏生活 - ヒロニャン情報局

    ブラック企業で働いていたときの貧乏生活 のちに就職氷河期世代と言われる時期で、私は専門学校を卒業したのですが求人自体がなく、同級生でも派遣社員やフリーター、留学したりほかの学校に入り直したりといった正社員の就職をした人が少ない時代でした。 私は当時アルバイトをしていた飲店にそのまま正社員として入社し、働きました。 24時間営業のお店だったので、夜勤ももちろんあります。 ・ブラック企業だった ところが、夜勤のあとにそのまま昼間のシフトに数時間後に入れられたり、日付をまたいでいるためそれは休みとしてカウントされたりと、まともに休みが得られない状況でした。 さらに、月220時間以上の労働は労働基準法で禁止されていたため、それ以外はすべてただ働きです。 月の給料は手取りで18万円くらい、さらに私は両親も頼れず当時一人暮らしをしていたため、生活費も自分ですべて出していました。 家賃や光熱費、費な

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  • 酷い会社で13年働きました。 - ヒロニャン情報局

    酷い会社で13年働きました。 私が10代から30代にかけて務めていた会社の話です。 私は高卒で地元の製造会社に就職しました。 好きなことを仕事にしたかったので婦人服を製造する会社に入社することを決めました。 地元の会社で、家の近所でもあったので良いなと思ってました。 面接の雰囲気も良くて4月から楽しみでした。 3月に卒業式が終わり、それから仕事内容に慣れるために体験入社がありました。 その期間は定時で帰れてましたが、そこで何となく気づいてしまいました。 私達が帰る時、誰も帰っていません。 残業くらいあるかなと思っていました。 ・給与明細に驚く そして、4月になり採用になり、4月はまだ新人扱いなのでそんなにつらい思いは無かったです。 しかし、4月の給与明細を見て気づきました。 給料がなんと、時給制でした。 ビックリしました。求人票とまるで違うのです。 そして、定時で帰れないのは当たり前だっ

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