死刑の自動化 アメリカの映画で電気椅子による死刑執行場面があった。スイッチが数個ならび、それぞれの前に執行人が立ち、合図とともに一斉にボタンが押され、電気椅子に電気が流れ、刑が執行される。この意味は誰が実際に電気をオンにしたのかわからなくすることにあるのだろう。 執行人は死刑囚になんの思いもないし、ただ仕事として執行しているだけだ。しかし実際に自分がスイッチを押し、人が「殺す」という体験は簡単なものではない。本質的に他者の生を奪う行為は神の領域であり、その負債は人間が背負えるものではない。 最近、法務大臣が死刑の承認を「法務大臣が絡まなくても自動的に(執行が)進むような方法を考えたらどうか」と発言し波紋を広げているが、これも同様な問題を含んでいる。*1 代替不可能な死 このような死への神性は虚構であるといえるだろう。しかし人の死と動物の死の違いは生物学的な差異ではなく倫理的な差異でしかない