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倫理に関するkenjeenのブックマーク (7)

  • なぜ科学技術は死を溶解するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    死刑の自動化 アメリカ映画で電気椅子による死刑執行場面があった。スイッチが数個ならび、それぞれの前に執行人が立ち、合図とともに一斉にボタンが押され、電気椅子に電気が流れ、刑が執行される。この意味は誰が実際に電気をオンにしたのかわからなくすることにあるのだろう。 執行人は死刑囚になんの思いもないし、ただ仕事として執行しているだけだ。しかし実際に自分がスイッチを押し、人が「殺す」という体験は簡単なものではない。質的に他者の生を奪う行為は神の領域であり、その負債は人間が背負えるものではない。 最近、法務大臣が死刑の承認を「法務大臣が絡まなくても自動的に(執行が)進むような方法を考えたらどうか」と発言し波紋を広げているが、これも同様な問題を含んでいる。*1 代替不可能な死 このような死への神性は虚構であるといえるだろう。しかし人の死と動物の死の違いは生物学的な差異ではなく倫理的な差異でしかない

    なぜ科学技術は死を溶解するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 悪ということ、少し - finalventの日記

    Gので、なぜか英語で覚えているのだが、No salt, no sugar という、彼お得意のナスレデッィン風の格言があったか。意味はよくわからないのだが、塩味がないと砂糖の甘さも効かないということかもしれない。Gは直接は悪を語っていない。Gはなにかもっとぞっとするような暗黒のようなものを語っている。彼にとって悪がなんであるかはわからないが、弟子との関わりでは、人が普通に悪と思うものについては寛容であったし、彼は意図的に悪を振る舞った。子どもだったピーターズはGにある女性になぜ不公平に振る舞うのかと問うたとき、Gはそれによって人が哀れみの心を持つと答えていた。たぶん、ある種の社会的な悪というのはGにとってはまったく意味の異なったものであり、存在の高度化はそうした機能的な悪との関わりを持つものでもあったのだろう。 ネットなどでも昔はそうでもなかったように思うのだが、ぞっとするような悪が露出す

    悪ということ、少し - finalventの日記
  • 極東ブログ: モラルの低い人を傍観する時

    このところぼんやり考えているが結論も出ないことがある。ただ、考えあぐねてきたので、少しブログにでも書いてみようかな。モラルの低い人を傍観する時のことだ。 話は私事からが切り出しやすい。私は沖縄で八年暮らしそれから東京に戻って四年になる。東京に戻ったころ、とにかくいやだったのは自転車だった。私は高校を自転車通学したくらいだから、自転車自体がいやということはない。が、その頃思ったのは、自転車に乗っている人のモラルがこんなにも低下していたのかという驚きだった。八年のうちに東京が変わったのか、それとも沖縄には自転車が少ないせいもあって感覚が変わったのか。個人的には前者のようにも思えた。私は、歩道を突っ走る自転車や二人乗り、無灯火、そういうやつらに誰彼かまわずどやしつけた。無法な警官もどやしつけた。ブログにも書いた。どうなったか。罵倒コメントをたくさんいただいた。そりゃそうだろ、世の中にあれだけ自転

  • 『愛は地球を救う』を嗤うなら、自分の事も嗤っとけ - シロクマの屑籠

    ああ、今年も『愛は地球を救う』が始まりました。虚飾の演出と大々的な募金活動は、去年のホワイトバンド同様、実際にどれぐらい「地球を救う」かはともかくとして「自分が地球人類になにかやったような気分」を提供してくれます。当にありがとうございます。 実に素晴らしい娯楽番組ですよね、『愛は地球を救う』って。 テレビをみているだけで、“なにかわかったような気分”になるし、“なにかをやったような気分”になれます。間寛平に涙を流している自分は人間的だ。地球はものすごく大変だ。千円ぐらい募金しようか。募金した!なんて良い気分!自分は人間の未来を憂いているいいひとだ!いいひといいひと!ああ、スーッとしてきたぁ! 年に一回だけチャリティー番組を見て、募金の何%が実際に貢献するのかを確認もせずに募金をやって…そうやった見返りとして自分に得られるものの大きさを思う時、これはこれで優れた娯楽番組と思わずにはいられま

    『愛は地球を救う』を嗤うなら、自分の事も嗤っとけ - シロクマの屑籠
  • 未映子の純粋悲性批判: 子猫を殺し続ければよろしい

    作家の坂東眞砂子さんという人が日常的に子を殺しているのだそうだ。 なぜ殺してはいけないかという「なぜころ問題」についてちょっとでも考えたことがあれば、殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく、あらゆる命は等しく無価値(by新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」)であり、そのとき折々の関係性で成立するもんであって、つまりオール時価なわけだ。坂東さんのように生まれたしりから子を崖にぽいぽいと放り投げることが出来る人はそれが出来るのだから出来る人なんであって、そのことについて「がかわいそうニャ」とか「呪われろ!」とかを云っても書いても、気持ちはわかるが仕方ないんであって、坂東さんの住んでる地域では法律違反でもなさそうだし、どうにもならんな。 坂東さんは人間側から想像する<の生>を<生殖がすべてである>と解釈して代弁しつつ、尊重する手段として避妊手術を否定し「能の

  • ロリコンファル - 倫理的自由 -高貴であることの覚悟- 感じること -第一のこと-

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    ロリコンファル - 倫理的自由 -高貴であることの覚悟- 感じること -第一のこと-
  • なんでかフラメンコ-可愛くなければ殺してもいいのか、という問題

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

    なんでかフラメンコ-可愛くなければ殺してもいいのか、という問題
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