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lifeとbusinessに関するkenjiro_nのブックマーク (10)

  • 「効率ばかり言う人」が結局、成功しない3大理由

    ビジネスにおいて効率化は大切なことですが、効率ばかりを重視してしまう人が陥ってしまう失敗とは?(写真:Liderina/iStock) 来年2020年で創業35周年を迎える株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンのCo-founderおよび取締役社長であり、自ら編集した書籍も累計1000万部を超える干場弓子氏。

    「効率ばかり言う人」が結局、成功しない3大理由
  • DMMおかんサービス終了で見えた、利用者急増なのにシビアな家事代行サービスの現実

    主要な家事代行サービスの業界図(マッチングプラットフォームは、ユーザー同士の直接契約、スタッフ雇用型は、事業者がスタッフと契約を結ぶ)。 DMM.comは、スマホのアプリから頼める家事代行サービス「DMM Okan(DMM おかん)」を、2018年9月30日で終了する。その理由はサービスを使いたい利用者が増えすぎて、サービス提供側の供給が追いつかないからだという。共働きの増加に伴い、日でも需要が拡大する家事代行市場だが、少子高齢化と好景気による人手不足はますます深刻だ。人から人へのサービスである家事代行は、労働集約型の業態のため、人材の確保は業界全体でハードルとなっている。 依頼がいつもいっぱい 「依頼を何日出しても来てもらえないんです。何とかまた来てくれませんか」 DMM おかんで、家事代行仕事をする大学院生の藤崎理香さん(仮名、23)は、2017年の年末、大掃除に行った先の家庭から

    DMMおかんサービス終了で見えた、利用者急増なのにシビアな家事代行サービスの現実
  • 月間維持費1万円を実現せよ――「若者のクルマ離れ」を考える

    マスコミや経済界は「若者のクルマ離れ」と言うが、筆者には若年層向けのマーケティングがうまくいっていないことへの言い訳にしか見えない。自動車業界が今当に考えるべきことは、若者がクルマを持てる施策を考えることではないだろうか? 1月5日、ソニー損保が「新成人のカーライフ意識調査 2012」を発表した(参照記事)。これは1991年4月2日から1992年4月1日生まれの男性500名・女性500名(有効回答数1000人)の新成人に対し、クルマに対する関心やカーライフへの意識を調査したもの。昨今、自動車業界を中心に「若者のクルマ離れ」と言われているが、その実態がつまびらかになっている。 まず新成人の免許保有率だが、男性62.2%、女性51.2%と全体の半数以上が保有していた。地域別の免許保有率では、都市部で44.3%、地方は60.0%。公共交通機関が弱い地方でクルマが“日常の足”となっている現状が分

    月間維持費1万円を実現せよ――「若者のクルマ離れ」を考える
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2012/01/11
    うーむ、そろそろモータリゼーションに頼らない国作りを考えたい立場でもあるけど、それとは逆に車に「乗れない」自分を恨めしくも思う俺としては非常に悩ましい。
  • 伊良部 秀輝 元選手に想う

    的にはスポーツフィールドに関して書いておりますが、時に政治的なものも小生なりに綴っております。 しかしながら大変残念なことに、基首から下の人間です。 誤字脱字、意味不明、不適切な表現もご容赦を。 皆さん既にご存知のとおり、日米を又に掛け大活躍した元プロ野球投手の伊良部秀輝が逝った。 まだ42歳という若さで。 小生も学生時代、将来はプロ選手に憧れ同じポジションのピッチャーをしていた時期があった。肩をぶっ壊して断念・・・ 江川投手以来の豪腕投手と小生は評価しており、野球を断念してから見ることの無くなった野球を見たくなった選手の一人だった。 下記に伊良部元投手の偉業を称え、ザックリとだが紹介したい。 1969年5月、兵庫県生まれ。投手。右投右打。背番号18(ロッテ)→35(ヤンキース)→14(エクスポズ)→45(レンジャース)→41(阪神)。香川県の尽誠学園高校時代は、1986年夏・198

  • もう「通常価格」が信じられない:日経ビジネスオンライン

    「あまりにもセールが多すぎる。一体いつが買い時なのか」――。 衣料品の春夏商品のセールの時期を迎えて、私は困惑していた。 今年、私はアパレル各社の春夏物バーゲンを心待ちにしていた。理由は非常に個人的な事情からだ。今年、私は一般誌から日経ビジネス編集部に異動をして、取材先が大きくさま変わりした。大手企業の経営者に話を聞くことも増えたため、フォーマルな格好をする必要が出てきたのだ。手持ちのスーツといえば、10年以上前に就職活動で使っていたものばかり。そのため今夏のセールを機にフォーマルな洋服を一式そろえようと思っていた。 それも今夏は、商業施設やアパレル各社が例年よりも早くセールを開始した。これを活用しない手はないと、こまめにセール情報をチェックしていたのだ。 しかし、である。 あまりにもセールが多く、一体いつ買えばいいのかがさっぱり分からなくなってしまった。 梅雨が明ける前から夏物バーゲン

    もう「通常価格」が信じられない:日経ビジネスオンライン
  • プロミス社長の反省と警鐘 崩壊したビジネスモデル、だが誰が“使命”を果たすのか:日経ビジネスオンライン

    蛯谷敏 日経ビジネス記者 日経コミュニケーション編集を経て、2006年から日経ビジネス記者。2012年9月から2014年3月まで日経ビジネスDigital編集長。2014年4月よりロンドン支局長。 この著者の記事を見る

    プロミス社長の反省と警鐘 崩壊したビジネスモデル、だが誰が“使命”を果たすのか:日経ビジネスオンライン
  • 中日新聞:「死に慣れるな」繰り返す ティア・冨安徳久社長:流儀あり(CHUNICHI Web)

    トップ > 特集・連載 > 流儀あり > 記事一覧 > 記事 【流儀あり】 「死に慣れるな」繰り返す ティア・冨安徳久社長 2010年2月11日 ティア社長の冨安徳久氏=名古屋市北区のティア社で 価格破壊とよく言われますが、秘訣(ひけつ)なんかないんです。これまでが適正な料金でなかっただけ。 (独立前に)葬儀会社に勤めていたころ、異業種交流会に参加して名刺交換をしたら、目の前で名刺を破られた。「いくら異業種といっても葬儀屋はねえ」って。悔しかったですね。 でも、社内で責任ある立場になって(葬儀用品の)原価を知った時、業界にも問題があるって分かったんです。何でこんなに暴利を得ているんだと。利益率が30%とか40%とかある。そのころ(約20年前)の名古屋市内の葬儀料金の平均単価は300万円。その半額でやっても8〜10%の利益率が出せるって思いました。 葬儀社が決めた、勝手な価格だったんです。

  • 過剰な郊外大型店規制 | rionaoki.net

    追記:車利用を前提とする社会に対する反発があるようですが、私自身は車持ってません。大型店舗を規制するか否かはどちらが社会的に望ましいか計算して決めるべきことでしょう。そしてモータライゼーション自体を問題にするのは地方都市の状況を考えれば現実的とは言い難いのではないでしょうか。 東浩紀さんの言っていることは意味不明ですが文の記述も正確ではない。 自滅する地方 崖っぷちのポモ – シートン俗物記 まぁ、地方都市問題やショッピングモールの問題は、ここでも何回か述べてきているのだけれど、単純な消費行動に絞った話じゃないし、そもそも“批判されがち”って認識がそもそも逆だろ?この20年あまりアメリカの後追いするようにショッピングモールのような郊外開発型大規模店舗が展開されてきたわけで、批判どころか多くの人たちは歓迎していたわけじゃん。 郊外大規模店舗に批判がないというのは誤りだ。中心部の商店街からは

  • 「1千円カット」も洗髪設備を、義務化が加速 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「カットのみ、10分1000円」など低価格を売りものに店舗を増やすカット専門の理容店にも、洗髪設備を設置するよう条例で義務付ける動きが加速している。 店が全国に広がり始めた2007年以降、条例を制定したのは10県。06年以前の条例化も合わせると19道県となり、宮城、山形両県は開会中の県議会に条例案を提出した。「髪を洗わないのは不衛生」という理由だが、カット専門店からは「営業に支障が出る」と反発の声が上がっている。 平日の夕方。仙台市のカット専門店に仕事帰りのサラリーマンらが次々と訪れた。「安さが魅力。1、2か月に1度来ます」と、単身赴任の会社員(59)。週末は親子連れも目立つ。宮城県によると、県内のカット専門店は75店。大半に洗髪設備はなく、散髪後はホースで細かい毛を吸引する。吸い切れない分もあり、店員は「早めに洗髪を」と声をかける。 こうした営業形態に、既存店が加盟する県理容生活衛生同業

    kenjiro_n
    kenjiro_n 2009/12/06
    熊本でも条例化してたのか。蒲ちゃんもしっかりしてくださいよ。
  • フリープログラマという生き方

    フリープログラマってどんな生活をしているんだろう,と考える人は多いかもしれません。ここでは,プログラミング専門誌「日経ソフトウエア」で2001年から続いている長寿人気連載「フリー・プログラマの華麗な生活」(現在も連載中)から,その厳しさ,楽しさを垣間見ることができる記事を12,厳選してご紹介します。 連載筆者の中條氏は1960年生まれ。大手SIベンダーに勤めた後,何度かの転職を経て1999年に独立。モバイル・コンテンツ系のシステムをはじめ,Webシステムの開発を得意とするフリーのソフトウエア技術者として10年にわたって実績を上げてきました。 もちろん,現在に至る道は決して,平坦ではありませんでした。しかも最近は,「100年に1度の大不況」で,大きなプロジェクトがいくつもクローズし,首都圏でもソフトウエア技術者は余り気味。中條氏もその例に漏れず,人材派遣会社との仕事探しの顛末を日経ソフトウ

    フリープログラマという生き方
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