まずはっきりさせておこう、「自分探し」など徒労に過ぎない、ということを。 精神分析、とりわけフロイト/ラカンの教えによれば、人は「語る存在」であるがゆえに、癒やされない欠如を抱えている。人は自らを語りつくす言葉をけっして手にすることはない。人は他者の言葉のネットワークの中に「存在させられる」、それだけだ。そしてここから、精神分析がはじまる。 「新世紀エヴァンゲリオン」(以下「エヴァ」)というアニメーション作品がすぐれているのは、まずこの点だ。主人公・碇シンジの「自分探し」は、結局それが想像的に——つまり擬似的に——解消されるか、あるいは探す行為そのものを放棄する以外には終わりようがないということが、とてもリアルに示されている。だからあの最終二話は、あそこに、あのように置かれるしかなかったように見えるのだ。 ところで精神科医として見る「エヴァ」は、きわめて「境界例」的な作品である。 庵野監