時は西暦79年8月24日、イタリアのヴェスヴィオ山の大噴火で発生した火砕流で、当時1万2000人が暮らしていたポンペイ 市に住む人々は一瞬のうちに生き埋めとなった。火砕流の速度は時速 100 km 以上あったと言われており、逃げ出すことは不可能だった。 ポンペイはその後長い間封印されていたが、1748年に再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするための発掘作業が行われた。だが、それまで街を埋めていた灰が除去されて4世紀、全体の4分の3近が風雨にさらされた状態にあり、 劣化進むポンペイ遺跡を1億500万ユーロ(約149億円)をかけて修復するプロジェクトが発足した。 その一環として、亡くなった被災者たちの石膏像も修復された。発掘された当時、火山灰の中は、遺体部分だけが腐ってなくなり空洞ができていた。 考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現し