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ニセ科学批判批判に関するkew-naのブックマーク (20)

  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

    kew-na
    kew-na 2010/09/01
    "彼らから見ればニセ科学批判サイドの批判は「自明に正しい事に対する批判」としかうつらない。"
  • ニセ科学批判は市民運動だと - 「温暖化の気持ち」を書く気持ち

    finalvent さんが書かれています。 そのまえにお詫びを。ニセ科学およびニセ科学批判について、認識不足のままこの日記を書いてしまいました。文末の追記をご覧ください。 朝日社説 米飯給―「教育」のためにも : asahi.com(朝日新聞社) http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100215/1266193668 朝日新聞の社説を引用し、そして、 でも、この朝日新聞の社説などは、しかし、偽科学批判の対象にならないんだろう。偽科学批判は市民運動だし、市民運動は基的に左派なので朝日批判はしづらいのだろう。 えええっっ、って思いました。別に私はニセ科学批判の人ではないのですが。 ニセ科学批判 = 市民運動 = 左派 = 朝日批判はしづらい???わからん。市民運動ってなんなのかな〜? wikipedia:市民運動 市民運動 = 左派はおおむね正しいのか?

    ニセ科学批判は市民運動だと - 「温暖化の気持ち」を書く気持ち
    kew-na
    kew-na 2010/02/19
    finalventさん"その判断は私の知的な領域を越える部分だと認識しています。"
  • 朝日社説 米飯給食―「食の教育」のためにも : asahi.com(朝日新聞社) - finalventの日記

    「身土不二(しんどふじ)」という言葉がある。人間の体と土とは一体だという意味だ。明治時代に軍医の石塚左玄らが起こした「養道運動」のスローガンに使われ、「自分の住む土地の四里(16キロ)四方以内でとれた旬のものをべる」ことを理想とした。 そこからマクロバイティクスになり、トンデモになる。 でも、この朝日新聞の社説などは、しかし、偽科学批判の対象にならないんだろう。偽科学批判は市民運動だし、市民運動は基的に左派なので朝日批判はしづらいのだろう。 仏教の伝統からすると、「不二」は「ふに」と読むのだが、養系の人は「ふじ」と言うことが多いように思う。間違いでもないのかもしれないが、ちょっとトンデモ臭がすることろ。 「身土不二」よって、克山病はやむなし、かな。 ⇒JST中国文献ディレクトリ|克山病(Keshan Disease)と心筋糸粒体病(Mitochondrial of Human My

    kew-na
    kew-na 2010/02/19
    偽科学批判=市民運動=左派=朝日、と嫌いなものをくっ付けて、『癒し』になってるってとこだな。
  • ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 | 社会学玄論

    ニセ科学批判批判に対して、ニセ科学批判者を一般化して論じるなという方がよくいるが、これはニセ科学批判にも色々なかたちがあるということを前提にしての反論である。 しかし、実際はどうだろうか? 確かに、多様なニセ科学批判が乱立している状況ならそうもいえるだろう。残念ながら現実は全く違っているのである。 ニセ科学批判ほど、画一化した思想はない。もともと、ニセ科学批判という創造的な概念を開発したのは、菊池教授である。菊池教授こそが疑似科学批判という概念を一歩前進させ、ニセ科学批判という新しいジャンルを生み出したのである。 そして、多くのブロガーたちを魅了し、自己の思想に賛同する信者をつくってきたのである。確かにネットにおける新型の社会運動として評価できる側面もあるのだが、宗教組織と似た特質が見受けられ、その思想と方法はあまりにも画一的である。 まず、菊池教授のニセ科学批判の考え方に反対するニセ科学

    ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 | 社会学玄論
    kew-na
    kew-na 2010/02/11
    「タンポポグループ」=「たんぽぽのなみだ」のコメント欄の人たち、かなあ。「逝きし世の面影」さんと関係あるのかな?
  • やっぱり不思議:Chromeplated Rat

    しかし、メカさんが考えている「思想の部分に切り込む」どういうことなのか、引用元のテクストを読んでもはっきりしない。 それで認識が違うと言われても、じゃあ説明してください、としかならない。 「思想の部分に切り込む」のなら科学者じゃなくたってできるし、文系のどこかの分野の人の方が得意かもしれない。「思想の部分に切り込む」ことのニーズを呈示できれば、科学以外の分野の人にもっと入ってもらえるかもしれない。 そんなわけで「思想の部分に切り込む」の具体的内容について追加説明がほしいところなんだけど……。 by apj (2009-08-22 01:06) 「思想」を信条、主義、スタンスという意味に広げれば、批判的思考や科学的懐疑主義は思想の一種ですよね。そして疑似科学批判を行っている人たちは、議論の端々で、あるいはまとまったエントリとして懐疑主義について述べているのではないでしょうか。ただ懐疑主義的な

    kew-na
    kew-na 2009/08/25
    時々活きのいい人がでてくるね。/ ○○批判やることの意義って、「自分がしたい、言わずにいられない」じゃだめかな?
  • 疑問を呈しただけで叱られる - 思いて学ばざれば

    と愚痴ってた人が藤田議員を支持するんだろうな。 【kikulog】9.11陰謀論by藤田議員@「そこまで言って委員会」 それにもかかわらず、藤田議員に分があるような印象を受ける人が少なからずいる(らしい)のは、彼が実は「何も言っていない」からでしょう。誰がやったのかと訊かれても「わからない」と答える。わからないが確かにおかしい、というわけです。これは単に逃げなのではなく(逃げてるのだとしても)、非常に巧妙で、視聴者に「たしかに何かがおかしい」と思わせる効果があります。というか、わからないときは「わからない」と言うのが科学的誠実さだ、と僕らも言っているわけです。 菊池教授のこの分析が当たっているとすれば、教授自身による「当の科学はニセ科学のように簡単に白黒を付けられない」という主張を逆用されたことになり、当初の主張を修正する必要があります。いまにして思えば『神々の指紋』に対しても素人考えで

    疑問を呈しただけで叱られる - 思いて学ばざれば
    kew-na
    kew-na 2009/06/20
    わからないから「わからない」というのと、わからないのに「おかしい」というのは違う。
  • 批判と「上から目線」 - 妄想科學倶樂部

    しばしば批判的言論に対し「上から目線で語るな」といった批判を目にする。とりわけニセ科学批判への批判などに多いようだ。 こう言う人はつまり「上から目線」は赦し難いと考えているのだと思われるが、それは何故なのか。 うえ-から-めせん【上から目線】見下したような態度。 批判という行為には少なからず「相手を下に見る」部分が存在する。批判=相手が理解できていない点を指摘する」行為であるからには致し方ない。態度として相手の実力を高く評価するかどうか、といった差はあるものの、批判を行なう以上は批判されべき点に於いて相手の実力を低く見ざるを得ない。 従って、批判に対し「上から目線である」という批判はあまりに当然の指摘であり、意味のあることとは言えない。 にも関らず、何故そのような指摘が繰り返されるのか。 攻撃的態度は大概、劣等感の裏返しである。また明示されない文意の推測は相手の思考トレースというよりもむし

    批判と「上から目線」 - 妄想科學倶樂部
    kew-na
    kew-na 2009/05/08
    "「こいつは俺を見下しているに違いない」という発想は、自身が周囲を見下したいと思っていること、その分野について劣等感を抱いていることを示すものと言える。"
  • ニセ科学まとめ — Y.Amo(apj) Lab

    なお、文部科学省や国大協にまでクレームを送りつけ、事務に電話をかけまくるという迷惑極まりないことをやってくれた(自称)某探偵事務所のようなケースが出てきました。こいつは、電話で「私の自宅に行くぞ」と言い、「来たら警察に連絡する」と 言ったら「警察に連絡する余裕があればいいけどな」という捨てぜりふを言いました。この人物は、不倫復讐代行殺人請負詐欺の犯人として既に逮捕されました。 今後、当サイトに対するクレームは、どこのお役所経由であろうと、いかなる形で届いたものでも手段を選ばず全力をあげて公開いたしますのでご承知置きください。

  • ニセ科学は間違わない - blupyの日記

    前回ニセ科学の定義 - blupyの日記 のつづき (付記)私がここで問題にしているのはニセ科学と科学的な間違いの関係についてです。「科学も間違いをおかしながら発展してきた。なのに科学的間違いをニセ科学としてしまうのはおかしい」という指摘が出発点です。それに対してどう反論していくかについて考えています。その一つとして、反証可能性をニセ科学の基準にすれば、そもそも「ニセ科学は間違えられない」という一言で終わりです。でもそうでないのなら、ニセ科学は「間違わない」とか「科学的間違いはニセ科学ではない」といっただけでは意味がよくわかりません。ニセ科学は現時点の科学から見れば「間違っている」ということを前提にしているからです。 最初に断っとくが、私は「見かけが科学でも、実は科学でないもの」という定義と「科学は間違うがニセ科学は間違えない」という文言が絶対的に矛盾している、といいたいわけではない。ただ

    ニセ科学は間違わない - blupyの日記
  • ニセ科学の定義 - blupyの日記

    http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-03-29で菊池氏が 科学は間違うがニセ科学は間違えられない、といったことをコメントしていた驚いた。 そりゃそうだけど、菊地氏の以前のニセ科学の定義「見かけは科学だが実は科学ではない」と矛盾するのでは。 ここでのポイントは「実は科学的でない」の解釈だが、彼の以前の使用だと、この「科学ではない」というのは科学的に間違っている、という意味でしょう。この定義なら、「水伝は科学でないのにブラインドテストで実験いして証明されているといっているのでニセ科学だ」とか、「心理学の実験で反証されたのに、科学的根拠があるといっている血液型診断はニセ科学だ」という指摘は妥当である。 一方で、「二世科学は間違えられない」というのは反証可能性を科学とニセ科学の区別に用いているということだろう。この場合、「実は科学ではない」というのが

    ニセ科学の定義 - blupyの日記
    kew-na
    kew-na 2009/04/12
    spiklenci-slastiさんのコメントが精緻。自分の一言コメントが恥ずかしくなる。
  • 水伝汚染が広がりつつあるのか? - 瀬戸智子の枕草子

    不見識と言うタイトルでTAKESANさんが挙げているエントリー。 中身はううう===ん、と唸ります。 『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)と言うブログで水伝の江さんが学校教育者相手に講演、さらに美しい(?)冊子を配布という記事につてです。 この問題に関してはapjさんや poohさんもエントリーをあげていらっしゃいます。poohさんは別のエントリーで「迷信」について言及しているのですが、 この内容も面白い。 人は「不幸になりたくない症候群」「幸せになりたい症候群」から、 「迷信」や「一人ルール」をつくるのでしょうか? さて、 さらにさらに国土交通省にも神戸市にも「水伝」汚染?と言う記事は渋谷の亀さんのブログ。調べまくっています♪ うわっ〜〜〜〜〜〜 もう、ウンザリするくらい蔓延っていますね。 めまい、くらくら。 それにしても、 由々しき問題です。 個人的にはこの問題、もっ

    水伝汚染が広がりつつあるのか? - 瀬戸智子の枕草子
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    kew-na 2009/04/03
    逝きし世の面影氏と技術開発者氏
  • かがくきょー - Interdisciplinary

    少なくともこの言葉を使うと、「なにかの質をうまいこと云い表した」ような気分にはなれるようです。 問題なのは、そこで云い表した(と思っている)ことを「質」として、そのあとの議論を組み立ててしまいがちになることだと思います。この言葉を使って、この言葉が含みうるニュアンスを所与のものすることで、来なにを云いたかったのか、自分の論旨はほんとうはなんなのか、と云うことが自分でよくわからなくなったり、気付かないうちにぜんぜん違う方向に思考を組み立てる結果になったり。 まぁレッテル貼り、と云う行為の持つ一般的な危険性のお話ですけど。 例えば「ニセ科学」と云う言葉も同じような危うさははらんでいるわけで、だからこの言葉の持つ意味合いやニュアンスについて継続的に考えていくことが必要になるわけですよね。

    かがくきょー - Interdisciplinary
    kew-na
    kew-na 2009/04/03
  • 「科学教」:Chromeplated Rat

    syokunin-2008さんの新興カルト宗教化した『ニセ科学批判』と云うエントリを読んだ。 この混乱がブッシュの二元論に近い『ニセ科学は悪』などと言う単純な道徳を振りかざす非科学的な『ニセ科学批判』のような新興カルト宗教が生まれる要因ともなっている。 このカルト集団は自分たちでは決して宗教であるとは思っておらず化学的であると信じているので、外からの一切の批判は受け付けない。 こと批判を一切受け付けないという『特徴』は正にカルトならではの特色であるが特にニセ科学批判には顕著に見受けられる。困った事です。なんだか循環した記述なので意味をちゃんと取ることが難しいのだけれど(外からの一切の批判は受け付けないから新興カルト宗教なのか、新興カルト宗教だから外からの一切の批判は受け付けないのかわからない)、それはまぁ措くとして、まず批判を受け付ける、と云うのが誰に対するどんな批判に対してどのような行動

    kew-na
    kew-na 2009/04/03
    逝きし世の面影氏がしたかったのは陰謀論批判批判だったらしい。
  • 新興カルト宗教化した『ニセ科学批判』 - 逝きし世の面影

    『NHKムペンバ効果に見る社会の幼児化』 水の結氷の様な単純な現象でも外気の温度だけではなく風の向きや風力、結晶の核と成る埃や不純物の有無、過冷却を止める振動なんかまで影響してきます。 ましてや秋葉原無差別殺人の原因なんかは無数の要因が複雑に絡み合っている社会現象の一つです。 ところが最近は善悪二元論に近い暴論がまかり通る困った世の中になってきてしまいました。 なんでもブッシュが悪いと言ったのでは、何でも悪いのは日教組のせいにする中山成彬見たいでかっこ悪いが『ブッシュや小泉、麻生風の二つに一つの二元論的な考え方』が蔓延ったのが一因です。 ある程度の社会経験があれば決して陥らない単純思考で、社会全体の幼児化現象でしょう。 物事は一つや二つの簡単な原因では起こらない。 単純には善悪は判断すべきではなく、色々な要素が複雑に絡み合って出来上がっている社会に対して大人としての慎重な考察が必要に成って

    新興カルト宗教化した『ニセ科学批判』 - 逝きし世の面影
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    kew-na
    kew-na 2009/02/22
    「禁煙運動はファシズム」とおっしゃるかたを思い出した
  • 「ニセ科学」という概念とカテゴリーの持つ問題について

    この記事はそのブログの建前として、毎日新聞科学欄の記事に即して書いたものだった。その時はあまり系統的に、また緻密に考えることはなかったのだけれども、その後もこの問題については色々と考えざるを得ず、折を見て考えをまとめようと試み、今回一通り納得がゆくようにまとめる事ができたと思う。 「ニセ科学」という言葉、概念を根拠にある種の言説を批判する立場 の多くは、建前上、そういう理念的というか理想的な科学を根拠にそういう批判を行っている訳だが、実際、現実にはそういう理念的な科学ではなく、現実のコミュニティーの内実から沸き上がってくるような批判を行っているという事ができそうな気がする。というのは、次のような事情があると思うのである。 現実の科学はオーソリティーをよりどころとする1種のコミュニティーの存在抜きには存在し得ないものである。プラトン以来、ギリシャから世界各国に引き継がれ、日ではそういう名前

  • 偽科学発見テスト - finalventの日記(Sundaland 2008/12/05 07:49)

    以下のエントリは、当初「偽科学発見テスト」と題されていて、科学的な言説と非科学的な言説をどう考えるかという、一つのテストケースとして考えていました。 想定していなかったいくつかの契機があり、また私の考えも変わったので、その点については、書き改める予定です。 変化の経緯⇒Eijkman shared the 1929 Nobel Prize... - finalventの日記 以下は、それまでの過去の経緯として、ご関心のあるかたはその心積もりで参照してください。 ウィキペディアの以下の項目に含まれている引用部分は、極めて偽科学的説明である可能性が高い。科学的説明の逸脱とその理由を説明しなさい。 ⇒脚気 - Wikipedia 江戸時代の江戸では、富裕層のあいだで玄米に替えて精米された白米をべる習慣が普及し、将軍をはじめ富商など裕福な階層に患者が多かった。江戸時代末期には一般庶民も発症し、江

    偽科学発見テスト - finalventの日記(Sundaland 2008/12/05 07:49)
  • 正論という名の暴力=ニセ科学批判 | 社会学玄論

    驚く事なかれ、ネットで検察すると、水伝、マイナスイオンゲーム脳、血液型性格判断については、対象そのものよりも、批判的に対象を観察をした者たちによる間接的情報の方が圧倒的に多い。つまり、我々はある人々(=ニセ科学批判者)の価値観に基づいた間接的情報をまず目にすることになる。 社会心理学において、コミュニケーションの二段の流れという学説がある。ある対象や出来事についての情報は、中間集団の濾過を経て、間接的に人々に伝わるというものである。例えば、政治問題は、労働者の所属する労働組合のオピニオンリーダーの解釈を通じて、労働者たちに伝わる。ここで重要な点は、対象にまつわる知識は、対象そのものから直接得たのではなく、すでに特定の他者や集団の価値観に染められた間接的情報であるという点である。つまり、ネットに溢れる水伝、マイナスイオンゲーム脳、血液型性格判断に対する知識は、すでにニセ科学批判者たちの共

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    kew-na
    kew-na 2009/02/06
    titton氏、やす氏
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