宗教に関するkikuutanのブックマーク (17)

  • ファクトフルネス「犯人捜しの本能」を仏教の視点から解説する - 親鸞に学ぶ幸福論

    【自因自果(1)】 世界的ベストセラー『FACTFULLNESS』には、 私たちが持つ10の思い込み能が紹介されていますが、 その一つに「犯人探しの能」というのがありました。 以下はその引用です。 ーーーーーーーーー 誰かを責めることに気持ちが向くと、学びが止まる。 一発らわす相手が見つかったら、そのほかの理由を見つけようとしなくなるからだ。 そうなると、問題解決から遠のいてしまったり、また同じ失敗をしでかしたりすることになる。 誰かが悪いと責めることで、複雑な真実から目をそらし、正しいことに力を注げなくなってしまう。 ーーーーーーーーー これはどこにでもよくあることで、 たとえばある工場で生産のラインが止まってしまった、 工場長が調べてみると、ある工員の居眠りだった、 その工員をこっぴどく叱りつけ、それで終わり。 犯人を捜し出して制裁するまでが仕事だ、 とこの工場長は思っているので

    ファクトフルネス「犯人捜しの本能」を仏教の視点から解説する - 親鸞に学ぶ幸福論
  • Googleのムーンショットなどこれと比べると取るに足らない、人生の最大の事業とは何か - 親鸞に学ぶ幸福論

    【後生の一大事(1)】 Googleが不老不死の薬の開発に15億ドルを投じ、 この事業を「ムーンショット」と名付けました。 かつてアメリカが国家の威信をかけて臨んだ月面着陸アポロ計画に匹敵する事業である、 との誇りからの命名です。 この事業には世界中の富豪たちが強い関心を寄せ、 一日も早い完成を熱望する彼らのよる投資、支援が相次いでいます。 「老化しない」劇的な効果のある薬を最初に手にするのは一握りの金持ちからでしょうが、 それもやがて安価になっていき、 多くの人が老化しない体を手に入れる時代が近い将来くるかもしれません。 しかしそれでもやはり問題先送りするだけで、 人類が老いと病と死から解放されたことにはなりません。 昔、結核は不治の病と呼ばれ、1930年代には日の死因として1位に挙げられる恐ろしい病気でしたが、 現在は、結核で亡くなる人はほとんどおらず、代わりに浮上したのが、 ガンや

    Googleのムーンショットなどこれと比べると取るに足らない、人生の最大の事業とは何か - 親鸞に学ぶ幸福論
  • とにかくこの病気を治したいという人に - 親鸞に学ぶ幸福論

    【病苦(1)】 仏教に教えられる『四苦』(人間が避けられない四つの大きな苦しみ)の一つが『病苦』です。 文字通り、病気の苦しみのことです。 「病」という字は「やまいだれ」の中に「丙」と書きますが、 これは「どの病も甲乙つけがたい」から「丙」と書くのだそうです。 病気になると、かかった人は「自分の病気が一番辛い、こんな辛い病気は他にない」と思います。 リウマチの人は 「手足の痛みが激しくリウマチほど辛いものはない、何の因果で自分はこんな病気にかかったのか」 と我身の境遇を呪います。 めまいで苦しむ人は、 「朝から部屋がぐるぐる回って気持ち悪くて仕事どころではない、こんな嫌な病気はない、どうして私ばかりがこんな目に」 と悩みます。 このように、自分の病気ほど辛いものはないと病気にかかった人は皆思うところから 病は甲乙つけがたし、よって「丙」、なのですが、 漢字のつくりからも病気のつらさがよく分

    とにかくこの病気を治したいという人に - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 何をするにも人の目を気にしている名誉欲に振り回される人間 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【名誉欲(1)】 親鸞聖人は「名利の大山に迷惑す」と告白されています。 “名誉欲が大きな山ほどあって、親鸞は煩い悩んでいる” この告白は聖人お一人のことだけでなく、すべての人間の実態といえましょう。 「名誉欲」とは、人からほめられたい、好かれたい、認められたい、大事にされたい、無視されたくない、もっと尊重してほしい、ぞんざいな扱いを受けたくない、見下げられたくない、という人間の欲求です。 この名誉欲を満たすために、私たちはあれこれ模索し、悩み、うろたえています。 「どうしたら認められるだろうか」 「どうしたら大事にされるだろうか」 「どうしたら評価してもらえるだろうか」 労働者も資家も、官僚も大臣も、教師も生徒も、夫もも、親も子供も、 お互い「どうしたら良く思われるか」の名誉欲に振り回されているのが実態です。 何を着ていくか、誰とどんな話をするか、 そんな一つ一つの行動も、 他人からど

    何をするにも人の目を気にしている名誉欲に振り回される人間 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 神信心の不拝を強調された親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【かなしきかなや(2)】 親鸞聖人は「天神地祇をあがめている」ことを 「かなしきかなや」“嘆かわしいことだ”と書き残されています。 「天神」とは天の神、「地祇」とは地の神です。 日人は何しろ「神」と名が付くものがあると、 手を合わさないとバチが当たる、とでも思うのか、 毎年正月になると神社に行って頭を下げ クリスマスには教会で神を称える賛美歌を歌い、 ちょっと形のいい岩や大木があると神が宿っているとし、 しめ縄貼って、これまた頭を下げています。 中には仏教の僧侶でありながら「神仏一体」なる経典にはない言葉を振り回し、 「神社に祀られている神も仏と一緒」と吹聴し、 「何であれ手を合わせることはいいことだ」と放言する始末です。 お釈迦さまは仏教を学ぶ者に対して 「天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ」 と般舟経にて諭されています。 それで親鸞聖人も 「天神地祇をあがめるな」「天地

    神信心の不拝を強調された親鸞聖人 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • あと1週間の命と思って日々を過ごせ - 親鸞に学ぶ幸福論

    人生の目的(3)】 ルソーは「人間は呼吸するために生きているのではない。何かをするために生きているのだ」と言いました。 その“何か”とは何か、はっきりしている人がどれくらいいるでしょうか。 何のために生きているかわからない人間の実態を室町時代の禅僧一休は、 「人生は て寝て起きて 糞たれて 子は親となる 子は親となる」 と詠みました。 こう聞くと「て寝て起きて糞たれて、それだけが人生か」と思いますが、 その「それだけ」がいかに大変なことか。 べていくのも大変です、お金が要る。 寝て起きて、だって簡単ではない、住むところを確保しなければならない。 その時にまず先立つのはお金です。 お金がなければ、そのために働かなければ。 働き続けるには、心身共に健康でなければ務まらないですし、人間関係も大事になるし、資格や才能も要求される。 そのためにはどうしたらいいか。 畢竟、人間の営みは「どうし

    あと1週間の命と思って日々を過ごせ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 仏教の見地からキリスト教の教えとの違いを語ってみた | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • AI時代の人間のあり方を問う - 親鸞に学ぶ幸福論

    【信心(1)】 AI(人工知能)の躍進はめざましく、 つい10年前までは人工知能がチェスや将棋に勝った程度の話題が報じられていたのが、 今や医師の診断もAIに頼った方が誤診がなく、 会社でも社長や上司の判断よりもAIの方がずっと収益が上がり、 政策の決定も国会の議論よりAIの方が多岐にわたる情報を総合的に判断でき、 車の運転もAIに任せた方が事故が少なく、 あらゆる分野の次世代はAIが牽引するようです。 このようにAIが人間の智恵を凌駕するようになると、 人間の尊厳、人間の価値はどうなるのか、と危惧する声も聞かれます。 この時代に生きる私たちは、 いよいよ「人間とは何か」真面目に問い直す必要がありそうです。 では人間にあってAIにはない、人間ならではの特徴とは何でしょうか。 一ついえることとして、人間は「疑う」ことができます。 逆に「信じる」こともできます。 この「信じる」とか「疑う」とい

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    kikuutan
    kikuutan 2019/10/16
  • トルストイが命をかけて欲したもの - 親鸞に学ぶ幸福論

    【生きる意味(1)】 「トルストイの如きは日の法然や、親鸞の宗教を知ったら、誰よりも先に随喜する人ではなかったかと思うのだ」 『出家とその弟子』で知られる作家の倉田百三の言葉です。 倉田百三はこう書き残した心情をよく知るには トルストイが求めたことは何だったのか、 また法然・親鸞両聖人は何を教えられたか、 ということがわからなければ、理解することはできません。 19世紀を代表するロシア小説家、トルストイは、 30代から40代にかけて『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などの名作を世に出し、 文豪としての地位を不動にしました。 ところが世界的名声を得たその頃から人生の無意味さに苦しむようになり、 それは自殺を考えるまで激しいものでした。 その精神的懊悩を彼自身が告白したのが『懺悔』という随想録です。 「私はつねに人生の意義の探究に向かって突き進んだ」と始まる『懺悔』は、 「人はなぜ生きる

    トルストイが命をかけて欲したもの - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 人工的な信仰体験に気をつけよ - 親鸞に学ぶ幸福論

    【信心(1)】 ナチスがヒトラーの演説の際、 照明、効果音など心理学的効果を巧みに駆使して大衆を興奮させたのはよく知られていますが、 あれから70年以上経ち、今や五感を刺激するテクノロジーも当時の比でなく、 多種にわたる強烈な薬物も開発され、 それらを使っての大衆を扇動するテクニックは格段に進歩しており、 実に危なっかしい時代です。 以下の言葉は入院先でモルヒネを処方された人が言っていたことです。 「あまりの激痛で意識が朦朧として、 “痛い痛いもういっそ殺してくれー!!”くらいの気分だったんですが、 モルヒネを摂取すると突然周りにお花畑が出現して “まあ今はめっちゃ痛いけどそれも含めて人生って美しいよねうふふ幸せ”みたいな気分になりました」 薬物は人間の心理状態を簡単に変えてしまうことに末恐ろしさを感じます。 また現代のマジックは最先端のテクノロジーを駆使すれば、 浮いたり、消したり、人の

    人工的な信仰体験に気をつけよ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 日本に滞在する外国人との接し方で思うこと - 親鸞に学ぶ幸福論

    【布施(2)】 イタリア文学者の須賀敦子さんは、 日とイタリアの文学作品の翻訳を通して、 両国の交流に多大な貢献を果たした人ですが、 意外にも学生時代はフランスに熱い憧憬があり、 フランス文学を学ぶために留学したそうです。 そんな彼女がどうして20代半ばにしてイタリア文学に転身したのか、 その理由をエッセイに明かしていました。 留学先のフランスでは絶えず自分の話すフランス語をけなされ、 そのうちコミュニケーションを取るのも萎縮してしまったそうです。 ところがその後、イタリアへ移り住むと、 わずか二か月で、日常に不便の無い程度に話せるようになったとのこと。 その理由は、彼女が新しい表現を覚えるたびにイタリア人が、 「ブラーヴァ(うまい)」とほめてくれ、 イタリア語を話すのが楽しくなったからだったそうです。 フランス人は一人の日人留学生のしゃべるフランス語をダメ出しし続けたばかりに、 多く

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  • 聖徳太子の十七条憲法に学ぶ『人間』 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【凡夫(1)】 人間関係で知っておきたい大事な心得の一つは 「自分が正しい、相手が間違っている」と思い込まないことです。 相手は悪人で自分は正義、 相手は加害者で自分は被害者、 こう決め込んで話し合いのテーブルにつくと、 カッカしてしまい、話し合いにならなくなります。 相手の罪状を洗い出し、心の中で裁判が始まり いかに相手がひどいことを言ったか、 いかに自分がひどいことをされたか、 を立証することに躍起になってしまいいます。 そして相手の罪状を並び立ててば立てるほど、 ますます相手が悪人に思え、憎しみはその人の心に深く刻まれてしまうのです。 仏教が日に伝来した際、多大な貢献を果たした聖徳太子は こういうことをよくよくご存じだったからでしょう、 有名な十七条憲法の一節にこうあります。 【我、必ず聖にあらず。彼、必ず愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ】 「私が必ずしも正しいとはいえない。 彼が必

    聖徳太子の十七条憲法に学ぶ『人間』 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • ベルグソンやユングを降霊術に迷わせたものとは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【迷信(1)】 19世紀のヨーロッパでは降霊術が大流行し、 ベルグソンやユングといった著名な学者も熱を上げたそうです。 なんで世界的な学者があんな怪しいオカルト儀式にはまったのか、 と首をかしげる人もあるかもしれませんが、 何もおかしなことではありません。 知識や学問で迷信は払拭できないからです。 19世紀のヨーロッパでは、科学の進歩が著しく、 今まで聖書や教会が語ってきた真理が空想、妄想であったことをが次々と暴露されていきました。 その結果、科学は神に代わって真理の座につきましたが、 科学は人間の苦悩のすべて解決するわけではありません。 「なんで私ばかりがこんな目に遭うのか」 「死んだらどこへ行くのか」 「生まれてきた意味があるのだろうか」 こういった人生質的な問いを前に、科学はあまりに無力です。 科学だけでない、医学も、経済学も、心理学も、その他諸の学問は 人生の意義に対しては、何

    ベルグソンやユングを降霊術に迷わせたものとは - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 動物には心はあるのか、ないのか - 親鸞に学ぶ幸福論

    【宗教(1)】 キリスト教では、神が人間に不滅の魂を与えた、と教えます。 不滅の魂を持っているのは人間のみで、動物は魂がない、と教えるキリスト教の世界観では、 動物の立ち位置は「エキストラ」であり、「人間の物」です。 エホバの神は「動物を支配せよ」「動物はお前たちの物だ」と、 動物の家畜化や殺害にお墨付きを与えています。 17世紀の哲学者デカルトは、 心で何かを感じたり、渇望したりするのは人間だけで、 他の動物はロボットや自動販売機と同じで心を持たない自動機械だ、 と述べています。 「なんてごう慢な」とあきれますが、 これは別に珍解釈でも何でもなく、 キリスト教の世界観が基軸だったデカルトの時代のヨーロッパでは、 広く受け入れられた考えでした。 人類がこんなごう慢な思想を身につけたのは、いったいいつ頃からなのでしょう。 まだ狩猟採集民だった時代には、自分だけが心を持っており、動物には心

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  • 【仏教の特徴】ひとことで言うと、他の宗教と仏教はどう違うの?

    こんにちは。小野ひかりです。 仏教、あるいは宗教に関心を持ち始めた時に、まず知りたいことは世界に多数ある宗教は、どこがどう違うのかという疑問だと思います。 私は仏教を学び始めて7年になりますが、学んでみて初めて知った他の宗教と仏教の違い、また仏教の特徴について、今回は書いてみたいと思います。 これから仏教を学んでみたいと思っている方への一助になれば嬉しいです。 あなたの宗教は何ですか? 海外に住んでおられた方で「あなたの宗教は何ですか?」と問われた経験がある方が多いと思います。 国によっては入国審査で宗教を問われ、「no religion」(無宗教)と答えると不信者に思われる場合があります。 「あなたは何も信じていないのか」と怪しいやつだと思われ、入国拒否されることさえあります。 私はカナダに1年住んだことがありますが、時々宗教について尋ねられ、その都度戸惑っていました。 あえて言うならば

    【仏教の特徴】ひとことで言うと、他の宗教と仏教はどう違うの?
    kikuutan
    kikuutan 2019/04/03
  • 「常識」とは何か。「すべては空言だ」と説く仏教 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 私たちが正義、道徳、常識と呼んでいるものは、時代や場所によって大きく変わります。 親鸞聖人はそんなコロコロ変わる私たちの思想・信念・価値観を「万のこと・皆もって、空言・たわごと・真実あることなし」と言われています。 今回は「常識」「道徳」「世間の評価」といわれるものの実態について話をいたします。 常識とは間違いないものか 日人は子供の頃から「人様に迷惑をかけるようなことだけはするなよ」とか「世間さまに笑われるような人間にはなるなよ」とか、言われて育ちます。 理不尽なことでも年長者から「世間とはなぁ、そう

    「常識」とは何か。「すべては空言だ」と説く仏教 | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • どの宗教も、同じ宇宙の法則だと主張する人に言いたいこと - 親鸞に学ぶ幸福論

    【宗教(1)】 「キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、どの宗教でもいい。どれも同じだ」 と言う人が時々いますが、 私はそんな人は「どれも知らない人ではなかろうか」と疑わしくなります。 世界の三大宗教が(そのいずれでもいいですが)どんな思想宗教か、 基的なところだけでも学んだ人ならば、 「どれも一緒だ」とは、いくら何でも言えるはずがないからです。 それでもまだキリスト教とイスラム教は ユダヤの聖典をルーツとする「アブラハムの宗教」「契約の宗教」ですから、 多々、同じ教義はありますが、 仏教とアブラハムの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)とでは、著しく違います。 根的な教義で「右に行け」と「左に行け」ほど違うものを、 もし「一緒だ」と主張するなら、 両者の真反対ともいえる教義の違いが、なぜ「一緒だ」といえるのか、 納得できるように説明できなければならないでしょう。 (納得できる

    どの宗教も、同じ宇宙の法則だと主張する人に言いたいこと - 親鸞に学ぶ幸福論
    kikuutan
    kikuutan 2019/02/19
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