諸行無常に関するkikuutanのブックマーク (7)

  • 死ぬことを真面目に見ることが幸せの第一歩だと説く仏教 | 生きる意味が分かる親鸞の教え

  • 雪の結晶の観察が育む心 - 親鸞に学ぶ幸福論

    【人身受け難し(1)】 この画像は雪の結晶です。 このように雪はみなきれいな正六角形の形をしています。 歴史上最初に顕微鏡で雪の結晶を見た人は、 まさか雪の一粒一粒の氷にこんな幾何学的な美しさがあるなんてと、 さぞこの自然の造形にさぞ驚いたでしょうね。 しかもです。 この雪の一粒一粒には、一つとして同じ結晶の形はないのです。 雪の結晶は15世紀に発見され、 以来多くの人がスケッチしてきましたが、 最近ではスマホのカメラでも 接写モードで雪の結晶を観察できるそうで、 子供たちが冬休みの自由研究でスケッチするようになりました。 スケッチしていく過程で子供たちは、 雪の一粒一粒にも愛着がわいてくるのか 「これがあっという間に溶けてしまうなんて悲しい」 と感想を書いてくるそうです。 はかなく小さいものにも心を寄せる感性を育むという意味でも、 雪の結晶の自由研究は意義がありそうです。 最近トランプ

    雪の結晶の観察が育む心 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 死は直前まで本性を隠す。「生死の一大事」とは - 親鸞に学ぶ幸福論

    【生死の一大事(1)】 東京都の病院で人工透析を中止し、死亡した患者が6年間で24人あったと報道され、物議を醸しました。 院長は「医師が積極的に透析見合わせの選択肢を示したことはない」、 「透析の再開を望む患者の意思に反して再開を行わなかった事実も一切ない」と強調しました。 いわゆる「人の強い希望により、人工透析を中止したのだ」との主張です。 「回復が望めない終末期に透析を続けるかどうか」という 人工透析の見合わせ問題は、どの病院でも大小の差はあれ、直面している問題であり、 今後、まずます高齢化に向かっていく今日の日の直近の課題であり、 しかもこのテーマは医学だけでは解決しない難しさを含んでいます。 大きく分ければ二つの意見があります。 一つは「医師が患者に透析中止の意思を尋ねるのは“死にますか”と聞くのと同じだ、患者に判断させるべきではない」という意見。 もう一つは「医師が治療に関す

    死は直前まで本性を隠す。「生死の一大事」とは - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 「老いる」という人生の実態を直視されたブッダ - 親鸞に学ぶ幸福論

    【老苦(1)】 カピラ城に太子として生まれられたお釈迦さまが 出家される動機になったエピソードが『四門出遊(しもんしゅつゆう)』です。 『四門出遊』には、東の門を出られたシッダルタ太子(のちのお釈迦さま)が、 「老い」の実態に驚かれたエピソードが記されています。 ーーーーーーーー 太子が東の門を出ると、活気づいた町並みが広がっている。 町を見渡していたとき、太子の目にとまったのが老人であった。 その時、太子は思った。 「哀れな.......。 老いるということは、 腰が曲がり、歯は抜け、 歩くこともままならず、 邪魔者扱いされてしまうことなのか。 自由に飛び回りたいのに、 老いた身体という牢獄に閉じ込められ、 自由を奪われている。 今、若きを楽しむ私にも 必ず年老いる未来が来る。 私は衰える体で苦しみ、 生きていかねばならぬのか」 ーーーーーーーー それまでのシッダルタ太子は城中で、 自信

    「老いる」という人生の実態を直視されたブッダ - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 令和時代に向けて書いたブログと出会い・別れを繰り返す人生 - 親鸞に学ぶ幸福論

    新元号は「令和」になりました。 響きは近未来的です。 今後「令和の歌姫」「令和の怪物」といわれる人物も現われるんでしょうね。 厳しい寒さのあと、春の訪れを告げるように梅の花が咲く、 との意味があるとのことで、 3年前に書いた記事の内容とピタッとくると思ったので、再掲いたします。 http://kikuutan.hatenablog.com/entry/2015/02/12/155421 では改めて今日の仏語は【旅人】の3回目です。 ========= お釈迦様が人生を旅に譬え、人間を旅人に譬えられているのは、 昨日から今日、今日から明日へと、一カ所にとどまれず、時間の旅をし続けている有様と、 さらにその人生行路は平坦なものではなく、山あり谷ありで難儀することを過去2回でお話ししました。 今回は「なぜ仏教では人生を旅に譬えられているのか」その3回目です。 旅をしていると、出会いと別れを繰り返

    令和時代に向けて書いたブログと出会い・別れを繰り返す人生 - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 諸行無常の冷厳な事実と、それに気付かぬ人間の迷い - 親鸞に学ぶ幸福論

    【諸行無常(1)】 仏教に『諸行無常』という言葉があります。 『諸行』とは、「すべてのもの」。 「行」という字が使われているので「すべてのもの」という意味だと思われないかもしれませんが、 この「諸行」は、そういう意味です。 「無常」とは「常がない」「続かない」ということ。 この世でずっと続くものは何もない、 世の中の一切のものは移ろい変わっていく、 一つとしてずっと変わらないものは何もない、 と説かれているお釈迦様の教えを『諸行無常』というのです。 この『諸行無常』の教えは、仏教の三法印の一つです。 三法印とは、他の宗教にはない仏教ならではの教え、仏教の特色といえる三つの教えのことです。 その一つが『諸行無常』の教えですから、極めて大事な内容です。 一切のものは続かない、ということは、 あなたの今触れているスマホやパソコンもいつか壊れるということであり、 今おられる部屋もいつか崩れる、とい

    諸行無常の冷厳な事実と、それに気付かぬ人間の迷い - 親鸞に学ぶ幸福論
  • 「諸行無常」の世にあって変わらぬ幸せがあると説くブッダの教え | 生きる意味が分かる親鸞の教え

    こんにちは、菊谷隆太です。 東京、大阪、名古屋を中心に仏教講座を主催する仏教講師です。 専門は浄土真宗で、「教行信証」「歎異抄」を学び、皆さんにもお伝えしています。 このサイトは「どんな人にでも生きる意味がある」と宣言された親鸞という方の教えを知っていただきたいと思い、開設いたしました。 仏教に『諸行無常』という言葉があります。 『諸行』とは「すべてのもの」。 『無常』とは「常が無い」「続かない」こと。 すべてのものは移ろい変わる、これだけは変わらないというものは世の中にない、という真理を、仏教では漢字4字で『諸行無常』というのです。 今回は『諸行無常』の実相を、数々の事例を通してお話しします。 諸行無常の世に涙するスキピオ いま私は自分の家でパソコン使ってこの文章を書いていますが、このパソコンも5年目だし、そろそろ壊れるかもしれません。このパソコンを置いている机もやがて壊れます。 この家

    「諸行無常」の世にあって変わらぬ幸せがあると説くブッダの教え | 生きる意味が分かる親鸞の教え
  • 1