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2006年9月3日のブックマーク (12件)

  • 【第3回】“モテ”と“キャリア”の歴史その2 (3ページ目):日経ビジネスオンライン

    記事、コメント拝見させて頂きました。女性は自分を磨いてきたとおっしゃってましたが当でしょうか?「磨く」という表現をしているだけで、実際はエステに行って、綺麗な洋服を買って、おいしいものをべて、好きな趣味旅行お金を費やして。これは「磨く」ではなく単なる自己満足・自己顕示欲を満たすためのものではないでしょうか?これらのため(だけとは言いませんが)に就業し、両親のもとでパラサイトとなる。このような女性が多いのではないでしょうか?逆に男性は毎日夜遅くまでサービス残業し、昼は牛丼、その上いつリストラ・倒産するのかもわからない。このような社会でも、将来、家庭を持って養いたいと思っているので必死に戦っているではないでしょうか?そもそも女性が魅力を感じる男性は年収学歴、身長、ルックスかもしれませんが、男性が魅力を感じる女性は高学歴でも高収入でも、ファッションセンスでもありません。いっしょにいて幸

    【第3回】“モテ”と“キャリア”の歴史その2 (3ページ目):日経ビジネスオンライン
    kir_royal
    kir_royal 2006/09/03
    女力って何?
  • 083. 百合の功罪

    百合ブームの隆盛 「マリみて」で急速に盛り上がった百合ブームは、まだ衰えることを知らないようです。一介のレズビアンの目から見ると、この百合ブームにはいい面も悪い面もあるような気がします。ジャンルが熟成して棲み分けが進めば悪い面も減ってくるのかな、とも思うのですが、日のエッセイのテーマはこの百合ブームの功罪についてです。 百合ブームの「功」の部分 まず、女の子同士の関係を描いた創作物が増えたこと。どっちを向いても凡百の男女間ラブストーリー(または男男間ラブストーリー)ばかりという状況に、「男になんざドキドキしねーんだよっ!」と思っていた身としては、砂漠でオアシスに出会ったような思いがします。屋に行ってもDVDを見ててもネットしてても女×女ストーリーの物を普通に見かけるというのは、もう当に夢のようです。 そして、作品の全体量が増えるということは、ジャンル全体の質も向上するということです。

  • 物語のルールインフレ - 萌え理論ブログ

    作品名 インフレの内容 ドラゴンボール 強さのインフレ エヴァンゲリオン 語りのインフレ いわゆる『ドラゴンボール』の「武闘会形式」とは、スカウターの数値的により強い敵が出現する、というRPGのような構造を指すだろう。次々に強い敵が出てくるので、常に読者の興味を惹きつけておくことができるが、同時にある種の表現の貧しさを感じさせる。 『エヴァンゲリオン』以降の「セカイ系」形式においては、敵が強くなる変わりに物語の興味が、実存的かつ抽象的なものに段々変形していき、最後には破綻してしまう。これを「語りのインフレ」と呼ぶ。そもそも敵が強いかどうかが、語り手の関心になくなっていく流れだ。 更に一般化すれば、「ルールインフレ」とでもいうべき現象が、セカイ系の作品群に見られる。具体的にはルールを上書き更新することで、例えば『ひぐらしのなく頃に』ではミステリのルールに上書きしたためにプレイヤーの間で議論が

    物語のルールインフレ - 萌え理論ブログ
  • REVの日記 @はてな たとえばなし:百円で料亭に

    受注企業に天下り集中 F2開発の防衛庁幹部 http://www.asahi.com/national/update/0902/TKY200609020329.html 三菱重工の場合、04年度に技と結んだ契約額の総額は190億円。これに対し、同社のこの年の売上高は約2兆1000億円にのぼり、「25%」は5250億円、「1%」でさえ210億円になるため、規制対象には該当しない。他の防衛関連の大企業も同様で、売上額が巨額な大企業に対しては規制が歯止めになっていないのが現状だ。 参考 http://www.defensenews.com/content/features/2005chart1.html パレートの法則(20対80の法則)は、ビジネスの分野で重要視されていますが、なんで重要かというと、もう一つの微積分である「ランチェスターの法則(戦力集中の原則)」と非常に親和性が高いからです。

    REVの日記 @はてな たとえばなし:百円で料亭に
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  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • Webマガジンen 「リベラルな優生学」の到来

    いろいろなところで「管理」への要請が強くなってきているのが感じられます。しかし一方で「管理」という言葉には、自由を阻害するものとしての否定的な意味合いがあるのも確かです。様々な角度から「管理」をとらえたときに何が見えてくるのか――各界気鋭の研究者の方々にご寄稿いただきます。 岡裕一朗 おかもと・ゆういちろう − 1954年生まれ。玉川大学教授。専攻は哲学・倫理学。ヘーゲル以降の近・現代思想を研究し、現在は「モノ化するヒト」をテーマに執筆中。 著書に『ポストモダンの思想的根拠――9・11と管理社会』、『異議あり!生命・環境倫理学』(ともにナカニシヤ出版)、共著に『差異のエチカ』(ナカニシヤ出版)、共訳にネーゲル『哲学ってどんなこと?』(昭和堂)など。 コントロールという言葉を聞いて、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。もしかしたら、カルト教団の「洗脳(マインドコントロール)」や国民をが

  • ディスコミュニケーションを物語へと広げる漫画 - ピアノ・ファイア

    http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/404f1f925c840fd949fc66c7f96d692e kamimagiさんの『いいひと。』感想を読んで。 つーか、ここまで相手の意図が伝達しきれない話ってのがすごい。 でも、たいていは相手の意図が途中まで伝達されないが、最終的にはいい方向で伝達される。 勘違いされても、結局なんだかんだで伝わるというのもシリアスコメディともに通低してる。 つーか、これは読んでくれるとわかる。 いま、ネカフェで書いてるから細かい説明ができないので、だれか俺の言いたいことをわかりやすく精密に説明して書き直してくれる人ぼしう。 kamimagiさんがスクラン読んでるかはわかんないんですが、多分ウチの《スクラン考3:双方向を目指す想い(1/2)》における「ディスコミュニケーションを前提にしたコミュニケーション」の概念を使えば説明しやすい筈

  • 百合「的」作品をちょっと分類してみた。 - たまごまごごはん

  • もう、キャラクターが記号化とか真顔でいえる人は想像力が無い人だとしか思えない。 - モノーキー

    ■属性にその物語固有の意味づけをする。記号から生まれる世界観。 kanonにおける奇跡とかアクエリオンにおける合体じゃないけれど 一つの「言葉」からいろんな意味を引き出せるように「記号」からもさまざまな意味を引き出せるって話。 いろんな意味を「言葉」や「記号」に背負わせる事で物語に深みを与え、構造や世界観を多様化させ複雑にする。 ITmedia +D Games:PCゲーム恋愛シミュレーションと、そのコンシューマー化について考えてみた (1/2)(via:はてなブックマーク) >吉田氏はまた、現在の状況を見るとキャラクターが記号化していると語る。「メガネや金髪といったキャラクターを並べてしまえばゲームができあがる現状。これをプレーヤーも無批判に受け入れている。このままでは差別化できなくなって、そのまま喪失へ向かう危険性もある」 喪失するのはたぶん吉田氏の脳味噌でしょ。 勝手

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  • 不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞

    はじめに 前回私は、やおいに描かれる「究極の愛」は往々にして依存的・非対等的であると指摘し、その一方で、自立的あるいは等身大のセルフイメージを投影できる女性像を描いているということも指摘しました。今から書くことをちょっとだけでも注意して読んで欲しいのですが、これから書くこと内容によって、おそらく私は結局なくてもいいような混乱を引き起こすかもしれません。というかたぶんそうです…。 ただ、やおいを含めたサブカルチャーを、社会や主体に引きつけて考え発言することは、それ以上に余計な問題を惹起してしまうだけなのでしょうか。だからそんなことは置いておいて、表現論やメディア論に特化して論じるべき?いや、そうじゃない。私はそうは思いません。余計な問題を引き起こすのならなおさら、漫画論をお互いの思想を押しつけあう場所として捉えるのではなく、それを包括した、新たなステップに立つために、作者や読者、そして社会の

    不自由であることより、自由であることの枷を/よしながふみとやおい論2 - 自然な渋滞