わたし、好奇心旺盛で質問するの大好きだし、疑問に思ったことはすぐ「なんで?なんでそうなの?」って口にするタイプなんだけど、 どうやら日本という国では疑問をなげかけることは相手を否定することと同義であり、挑発でもあると気付いてしまってからしんどい~ なんで?って聞いただけで「私なにか悪いことした!?」って逆上する人多すぎてしんどい~特にTwitter界隈~
![「疑問=否定」という不文律がある日本しんどい](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
他人に何かを指摘して貰った時、「おいおい、これくらい普通に考えれば分かるだろ」という雰囲気を感じるととても辛く感じる。 自分は何も考えずに行動している訳ではない。けれども、浅い思考しかできなかったり、普段から見落としが多いなどの理由から、自分だけでミスに気づけないことが結構ある。 そういった時、周囲から指摘を貰えるのは非常に嬉しいことであり、(少なくとも、自分が)円滑に仕事を進めるためには必要なことだと思っている。 ただ、指摘をされる時に「ここは普通に考えればこうでしょ」という風に指摘されてしまうと、「その普通に考えるという行為が難しかったのだ」と頭の中で言い訳が始まり、素直に指摘を受け入れることが難しくなってしまう。 この「普通に考えれば」というのは、明確な言葉でなくともそう捉えてしまうことがある。 例えば、指摘をする時に少し笑いながら「増田さん、ここはこうでしょ。」というように指摘され
ただの愚痴だから読まなくていい。 小学生の時、通っていた病院の待合室で自分の名前が呼ばれるのを待っていたが、予約していたにもかかわらず最後まで僕が呼ばれることはなく、閉院時間になって待合室の照明が消えていった。 慌てて受付に言ったが、受付の人はめんどくさそうに「はいはい」と医師に伝えに行き、医師はなぜか不機嫌そうだった。 調理実習で、たまに家で料理していた自分は煙の立つフライパンを見て「火力が強いんじゃないか」と進言したのだが、無視されて結局料理は焦げた。キャンプのカレー作りのときには「水が多すぎると思う」と言ったがやはり無視されてカレーはシャバシャバのスープになった。僕の意見は取るに足らないらしかった。 先日、ある企業にPCソフトの使い方を問い合わせたが、未だに返答がない。送信メールを人に見せて確認したが、特に問題は指摘されなかった。ちなみに内容としては理不尽なクレームなどではなく、調べ
このゴールデンウィークにバーベキューをした人も多いと思う。 私は仕事だったらまだしも休みの日に無給で他人と話すことにはこの上ない苦痛を感じる、いわゆるコミュ障のため、こんなイベントにはめったに参加しないのだが、結婚してからというもの旦那の付き合いでこういったイベントに参加しなければいけないことが増えた。 夫は話せばすぐに誰とでも仲良くなれるような社交的なタイプで、私とは正反対だ。一緒にバーベキューをした夫の友人家族達も、そのような社交的な真人間だ。 私達夫婦以外は子供がいるため、それなりに大人数でのバーベキューだった。 子連れのママ達は子育ての話で会話が弾む。 旦那は旦那で友人と楽しく会話している。 私はそのどこにも入れず、ほとんど会話することもなく肉と酒をひたすらに食べ続けた。 バーベキューの後半、そろそろ終わり頃になり、ようやく自分が酒を飲み過ぎてしまったことに気がついた。 周りのママ
職場などで飴やらおかきやらチョコを与えてくる人はどういう感覚なのか理解できない。 餌付け?いい人アピール?仲良くなりたいきっかけ?単純に余ってるの? よくわからないなぁ、食べたいものは自分で買うよ。あなた方も自分で食べる分だけ買いなさいよ。 追記:コミュニケーションの一環か…えー…、例えば飲みニケーション、って嫌なものなんじゃないの?飲酒の強制と同じくらい嫌なんだけど(食べたくないものはいらない)、ブコメのかんじ見てると断ったらコミュ力ゼロの烙印押されそうで益々嫌だな。できれば会社の飲み会と同じくらい廃れてほしい。あと、同じく迷惑だってブコメもあるから「好意的にやってるんだから俺は間違ってない」感覚、ちょっと見直してほしい。嫌なひともいるんだって。
私はいま、ある友達とこれからどうやって付き合っていくのかを悩んでいる。 その友達の名前は仮にAとする。 Aとは同性です。 なぜ私がAとの関係に悩んでいるか。 それは、私がAと接する時に「もっと自分を大切にしてくれる人と一緒にいたいな。」と思うようになったからだ。 つまり、付き合いを続けていくうちに、私って大切にされてないんじゃないか?と疑問を抱くようになったのだ。 きっかけは本当に些細なこと。 私はAと○月中には遊ぼうね、と約束をしていたのだが、どうしても外せない急用が入ってしまい遊べなくなった。私は謝罪しながら約束を断った。するとAにキレられた。来月に埋め合わせができそうなので、その話をしたが既読スルーされている。 そう、本当に小さなこと。 でもこの出来事だけだったら、「私も悪いし、また謝って誠意を見せよう。」と思うだけだ。 しかし、この程度のレベルが何度も積み重ると私はイラッとしてしま
会社入ってそろそろ四年目、ついに来年後輩が来る。 後輩に対して敬語使いそうで悩んでる。 基本、会社では敬語だしよっぽど仲良くならないとタメ口で話せないでしょ。当たり前のようにみんな年下どころか都市の近い人にタメ口使えてるの見るとため息が出る。 ぼくもああいうコミュニケーション能力が欲しかった。 みんななんですぐタメ口で話せるの?すごくない?
恋愛経験がないので一笑に付されるかもしれないけれど恥を忍んで聞いてみたい。 「手をつないでいいですか」や「キスしていいですか」、「セックスしてもいいですか」などの恋愛における同意がどういうものなのかがわからない。 こうした同意をとらずに雰囲気でやろうとするのは性加害の一環にあたるの? その場合、相手が受け入れていたしても、もし拒絶されていたときのことを考えると非常に危ない行為だし相手を尊重していないように思える。 フィクションでは付き合う前の人たちでも同意なしでしてるけど、あれは実際にはあり得ないことなのだろうか。 追記 週の初めの忙しい時期に拙い質問に親身にお答えいただきありがとうございます。 ここまで多くの方々のお目に触れるとは思わず、大変お見苦しい文章失礼いたしました。 実はラフな文章で長文を書くのが苦手なので、形式ばったかたちで返信させていただきます。 行為と言葉による同意について
ラーメン屋でラーメン食ってた時、なんとなくカウンターに置いてあった英語のメニュー表を見ると、roasted park という文字列が目に入った。 すぐに(porkと間違えたんだな)とおもって、カウンターの奥にいる店主に教えてあげようと思った。 「店主、これスペル間違えてますよ」 「え?、ああこれね、常連の大学生が書いてくれたんだよ。最近外国のお客も多いからねえ」 「ほら、ここ、ポークがパークになってますよ。このままじゃ公園が焼かれたことになる」 「…え?」 「いや、ここ、OがAになってるでしょ?」 「そうなの?」 どうにも会話がかみ合わない。 店主は 「間違ってるなら直してくれる?僕、外国語わからないんだよねえ」 と言って油性ペンを渡してきた。僕はAを塗りつぶし、その上段にOを書いて、 「ほら、これでパークがポークになったでしょ?」と確認を促す。 「そうなの?こんな風に上に書いてもわかるの
昔から、他愛のないコミュニケーションをするのが一番つらかった。 そこまで内向的な方ではなかったので、ある程度の話題作りはできて特にコミュニケーションを始めるのに苦労したことはありません。会話もよく続くし、皆で笑い会える会話はできる方だと思います。 そういうコミュニケーションを続けていくうちに、段々とお互い気兼ねなく発言できるようになっていきますよね。僕が一番苦手なのはその段階からです。仲の良い友達になってくるとお互いに遠慮がなくなり、多少棘のあるような発言や煽り、イジりなどが出てくると思います。 僕は、この手のコミュニケーションがものすごく苦手です。 学生時代に所属していたテニス部で、部内戦で負けて気持ちが落ち込んでいたときに、その時信頼していた友人から、おそらく励ましだったと思うのですが「あそこであんなミスするとは思わなかったわ笑」と言われたことがありました。きっかけ、とまで言うのは言い
気づいたんだけど、良いところを褒められるよりも、ダメなところを受け入れてもらう経験が重要なんだ。 自信のなさや挑戦への不安は、それが上手くできなかったときに起きることへの恐怖心だ。 恋愛や人間関係に踏み込むのが怖いのも、ダメな部分を知られたら嫌われると思うからだ。 だから頑張って成果を出したり、良いところを褒められても、卑屈さは治らない。 失敗を許されたり、ダメな部分を含めて愛されたりする経験があって、初めて自分自身への不安は解消されるんだ。 でも大人になってしまうと改めてそれを得るのは中々むずかしい。
心身ともにそろそろ限界がきたので辞めよう。夜に働いてみて、わかったこと。 ・女という自信 ・若さという自信 ・可愛いという自信 ・私との時間にお金を払う人がいる ・人に対する恐怖感がなくなった ・人見知りが馬鹿馬鹿しくなった ・エロ心に敏感になった ・何を求めているのか察する努力 ・ま●この限界を知る ・性病になった ・モンダミンしすぎると口が渇く ・ボディクリームは良いぞ ・カンジダは風邪みたいなもん ・お金があっても満たされない心 ・夜食は太る ・おっぱいが大きくなった ・男に力で敵わないことを知る ・いろんな人がいる ・客が男しか居なかった ・女装した客がいた ・女装した人が好きだと気づく ・めっちゃ興奮したけど慣れた ・イクのは疲れる ・好きな人とだったら幸せだろうけど、気持ちいいもんじゃない ・若者は技術がない人が多い(イケメンは除く) ・目を合わせるのはやっぱり怖いが効果大 ・
コンビニで「iDで」とか「Suicaで」と言うのはどのタイミングが店員さん的に嬉しいんだろう いつも最後のピッあたりで言ってるんだけど
風俗嬢をしている。勤務しているのは店舗型のイメクラだ。 私は性的な行為や初対面の男性が特に好きということはないけれど、 人間という生き物が全体的にうっすらと好きな感覚はある。 店の小さな個室の中で、色んな人間と出会う。 来てくれる人たちにとって、私は人間である以前に「女」とか「女体」なのだなとよく思う。 そういった感覚に対して別に嫌悪感もないし、自分のできる範囲で尊重する。 だって、「そういう店」なんだから当たり前だ。 それにお金を頂いているぶんくらいは、私も期待にこたえたい。 でも、これだけは私の方も尊重してほしい。 あなたが店員に案内されて、個室の扉をくぐった後、 「初めまして、○○といいます、よろしくお願いします」 と言ってお辞儀をした私は両手を差し出すので、握手をさせてほしい。 男と女、客と風俗嬢、に本当になってしまう前に、ただ人間として一瞬でもコミュニケーションがしたい。 できれ
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