印刷 「金剛界曼荼羅」=重要文化財、長野市立博物館提供「鉄鍬形」=重要文化財、長野市立博物館提供 密教の教えを視覚的に表現し、真言宗を開いた空海が日本に伝えたと言われる「両界曼荼羅図(まんだらず)」。鎌倉時代までさかのぼる古作の一つとされる、長野市の清水寺(せいすいじ)所蔵の曼荼羅図と、兜(かぶと)の鉢に取りつける「鉄鍬形(てつくわがた)」(いずれも国の重要文化財)が、同市の市立博物館で96年ぶりに公開されている。調査に訪れた博物館職員の熱意にほだされ、住職が快諾した。 「両界曼荼羅図」は、大日如来の知恵を表した「金剛界」と慈悲を表した「胎蔵界」の曼荼羅が一対となっている。いずれも絹本で縦約104センチ、横86センチ。1800体を超える仏たちの姿を描く。13世紀(鎌倉時代)の作とみられる。 一方、「鉄鍬形」は長さ約42センチ。兜前面に装着する飾り物の一種で、鉄の上に雲竜文を表現した金
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長野県安曇野市豊科南穂高の田淵行男記念館の学芸員長尾小百合さん(29)が昨年9月から同館のホームページ(HP)で執筆している「9964(きゅうきゅうむし)日記」が好評だ。 館周辺に生息する虫の名前や生態のほか、虫に関する率直な感想を付けて紹介しており、HPを見て館を訪れる人もいる。 田淵行男(1905~89年)は、北アルプスを中心に約40年間山岳写真を撮り続け、高山チョウ研究の第一人者としても知られる。日記は、彼の生物学者としての一面も知ってもらうため企画した。名前の64(むし)は「虫」を、99(きゅうきゅう)は、身の危険を感じた虫が避難できる場所という思いを込めて、「救急」を意味している。 昨年11月のHPには、みの虫の蓑(みの)が十数個、木の枝にぶら下がる様子を、「オーナメント」(装飾)のようだと表現。さらに「幼虫に会える」と思い、「ちょっと失礼して、蓑を開けさせてもらいました」とちゃ
宮城県の美術館が、震災の恐ろしさを後世に伝えようと、がれきなどの収集に奔走している。 仙台市の図書館は避難所で配られたミニコミ誌などを集めている。いずれも、「記憶を風化させたくない」との思いがこもる。「災害伝承の拠点」として、収集品を展示する計画だ。 地元の広域行政事務組合が運営する気仙沼市の「リアス・アーク美術館」の学芸員山内宏泰さん(40)は、「東日本大震災記録・調査担当」として、2トントラックで家屋のがれきなどを集め続けている。震災翌日から撮り続けた写真も2万枚を超えた。 石巻市に生まれ、気仙沼市に住んで10年以上。「無残に破壊された故郷をシャッターで収め、集めるのはつらい。でも、惨状を記録し、記憶にとどめることが学芸員の使命だと思っている」と語る。もともと、美術品や民俗資料などの調査研究、収集が担当。被災した美術館の補修が終わる来年にはがれきなど収集品の整理を進め、2013年
「学芸員実習に思う」として、昔語りを3回書きましたが、学芸員志望の学生さんたちへ、もう1回だけ書き留めておこうと思います。 ≪国鉄職員だからキップを切るのか、キップを切るから国鉄職員なのか≫ 私は、<仕事>という営為に対する関心があって、長い間いつもそのことを考えてきました。それは、自分の専門が日本近代史であるという理由では必ずしもなく、自らが一人の職業人であるというところから発しています。<仕事とは何か>、その疑問を解くために、識者の書物も読んできました。 そのなかで出会ったのが、黒井千次氏の『働くということ 実社会との出会い』(講談社現代新書、1982年)です。黒井氏は、作家になる前、15年ばかり富士重工で会社勤めをしていました。自身の体験に基づくこの本に、私はとても共感したのです。黒井氏が経験した一つ一つの事柄には、それ固有の意味があると思われるので、本書全体の要約はしないでおこうと
鳥羽水族館(三重県)の学芸員の上岡岳(がく)さん(40)が、40歳以上のJAWA全日本マスターズアームレスリング大会で準優勝した。日本代表に選ばれ、9月に中国で開かれるアジア大会に向け、剛腕を鍛えている。 全日本大会は今月3日、さいたま市で開かれた。上岡さんは男子40代無差別級に出場し、左腕の部は初戦で敗れたが、利き腕の右腕の部で準優勝した。 競技を始めたのは23歳のとき。体力や健康維持のために通っていたジムの会長に勧められた。腕に覚えもあって県大会に出場したが、結果は「惨敗でした」。まずは三重を制覇したいと、鍛錬を重ねた。 16歳以上を対象にした一般の部では、1997、99年の県大会で優勝。2006年の全日本社会人大会で準優勝し、07、08両年のアジア大会、08年の世界大会にも出場した。アジア大会では、いずれも5位と6位で入賞を果たした。だが、「一般の部では、もう体力的に無理」と、38歳
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