「臥薪嘗胆」というのは、平穏無事に暮らしている者が持つ座右の銘ではありません。 臥薪は薪(たきぎ)の上に臥(ふ)す=寝ること。嘗胆は苦い胆(きも)を嘗(な)めることで、なんでこんなことをするかというと、別にマゾだからではなく、復讐の意志を忘れないために我が身に辛苦を与えているのです。ですから、誰かに復讐を誓って現在苦しい状況にあってもそれを耐えているという状況がないと座右の銘にできません。 あるいはここからややマイルドになって、現在は「将来の成功を期して、長い間の苦労もいとわない」という意味でも、まあ使います。しかしこの場合も、苦労、つまり臥薪や嘗胆に当たるところの「苦しさ・辛さに耐えて日々を送っている」ことが必要条件になるでしょう。それがあるのであれば、「臥薪嘗胆」は立派な座右の銘です。